誰かの心と向き合う前に、頭の隅に置いておいてほしい

この人を助けたい。
そう思うことが出来たあなたは、多分優しい人だと思う。
それでも、助けたい、楽になって欲しい相手を、
その優しさで、傷付けてしまう前に。
少しだけ立ち止まってみてほしい。
(それと、別にこの記事は読者を責めたいわけではないので、
 これも誤解はしないでおいてほしい)

どうして、優しくしたいのに、赤の他人から止められるのか。
訳がわからない、と思うかもしれない。
でも、これを読みに来たようなあなたなら、
これを「個人の論として」わかってくれるだろう、と、
私は勝手に信じている。

……さっきまでの時点で、
「コイツの話、重てえな……」
そんな感想がよぎったりしなかっただろうか。

あなたの意見も、向ける相手から、助けたいその人から、
そう思われているかもしれないわけである。
とても手軽な鏡を置いてみた。箱だけど。


単純な話にすると、あなたとその人は別人だ。
全く同じ物の見方をしているわけではないし、
環境や来歴だったり、感性だって別の物。
「自分はこれでいけた、やれた」ということを、
同じように受け入れることができて、
同じように実行することができるのか、も、
保証は何一つない。
そして、実際に同じ物を取り入れ実践し学んだとしても、
必ず自分と同じ変化をする、と思ってもいけない。

人には、今ある能力に応じた向き不向きがあるし、
理解や変化のスピードも違う。
「自分はやれた」を過信していないか、
少し考えてみてもいいのではなかろうか。

確かに、あなたはそれで変われたかもしれない。
しかし、あなたが助けたいその人は、あなたではないのだ。
あなたがその人ではないように、その人もまた、あなたではない。
そこを見失わないでほしい。
自分のものさしだけで、一方的に相手をタコ殴りにしたい
なんてことを思っているわけではないはずだ。


でも、困ってる人や辛い人がいる。ほっとけない。
大好きな人が苦しそうだ、なんとかしたい。
その気持ちはとても尊いものだから、大事にしてほしい。

自分がやって、これよかったよ!
そういった、勧めたくなる気持ちだって、わからなくもない。

自分の主張だけ押し通そうとしていないか。
相手の心を置き去りにした「手助けと称する行為」は、
いったい何を助けようとしているのだろうか。
本当に、助けたい相手の事をちゃんと見て、
そのうえで選んでいる、相手に合ったやり方なのか。
一度、確認してみたっていいと思う。



この記事を最後まで読み切るくらいなのだから、
あなたは真剣な人なんだろう、と、私は思う。
どうか、その心が、必要としている人に伝わって、
あなたもその人もみんな報われてくれ。

……こちらが勝手にそう思っているだけなので、
これはそのまま勝手にさせておいてほしい。
別に、強制でも、強要でもない。

あなたのひと押しが箱を少し長く生かします。たぶん。 活動が長続きすれば、話せるものも増えるかな。 まあ、お好きなように。強制はしませんよ。