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橋本治と新井素子と五木寛之と 1970年代末の流行本の記憶

先日、所要があって実家に帰ってきた。その時、自分の本棚を見た。橋本治の本が置いてある部分を、写真に撮った。上に貼り付けた写真がそれだ。

『ふしぎとぼくらはなにをしたらよいかの殺人事件』を開いてみたら、2段組みだった。まるで記憶にない。東京の今の部屋には、徳間文庫の上下巻を持っていたような気がする。

ところで、実家には『桃尻娘』シリーズが3冊しかなかった。全6冊が揃っている気がしていたが、違うようだった。

よく考えたら、このシリーズは完結するのに10年以上かかっていたから、最後の1、2巻が出た時には、私はもう東京に住んでいたはずだ。

私が東京に来たのは、1986、7年くらいだから、最後の2冊は、今の部屋のどこかに埋もれているのだろう。

それにしても、実家にはあった筈の第1作の単行本が見当たらなかった。何でだろうか? カバーのイラストが嫌いだったので、古書店に売ってしまったのだろうか? そんな気がしないでもない。

最初の『桃尻娘』は、中身よりも、造本が気に入らなった。ソフトカバーはよいとして、イラストが嫌だったのだ。

確か黄色を背景に、スケ番未満のセーラー服姿の女の子がアメリカンポップな感じに描かれていたのだ。裏表紙は革ジャンを着たリーゼントの男の子のイラストだったか…。

値段は800円でおつりが来たように思う。しつこく書くけれど、私はこのカバーイラストが本当に嫌だった。

『桃尻娘』は、男が書いた女子高生の一人称小説だということで、出た当初、色々と話題になっていた…気がする。だからカバーイラストが気に入らなくても、私は書店で手に取ったのだと思う。

本の中には著者の写真もあったように思う。もしかしたら、写真は他で見たのかもしれない。私の記憶の中の著者の写真は、変な格好をした過剰な笑顔の男の写真だった。

それに、本文も変だった。ページをめくると、やけに片仮名が多くて、それらが浮いて見えたのだ。私は、著者は、ヘンタイに違いないと確信して、その本を買ったのだった。

実家には講談社文庫の『桃尻娘』も何冊かあった。確か、文庫本でも集めたのだ。確か、全巻集めた記憶がある。

文庫だと、第1巻は、実家にちゃんとあった。もう一度探してみたが、実家の私の部屋には、単行本は見つからなかった。


最初の『桃尻娘』の本を買った時、私は高校生だった。だから『桃尻娘』に対しては、29歳だか30歳だかの、けっこうなおじさんが、女子高生の一人称で書いた、デビュー小説、という認識だった。

ちょうど、同じ頃、私は女子高生くらいの若い女性の書いたデビュー小説を、いくつか読んでいた。

読んだ順序は憶えていないが、新井素子の『あたしの中の……』(これは単行本で、700円でおつりが来た)と、中沢けいの『海を感じる時』(こっちも薄い単行本で、700円でおつりが来た)と、松浦理恵子の『葬儀の日』(これは単行本ではなく文芸誌で読んだのだ)の3作だ。

新井が17歳で、中沢が18歳で、松浦が19歳だったと記憶している。『葬儀の日』が本になったのは、それから大分、後のような気がする。

当然のこと、『桃尻娘』も含めて、これらの小説に何が書かれてあったのか、中身の記憶は今の私にはほとんどもない。でもそれぞれの本のカバーと著者の写真だけは、なんとなく憶えている。

新井と中沢と松浦の3作品は、十代の女性のデビュー作ということで、私の頭の中ではセットになってインプットされている。

そして、荒井素子の『あたしの中の……』と橋本治の『桃尻娘』は、女子高生の一人称小説ということで、私の頭に中ではセットになってインプットされている。新井素子と橋本治のセットは、私の頭の中ではかなり強固なコンビになっている。

新井素子は、雑誌『奇想天外』のSFの賞を受賞したという触れ込みだった。だから、SF小説だったのだと思う。肝心の中身は憶えていないが、星新一が誉めていたことを憶えている。星新一は、審査員だったかもしれない。

それと、「馬鹿」を「莫迦」と表記していたような気がする。印象としては、筒井康隆の『時をかける少女』みたいな、SFだけど、大人向けじゃないなと思ったことを憶えている。大人向けじゃないというか、十代の若い人向けというか。

当時、「学年誌」というものがあった。中高生向けに、学研が「〇〇コース」、旺文社が「〇〇時代」というのを出していた。それらに、連載小説が必ず掲載されていたし、時々、小説は付録本になっていた。付録だから、文庫本より少し小さかったと思う。学年誌だから、それぞれの年齢に向けた、青春小説とかSF小説などだ。

青春小説には、恋愛やら、性の芽生えやら、ダイレクトにセックスを扱ったものもあった。

新井素子の『あたしの中の……』も、そういう媒体が似合いそうな小説に、私は感じた。中身は憶えていないのだが、そういう漠然とした記憶が残っている。

そして、そのような媒体で発表されていた小説群を、ジュニア小説と呼んでいたと思う。

私は『桃尻娘』を読んだときも、これはジュニア小説じゃないかと思ったのだった。新井素子を読んだときと同じような印象を持ったのだ。どちらを先に読んだのかは憶えていないが、『あたしの中の……』と『桃尻娘』はなんだか似ているなと思ったのだ。

今はジュブナイルとかライトノベルと言うらしいが、ジュニア小説は、文学や純文学とも違って、十代の読者に向けた中間小説、みたいな感じだった。

そういえば当時は、集英社が『小説ジュニア』という思春期の女性向けの月刊誌を出していた。そこに書かれた小説を単行本化したり文庫化したものに、集英社のコバルト・ノベルスとかコバルト文庫というのがあった。

そこには女性の作家もいたけれど、富島健夫とか川上宗薫といった男の作家もいた。大昔の少女マンガ誌に、男のマンガ家が少女マンガを描いていたのとなんとなく似ている。

コバルト文庫は、集英社文庫が出来る前から存在していた気がする。

話がだいぶ逸れてしまったが、何が言いたいのかというと、ジュニア小説は、性的なことを扱うジャンルでもあったということだ。マンガが性表現で売れ行きが変わるように、ジュニア小説も性表現を売りにしていたような気がする、って違うか…。

そんな認識があったので、『桃尻娘』を読んだ最初の時に、ジュニア小説みたいだなと思ったのだった。『桃尻娘』は、まだ1冊だけで、全貌が表れていなかったし、橋本治の著作は、『秘本世界生玉子』も出ていなかったから、浅はかな私は、新手の風俗小説みたいに受け止めていたんだと思う。

新井素子の方は、ジュニア小説だけど、星新一なんかの流れをくむ作風だった(多分)し、デビュー作を書いた当時、まだ16歳とか17歳だったので、性的なことは扱っていなかった。

しかし、女子高生の一人称というほかにも、説明がくどい点も、橋本治と共通していたように思う。といっても新井素子の小説は、そのデビュー作しか読んでいないので、説明がくどいなんていうのも、私の記憶の捏造かもしれない。

ではジュニア小説ではない、ちょっと大人向けの小説って何なのか、といったら、って、なんだかハナシが飛んでしまったが、……当時の男連中には五木寛之の『青春の門』があった。ちょうど、第一部と第二部が映画化されて流行ってもいた。主演は田中健と大竹しのぶだ。佐藤浩市と杉田かおる版は、もう少し後だ。

村上龍や中上健次や高橋三千綱を読まないヤツも、『青春の門』シリーズなら読んでいた。『週刊プレイボーイ』で、富島健夫の連載小説「早稲田の阿呆たち」と、本宮ひろ志の連載マンガ「俺の空」を読んで、ちょっと飽き足らないなと思っていた連中には、純文学でもないエンタメとも言い切れない五木寛之の『青春の門』はうってつけだった。私も第四部くらいまで買って読んでいたし、何人かの同級生に、『青春の門』を貸した憶えがある。

『青春の門』も『桃尻娘』と同じ、青春大河小説だった。著者の五木寛之は、私の親の世代だったが、当時は旬な大流行作家だった。今の村上春樹並みに、みんなが読んでいた気がする。あ、…女の子が読んでいたかはわからない。

読書好きな男は、みんな読んでいたし、あまり本を読まない男も、五木寛之は読んでいた。一方の『桃尻娘』はというと、誰も読んでいなかった。

『桃尻娘』は、小説よりも、竹田かほり主演の映画の人気の方が勝っていた気がする。といっても、映画は日活ロマンポルノだったから、大ヒットってわけでもない。

確か、二、三本、映画化された後に、小説が講談社文庫になって、それからちょっと読まれるようになった気がする。

だから、それまで、私の周囲では、どんなに本好きなやつでも、橋本治は誰も読んでいなかった。私の知る限り、私のほかに『桃尻娘』読んでいたのは一人だけだった。そいつは私とは中学が一緒で、高校は別になっていたが、オタクの走りみたいな、ぼくの趣味至上主義、的なやつだった。

ところが、『桃尻娘』が講談社文庫になったら、急に橋本治ファンが増えた印象がある。ファンというか、読者だ。でも、その時は、時代はもう1980年代に入っていて、宝島や新人類やニューアカやコピーライターが花開いていた。

なんだか取り留めもない思い出を書いているが、この調子でいくと、橋本治の『桃尻娘』と新井素子を検証して、五木寛之の『青春の門』も検証するなんてことになりそうだ。しかし、私にはそんな能力はない。

デビュー作しか読んだことがないが、その後、新井素子はどうなっているのだろうか? そんな風に思ってしまったので、次の読書日記は、新井素子にしてみようと思う。

とりあえず、本屋にいって、新井素子の直近の本を買って来ようと思う。

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