「過剰な自己卑下」は、ちょっと視点を変えると、相手にとても失礼なことをしているかもしれない、という話

行き過ぎた謙遜は嫌味になるとか、
そうした類の言葉を目にしたり、耳に入れたり、
そんな経験はないだろうか。

今回は、その手の話に近い物を、
箱が「あなたがそう伝える相手」だと仮定して、考えてみてほしい。


・この話の例えはあくまで例!

例えばだが、箱があなたに「死にたい」と伝えたとする。
(持病から希死念慮などが出ていることもあるが、
 ここではあくまで「話の例」で出しているだけ)

そこで「私はあなた(はこ)が死んだら悲しい」と、
あなたが箱に対して思うのであれば、
それと同じことが、あなたと箱との間でも、
同様に成り立つ、という前提で考えてみてほしい。
箱にとっても、あなたが死んでしまったら悲しいしつらい。
ぶっちゃけ当分凹むし引きずると思う。

ここで、もし、
「自分が死んでも箱は悲しくないだろう、
 そう思われるような価値は、自分にはないのだから」
のような答えが浮かぶのであれば、
箱は、とてもとても悲しい。


・どうして? 本当のことでは?

あなたがあなた自身を大事にできていない、していない、
ということについても、まあ、そう(悲しむに値する)なのだが。

その考え方は、視点を変えると、
箱があなたを大切にするわけがない、
 箱はあなたに価値を見出すような存在ではない

ということになってしまうのである。

つまり、
「箱があなたを評価している」という事象を、
あなたが自分から否定していることになってしまうのだ。

「私はそんなことを思ってなんかいない」
と、もし、あなたが言えるとしても。
実際は、無意識に、頭の中で、
「お前がそんなことを考えているわけがない」
と言い返すのと同等の判断を下していた、
ということを理解してほしい。

そう。
これは、「自分だけを下げている」「つもり」なのかもしれないが、
実際は「相手のことも勝手に下げている」という形になる

「あなたに対して無意識にこういう評価と偏見を持っています」

と開示していることになってしまうので、
そりゃ、そう返された側にはいい感情を持ってもらえなくなる。
……という流れにもなるわけで。

なお、ここで必要なのは、あなたの自責でも自罰でもない。
そこも落ち着いて考えてほしい。
そんなこと(自責や自罰的な行為)をしたら、落ち込むぞ。

箱が。


「箱の伝え方が悪かったのか」とか、
「箱の言い方のせいでそんなことをさせてしまったのか」とか、
すっごい気にするぞ。
あなたに直接確認するし、場合によってはもっと凹むぞ。

それに対して「酷いことをしてしまった」と思って、
あなたが更に気に病むというのなら、
それこそ「どちらにとっても得にならないこと」だと思わないか。


・なんやねんおま

ここでは、あくまで箱の意見なので、
箱を例に出した話にしたのだけれども、
箱ではない他の人を、箱の立場に当てはめてみても、
やっぱり、その人に対しては、失礼な考え方をしている。
……となるんじゃあないだろうか。

「お前は他人を認めるような器の持ち主じゃねえ」ってさ。
相手に対してそんな言い方できる?
できてもまずそれは褒めてない。褒め言葉じゃない。
自分を虐めながら他人を罵るとか、やめよう?

大事なのは、
「自分は、他者から褒められたり、認められたりしてもいい」
と思えるようになることなのである。
それは、あなたが当たり前に持っていていい権利なのだ。
そして、そうなれたら、
「自分を評価してくれる他者」のことを、
勝手に自己卑下に巻き込んで否定する
なんてことをしなくて済むようにもなれる。

「今味方になってくれている人を、自分から一方的に切り捨ててしまう」
なんてことを、せずに済むようになるかもしれない。
考え方ひとつで、マイナスの環境を作るかもしれないという懸念を減らせる。
それは、悪いことではないのでは。


ちなみに、これを読んだあなたが、
たとえ、今この感覚を受け取れないとしても。
箱は、あなたを応援している。

……勝手に。

あなたのひと押しが箱を少し長く生かします。たぶん。 活動が長続きすれば、話せるものも増えるかな。 まあ、お好きなように。強制はしませんよ。