「自分事」に時間をかける覚悟はあるか?

この言い方に違和感を持つ人もいるかもしれない。
けれども、案外この「覚悟」を持てていない人はいるのだ。
周りのことを第一に考え、迷惑をかけてはいけないと焦り、
自分のことをどんどんあと回しにしてしまう。
それは、自分自身を出す覚悟がないからだ。


・「否定される」と「決め付けて」しまうことのデメリット

これは、実は、
「実際にはそんなことが無かったとしても」
相手の反応を勝手に決め付けている形になってしまっている。

そうすると「ゆるすよ」と言ってる相手の言葉を、「その気はなくても」否定することにもなってしまう。
「こっちはゆるしたって言ってるのに!」
みたいに、別の形で怒りを作ってしまい、
起きなくてもいいトラブルを追加で招いてしまう。

さらに、その出来事から、
「やっばり自分は否定されるんだ」
という認知の歪みを強める原因にもなってしまう、という、
とても効率のいい自分イジメの手段になる。

……普通に「相手を信じていない」という意識のあらわれでもあるので、
やっていることに気が付けたなら、やめた方がいいと思う。
失礼だと思うでしょうよ、自分がそれをされてたら。
それなら、自分がやっていたら改める。
それだけの話なので。


・じゃあ他人にいくら迷惑かけてもいいんだ! やりたい放題サイコー! となる人へ


それは違うぞ!


……ここでただの自己中になってはいけない。
以前書いたネタにも通じるのだけど、
「ゆるすこと」を相手に強要するといった行為も、
そんなの、もってのほかなわけで。

やらかしたら反省はしよう。
次に同じ過ちを起こさないために、何ができるか、
それを考えて、改めていく必要はあるから。
この時に大事なのは、
その過程が「自分の否定ではない」と認識すること
もっといい結果が得られるようになるための、
必要な流れなんだと考えられると、ここは少し楽になる。


・じゃあ、覚悟ってなにさ

「今の自分がどうなっているのかを、正しく知る覚悟」だ。
そもそも、他人を巻き込んで何かするなら、
迷惑をかける可能性はどうしてもついてくる。
ただ、それは「確定事項ではない」と理解しておくこと。
なにもトラブルが起きなかったなら、それにこしたことはないし、
そう(トラブル無しで終了)なることだってそれなりにある。

やらかしてしまった場合には、
適度な自省をして、過度な自責をしないこと。
過去の失敗した出来事に、現在をなすりつけないこと。

過去を理由に言い逃れをするのは、
それもまた、他責の形なのだ。
「今の自分のせいではない」と言っているのだから。
向き合うところだよ、そこは。

それには、自分の現状を理解するために時間を割く必要が出てくる。
自分以外の誰かに力を借りる機会だって出てくるが、
その時に「迷惑だから」と尻込みしては、
なんのために助力が必要なのかわかっていないということにもなる。
「自分なんかのために」と言っている場合ではないのだ。

そんな自分を少しでもマシにして、
今後かけるかもしれない迷惑を減らすための、
必要な他力なのだから、むしろ借りなきゃいけない。
捨ててもいいプライドは捨ててしまっていいし、
むしろそこは折れ時、捨て時でもある。
他力に縋れないという話は、歪んだ自尊心の仕業なのだ。


向き合わなかった時間が、長くなればなるほど、
そこ(歪みの解析)にかけなければならない時間も増えていく。
それを理解したうえで、その時間を捻出する必要がある。

……向き合うことから逃げ続けてもいい。
いずれツケ払いをする時は来るが。
それが嫌なら、古傷とも、醜さとも、対峙しなければならない。 
その覚悟を決めるまでにかかった時間だけ、
自分が摩耗しているのだ、ということは、知っておこう。

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