見出し画像

大泉滉という俳優がいた、んだけど……


カンタンに調べてみてが、カンタンな調べ方だと、ほとんど何もわからなかった。というわけで、今回の文章には中身がない。

昔、大泉滉という俳優がいた。調べてみたら、1925年に生まれて、1998年に亡くなっている。生まれた1925年は、大正14年だ。しかもなんと、元旦の生まれとなっている。

本当だろうか?

別の日に生まれたのだが、きりが良いからと、元旦に届を出したのではないだろうか?

私の父などは、戸籍では昭和9年の1月9日の生まれになっているが、実際は、昭和8年の年末に生まれている。家が商売をしていたので、年末年始は忙しく、年をまたいで一段落した1月9日に届を出したと言われている。当時は、そんなことがよくあったのだ。

それに大泉滉なら、月日どころか2、3年違っていてもおかしくない。そう思わせる、とぼけた俳優だった。

ネットで1925年に生まれた人の一覧を見たら、二週間後の14日には、三島由紀夫が生まれていた。
18日にはフランスの思想家のジル・ドゥルーズ。
26日にはアメリカの俳優ポール・ニューマンが生まれている。
2月20日には、映画監督のロバート・アルトマン。
翌21日には、やっぱり映画監督のサム・ペキンパー。
3月4日には、日本でやけに人気のあったポール・モーリア、
12日にはノーベル賞の江崎玲於奈。
4月29日に作家の田中小実昌。
5月10日には脚本家の橋田寿賀子。
5月19日には、黒人人権運動家のマルコムXとカンボジアの独裁者ポル・ポトが同じ日に誕生している。

意味はないのだけど、なんだかおもしろいから、どんどん並べてみる。

6月6日に俳優の大滝秀治。
9月8日、俳優でコメディアンのピーター・セラーズ。
9月16日、ブルースギタリストのBBキング(もっと昔の人かと思っていた…)。
10月13日には元英国首相のマーガレット・サッチャー。
10月22日に、芸術家のロバート・ラウシェンバーグ。
11月17日、エイズで亡くなった有名人第一号?の俳優ロック・ハドソン。
11月20日、ロシア(ソ連)の体操選手マイヤ・プリセツカヤ、アメリカ司法長官だったロバート・ケネディ。
12月3日には韓国の金大中。

ただ生まれた年が同じだけだけど、やけに派手な人生を過ごした人ばかりで面白い。大泉滉はこのような人たちと同時代人として過ごしたことになる。


YouTubeにも大泉滉の動画は少ない。ここに貼り付けたのは、彼が出たCMを集めたものだ。

大泉滉といっても、今は知らない人の方が多いだろう。俳優だったが、代表作はと言われても、何も出てこない。主役をやるような人ではなく、脇役専門だった。

私が憶えているのは、「キイハンター」などで間抜けでとぼけたギャングをやっていたり、何かのドラマの脇役で、やっぱりとぼけたエロオヤジをやっていた姿だ。

ほとんどコメディ俳優と言っていいのではないか。それも、恐妻家で、いつも女房の尻に敷かれている情けない役柄ばかりだったと思う。

なんとなく藤田俊二と重なるが、大泉はロシア人の血を引くクォーターだったから、パッと見、かなりハンサムだった。それにサルバトール・ダリのような口ひげを生やしていたから、一風変わった風貌をしていた。

晩年の大泉滉には、農業のイメージがある。確か、自宅で畑をやっていたと思う。似たようなタレントに後の柳生博がいるが、八ヶ岳のふもとで森の再生やらレストランなどを経営した柳生には、ビジネスとか環境運動とかアウトドアというコトバが当てはまるイメージがあるが、大泉滉のはあくまでも家庭菜園のイメージだ。

冒頭に貼り付けたYouTube動画の中のポンジュースや冷蔵庫のCMなども、大泉の家庭菜園のイメージから来た仕事のように思える。

私は、大泉滉が好きだった。好きというよりは、気になっていた。一般的に俳優は、それまでと違った役に打ち込んだり、それまで以上の熱演をしたりすると、評価されるものだ。

しかし、大泉滉は、力の抜けたテキトーな役ばかりやって、どうやったって熱演はしないし、時代劇だろうが現代劇だろうが、テレビCMだろうが、どこで見ても同じなのだった。

ギャグをやっても、というか、ギャグしかやらないのだが、受けなくても別にいいという調子で、どこか投げやりな感じがした。いや、「投げやり」というのも違う。

「投げやり」というのは、相手に対して、投げつけるとか見せつけるとか、相手があって、相手に対してこちらから、一方的であろうがなかろうかすこしは積極的な働きかけがあって、成り立つものだ。ところが、大泉滉の演技には、「対相手」が、なかったように感じるのだ。

ギャグをやって、それを見た人たちに、ウケてもウケなくても、あるいは、その反応が自分に戻ってくる前に、大泉は「あっそっ」と言って引っ込むみたいな、そんな遠慮をする感じだ。

誰とも、どこととも、噛み合わなくてもいいや、という感じ。それは「投げやり」になったり「諦め」たりする以前の段階に見えた。

そういう「遠慮」の人がテレビに出ているのが、私には不思議だったのだ。
そして、大泉滉は、黙っていると妙に立派な顔をしていた。

私には、大泉滉のように、気になる人が、芸能人や有名人、あるいはプライベートで街角で出会う人も含めて、何人もいて、その人達のことを頭の中で時々思いだしては、記憶をまさぐったり何か解釈を思いついたりしている。何をしているのだと言われそうだが、子供の頃からそうなのだから、いまさらどうしうようもない。


大泉滉に関しては、一度、調べたことがある。当時はインターネットなどなかったから、図書館で、タレント名鑑みたいな本を見て、調べたような気がする。

その時、わかったのが、父親が、日本人とロシア人のハーフで、作家だったということだ。しかも、ロシアの作家、トルストイと直接会ったことのある唯一の日本人と書いてあった。

父親の本を探したら、そこの図書館にも1冊あった。1冊本だったか、何かのアンソロジーの中にあったのかは、憶えていないが、怪談噺のような小説で、ペラペラページをめくって少し読んでみたが、面白くないから、借りなかった。

父親の名前は「大泉黒石」といった。その名前だけは、しっかりと覚えた。
しっかりと憶えたつもりになっていたが、いつの間にか「大泉大黒」になっていた。

大泉大黒が、大泉黒石に訂正されたのは、つい最近だ。今年の3月に四方田犬彦の『大泉黒石  わが故郷は世界文学』という本を書店で見たのだった。


この本は、四方田犬彦が書いた大泉黒石の評伝だ。読めば、大泉黒石の生涯と活動のかなりのことがわかる。でも、四方田本を読んでも、大泉滉のことは、当たり前だけど、たいしてわからなかった。

4月になったら、岩波文庫から大泉黒石の『俺の自叙伝』が出た。すぐに買って読んだ。

1919年(大正8年)から、数回にわたって、雑誌『中央公論』に書かれたものを纏めてある。当時の『中央公論』は、こういうものが載る雑誌だったことに、驚く。

とても面白い本だった。が、息子に関しては、生まれたことしか書かれていなかった。

ということで大泉滉については、謎のままだ。でも、いつの間にか「ウィキペディア」の大泉滉と大泉黒石の文章量が増えていた。正しい情報かどうかはわからないけど、これらを読むと、二人についての大まかなことがわかる。



YouTubeで大泉滉の歌を見つけた。

曲名は、「UFO音頭」だ。大泉滉が歌っている。ふざけた内容の曲だ。大泉滉は、やっぱりふざけた人だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?