自分に「エナバン」というステータス異常があった時の回復の仕方

エネルギーバンパイア、という概念がある。
スピリチュアルとかそっち方面から出てきた概念ではあるが、
さっくり雑に言ってしまうと、
「一緒にいてしんどくなることをしてくる相手」のことだ。

行動が被害者にとってのストレス源になったりして、
エネルギーを奪われたかのように疲れたりするので、
エネルギー的なバンパイア、略するとエナバン。

「こんな人はそうかも」みたいな記事はちょこちょこ見るが、
「それらからは逃げろ、縁を切れ、見捨てていい」
みたいなことは大体書いてあるけど、
「自分が『する側』だった」と気が付けたときに、
どうしたらいいのか、は触れられていないことが多い気がした。

まあ、そもそもエナバンという概念を正しく知らん人が圧倒的多数だからだと思うんだけどね!



こちらの投稿を目にして、改めて思ったことなのではあるが、
「意図せずその状態に陥ってしまった要救助な人」への助け船の出し方や、
「自分がエナバンする側になっていた時の立ち直り方」を知っておくことで、
最終的な被害の軽減をはかれるのではないだろうか。

ただ、そのためには、いくつかハードルもあるな、
とも感じたので、
今回は、そのへんに少し、個人的に言及しようと思う。


・最初のハードルは「エナジーバンパイアという概念を知る」こと

はい。
というか、まずこれ、家庭や学校で教わるような物じゃあない。
そもそもオカスピは義務教育の範囲外だからね!

下手すれば、その範囲に、すでにエナバン加害者がいたりとかする。
親から子へのエナバン行為も普通にある。
一般的に「毒親の干渉」「いじめ」とされるものの多くが、
エナバン案件に該当してたりとかもする。
かなり多くの加害行為が、エナバンに置き換えても説明できてしまうのでは?
というくらいには適用できる物が……うん……多い……

該当する行動にはどんな物があるか? については、
一度、自分で実際に検索してみてほしい。
Googleとかでいい。

だいぶ広範囲の行動が該当していたりするので、
所業の羅列を見ているだけで悲しくなってしまったり、
辛い、苦しい、などの嫌な気持ちになったりしたら、
一度見るのを中断する、などの自衛はしてもいい。
自分の心を優先的に守ってあげてほしい。

他人のエネルギーを承諾なく勝手に奪って、
自分だけ元気になったり、他より上にいる気になったりしてるのは、
エナバン的な行為をしている、と言えてしまう。

加害と被害の規模の大小には差があるだろうけど、
そのくらい日常的に軽率に起こっている現象だ、とも言える。
どうして問題になるのかというと、それらが積み重なれば、人を殺しえるからだ。

生きる気力がなくなったら、回復しなければ、人間は、死ぬ。
それを、他人から奪っていくのが、
「エナジーバンパイア」と呼ばれる状態になった、
被害者と同じ、人間といういきもの。

状態、と言ったように、
エナジーバンパイアは「人間にかかりえるデバフ」の一種。
人間の歪み方のひとつ。
本人が望むなら、
そのために変わる意思が「本人に」あるのなら、
なおせるもの、とも言える。

・次のハードルは「自分が、今、それになっていると自覚する」こと

知識として頭に入っているとしても、
それをもって自分を疑えるかは、また別になってくる。
あと、程よく疑問を持つことのできるラインで、
考えることを一旦止められるかも別。
ここで、ぐるぐると考え込んでしまわないこと。
過剰に自責して、自分を追い込まないのも大事になる。

で、ここで躓くと、回復ステップに進むことができない。
「なおそう」と思うことができないからだ。

本人が受け入れたくないから否定してしまうこともあるし、
下手すると、意固地になって、事態をより悪化させてしまう。

指摘に対して反発が起きるのは、ある程度仕方ない。
それは「自分の心を守るため」の人間の機構でもあるから。
ただ、そこから反抗心に執着してひたすら逆張りばかりしないように、
一度は現実を受け入れて、飲み込む必要はある。
「納得する」「腑に落ちる」という段階を経ると、
無闇に自己否定しないための土台を作りやすくもなる。


・どうして人間はエナバン化してしまうのか

自分の力だけでは補給や回復が追い付かない状態になると、
パッシブスキル的な状態で、エナバン行為が発動するようになってしまう。
これは、どうにもならないほど弱りきってしまった時とかだと、
自然に起きてしまうエネルギーの流れ、ではある。
生き延びるための仕組み、とも言えてしまう。

本人が気付くことができないと、エナバン化を止めることはできない。
そこから復帰する可能性も、遠のいてしまう。
だから、自覚できるかどうか、が大事になってくる。

条件を満たせば、誰でもエナバンになる可能性がある。
それは頭の片隅に置いておくといいかもしれない。

・自覚ができたら、その後に、回復プランを考えよう

原因がわからないことには、対策を立てられない。
そもそも「エナバンになっている」のは何故なのか、
ちゃんと当事者の現状に向き合い、
今の状態がどうであるかを理解してから、
根本的な問題への対策を練ろう。

どうすれば、エナバン行為をしなくてもいいようになるか。
そこまでのステップは、どうしても、人によって違うものになる。
それなのに、最終的な目標は、
「同じ段階(エナバンをやめることができました)に辿り着くこと」なので、
一時的に他人との差が見えても、比較して焦ったりしないような、
心の余裕を確保し続ける必要があったりする。

そのためにも、回復を疎かにしないこと。
「余裕が無い人に行動を強いてひたすら頑張らせること」の有害さは、
理解できるのではないだろうか。
ならば、それをする側にならないようにしよう。
自分が自分にそれをするのも、やめよう。

それ以上の被害を出さないために、自分が変わる覚悟をする。
それは、ひとりで背負い込んで、自分を殺すことではない
必要な助けを受けるために、いらない思い込みを捨てることだ。

これはあくまで例え話なのだが、
回復アイテムを周りから潤沢に投げ込んだとしても、
自分を殴り続けている人を完全に回復させることはできない。

その時に必要なのは、まずは、
「その人が自分自身を殴ることをやめさせる」
であり、それが収まってから怪我の治療をする必要がある。

当事者以外が、方向性の間違ったアドバイザーにならないためにも、
現状の正しい把握は必要だな……と思う。


・そもそも、何故他人から奪ってしまうのか?

奪えるからである。

……と言ってしまえば身も蓋もないが、
自分だけでは不足を満たせない状態だから。
「落ち込んだ時に誰かと話して元気をもらった」
それでさえ、ガバガバ広義解釈にすればエナバン行為なので……

だから「自責をしすぎない」ことも必要になる。
外部供給がないといけないくらい足りていなかったのだから、
まずは、他力に頼ってでも「満たされている」を知らねばならない。

この時に、無理矢理付き合わせてそれをするのではなく、
自分に与えたい、という人から喜んで受け取る、という流れが望ましくはある。
強制したら、それは「奪う行為」になるからだ。
(その時は「頼り方を覚えること」がステップに足される、かな……)

その状態を知ってから、自力でそれを作り出せるように、
自分に適したやり方を探していく必要がある。

美味しい物を食べること、という人もいるだろう。
ゲームでハイスコアを叩き出すこと、になる人もいるだろう。
好きなだけ惰眠を貪っても責められないこと、がそれであってもいい。

自分が満ち足りている状態であるなら、
「他から奪ってでも満たしたい」という発想は生まれてこない。
つまり、そうなれれば、エナバンになる必要もなくなるのだ。



自分だけでは足りない物を満たせないのなら、
不足を補い合って、互いに満たしあえる、
そんな関係性を、誰かと築いていく必要がある。

一方的に押し付けるのではなく、一方的に奪うのでもない。
そんな、気持ちが巡って、お互い様だと思いあえるような、
そういう関係を作りたいのなら、自分を正しく理解しよう。
相手のことも、都合で歪めずに理解しよう。


……まあ、簡単にできたら苦労しない。知ってる。

知っているから言うけども。
求めよ、さらば与えられん(言ってもらえなきゃわかりません)

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