White point of view 4

 大学の中庭の木々は、すでに真っ赤に染まって、命を終えた葉っぱたちは、ひらひらと最後のダンスを踊って地面に落ちていく。わたしは赤や黄色に鮮やかに染まった中庭で、自動販売機で買ったホットミルクティーを飲みながら、一人で歩いている。今日は休みだということもあって、校内にはあまり人がいない。落ち葉を優しく踏みしめながら、わたしは練習棟を目指していた。休みでも学校にある良いピアノで練習がしたかったんだ。あれから、緑くんから連絡はたまにしか来ない。でもどうやらわたしのことを、少しだけ気に入っててくれているようだ。わたしはそれでも全然うれしい。たまに美味しかったものや、美しい風景の写真を、送ってきてくれる。きっとわたしがそういうエモーショナルなものが好きだし、敏感だって緑くんはわかっているから。それにしても、やっぱり彼はすごく素敵だ。すごくわかりやすい嘘をついて、それでいて一緒にいる時だけはちゃんとわたしのことを見てくれている気がする。すごく不安定で、どこかに行ってしまいそうだ。きっとその自由な風に吹かれるのが、わたしは好きなんだ。そしてきっと彼は何か失っていて、それを埋めるのに必死なだけだ。だから、みんなが言うみたいにチャラいとかそういうのではなくて、ただ探しているんじゃないかと思う。自分が失くしてしまった思いやカケラ、そしてさまざまな形の愛を。
 少しひんやりとした練習棟にたどり着き、わたしはいつも予約している練習室の扉を開けた。今日はいつもより扉が重く感じられて、それはまるで山奥にある古城の扉のように感じられた。それはそれで厳格な気分になって、練習に集中できるかもしれない。グランドピアノの蓋を開け音が響くようにして、わたしはいつものように課題曲のショパンを弾き始めた。この寒くなって物悲しくなる退廃的な秋に、ショパンの『ノクターン』は本当によく合う。ピアノを弾いていると、この刺激物だらけの世の中から、自分を守るバリアを張れるような気がするんだ。わたしはわたしで良いのだと、自分に言い聞かせることができるんだ。その空間を自分の色に染め上げて、絶対安全地帯を一瞬だけ創り出せる気がするんだ。緑くんも、わたしを絶対安全地帯に連れて行ってくれる。しかもその安全地帯はすごく長くわたしのそばにあって、緑くんと離れた後も一緒にいてくれる。それだけでわたしは、無意識に作り出してしまう弓矢の雨を、1週間くらい防ぐことができる。きっとわたしが気にしすぎで考えすぎなだけかもしれないけれど、小さい頃から世界のもの全てが弓矢になって、わたしを傷つける。わたしはその傷を必死に治療しながら、絶え間なく降り注いでくるその弓矢を払いのけて生きていかないといけない。そんなわたしは自然に攻撃や刺激を防いでくれる安全な場所を本能でキャッチして、作り出したり、すり寄ったりしているのだと思う。絶対安全地帯にはきっとエメラルドグリーンの花が咲いていて、その花は幸せな幻を見せてくれる。それが幻だとわかっていても、それでもただ、なんとか日々を生きることができるのであれば、わたしはそれで良いと思っている。
 自分の鼓動をピアノのリズムに近づけながら、わたしはここではないどこかと一つになった。フワラーシャワーを浴びるようにして、わたしは境界線を越えていく。その時携帯が鳴り響いて、わたしは打ち上げられたクジラのように練習室に戻ってきた。携帯の画面には、届いたばかりの緑くんからのメッセージが表示される。
「今日ご飯でもいかない?」
わたしは出来るだけきれいにまばたきをして、すぐに返信した。
「うん。もちろん!」
秋の風が窓から入ってきて、わたしの心をかきむしった。

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