気も心も配りすぎないようにしよう

目に見えない世界の話に触れる部分があるので、
ミリ程でも拒絶反応が起きるとか、
そういう人は今のうちに引き返すことをオススメする。
わざわざ嫌な気持ちしながら文章読んで自分の無駄遣いをするより、
別の物を見に行った方がお互いのためだと思う。


気配り。
心配り。
できている人は素晴らしいよね、と褒められるようなそれら。
ただ、それは、適度である場合に限られる。


・それができるのはいいことなのに、どうして?

箱が書く話によく出てくる表現になってきた気はするが、
「すぎる」ことが問題になる、という話である。

周りを見て他人のことを気にかけて、
その分「自分自身のことが疎かになる」からだ。
他人軸に自ら寄せていっているようなもの。

そうなると、そのうち、思考の比重が偏っていって、
「周りの状態をなんとかする」ために、
自分の身を削り出す、みたいなことを始めてしまう。
「◯◯さんのために」「周りのために」
で思考が埋め尽くされて、
それだけ自分自身のスペースがなくなっていく。
優先順位が下がった分だけ自分のことを考えられなくなり、
自分を粗末に扱っても気にしなくなる。
切り詰めすぎて、自分を大事にする余裕がなくなれば、
誰かや何かに配るための、気も心も捻出できなくなっていく。

そんなこんなで燃え尽きて、何もできなくなったなら、
その献身で支えられていた人(達)ごと盛大に共倒れするかもしれんわけで。
そういう意味でも、いいことではないと思う。

あと、心配のしすぎはシンプルに相手への過干渉になりやすい。

本当にその人のためになっているか?
自分の不安を解消するための押し付けになってはいないか?
無意識に相手の境界線を侵害していたりしないか?

そのあたりを確認できる余裕はあるといいかも。


で。
ここから、エネルギーがどうだとか、
そういう感じの軽いスピ寄り話になるから、
見たくない人は、区切り線の間の文章を飛ばすなどして自衛してほしい。





・ちょっとスピった話をすると


実際に、無意識に自分の気持ちや心を千切って、
相手の所に置いてきちゃう人がいたりする。
心配事が解決して一安心、とかになれば、
そのタイミングで回収はされるみたいなので、
都度解決できる範囲ならまだマシ。

ただ、相手が受け取らない自分も回収しない、
そんなエネルギーの切れ端が量産されていくと、
自分に余裕のない人ばっかり増える。
あげく、そのエネルギーは、勝手に拾われて、
全く関係ないとこに持っていかれる可能性さえある。
千切って配ってる人はだいたい気付かないからね。

「勝手に配ってるんだしもらっていいものなんでしょ?」
くらい図々しい不可視の存在はいるぞ。
無料配布のティッシュみたいな扱いされるぞそのエネルギー。
なんなら勝手に「素材湧きスポット」扱いされて、
持ってく奴が増えていく……まであるかもしれん。

嫌なら少し別のやり方を考えてみよう。
まずは自分がその手のことをしていないか気付く所からだけど。







・最終的に程度やバランスの話なの?

だいたいそう!!


自分のこともちゃんと大事にしていかないと、
他人を守るとか支えるとか助けるとか、
そうしたことをするための余力が捻出できなくなってしまう。

助けたいのに助けられない、とかになって、
どちらも傷付いたりするかもしれない。
更には「自分を大事にできない人は他人を守れない」だのなんだの、
「綺麗な言葉で他人に一方的な説教をしたいという欲」を抱えた人から、
自己満足のためのターゲットにされるわけだ。

嫌だろ。

てなわけで、
箱は「ほどほどに」をオススメするわけである。
無関心になれ、ではなく、ね。

あなたのひと押しが箱を少し長く生かします。たぶん。 活動が長続きすれば、話せるものも増えるかな。 まあ、お好きなように。強制はしませんよ。