あなたを傷付ける人の「歪んだ期待」に応える必要はない

タイトルでこう書いたけど、
これは「自分の頭の中での認知」の話。


「期待に応える」って、前向きな響きじゃないですか。
頑張る、とか、なんかそういうイメージある。

「傷付くことを頑張る」なんて行為をする必要はないよ、
って言われて、ピンと来ないかもしれんけど。

でも、やってるかもしれない。そういうことを。


・人間は「負の期待」にも応えてしまう

致命的なバグ!!

いやホント。
ゴーレム効果とかそういうのを調べてみてもいい。
意図的でないこともあるし意図されてることもあるけど、
「お前はダメなヤツ」と言い続けられたら、
「私はダメなヤツです、
 あなたがダメであることを望むから、
 その通りにしています」
みたいなことをね、無意識にやっちゃうんだ。

他人事として目に見えると、多分「おかしい」と思いやすい。

親の呪いとかそういうののいくらかはこういうヤツ。
「優秀な存在になりなさい。
 ただし自分より優秀であってはいけない」とかね、
なんか聞いたことあるかもしれない話では?
律儀にそうなろうとしちゃう。


・一見おかしいことでもそれが成り立ってしまう

「お前は攻撃されていい人間だ! 傷付け!」
「はい!」

……ね? おかしいでしょ?
でも起きるやつ。

その攻撃に正当性はないよね?
という物でも、律儀に「期待に応える」わけです。
そんなことする必要はないのに。
逃げていいし助けを求めていいのに。
(ここで「誰かが助けてくれない」などは、
 今回の話とは別の物なので触りませんよ)

そもそも傷付ける方が悪いんです。
忘れないでね。


・加害する方にも過去や事情がある、かもしれないけど

一度それは全部忘れてよいもの。
「あなたが」「加害された」という事実から目を逸らすな。
逸らさせるな。
なんらかの正しさのもとに、とか言おうが、
他人に攻撃したら、それは加害。

攻撃する方は、攻撃してる瞬間にそれを忘れちゃうけど。
「自分の方が善くて正しい側の存在である」
ということに執着している形で、やっていることは加害。

んでまあ、そこで
「こっちが正しい」「お前が間違い」
の押し付け合いをしはじめると、それは不毛
どっちも引くに引けなくなる泥沼。
両者とも得しない。
なんなら、そのうち、第三者から、
「そこでできていたはずの利」をかっ攫われるかもね。



他人の「引きずり落としたい欲」に素直に応えて、
自分のスペックをガンガン落とすことで、
あなたに何の得があるんですかね。

弱ければ誰かに守ってもらえる。
それが絶対的な法則でないということはもうわかるのでは。
まだ絶対であるのなら、親に虐待されて死ぬ子供は誰もいないよ。

他人を落として優位に立ちたい、
そんな歪んだ期待に応えて、自分を下げて落としてしなくていい。
その献身が報われる未来なんて、残念ながら、存在してない。

……それよりかは、
「これからの自分」に、その報いをもたらしてあげてほしい。
これまで頑張ったことを認め、
もう「そうしなくていいのだ」という許可を出して、
傷を癒してしまっていい。

あなたのひと押しが箱を少し長く生かします。たぶん。 活動が長続きすれば、話せるものも増えるかな。 まあ、お好きなように。強制はしませんよ。