見出し画像

箱男のこととか、背の低いおじさんのこととか




映画『箱男』は、なんで実写映画だったのだろうか? 

30年近く前に、やっぱり石井岳龍監督で、映画化しかかり、クランクインの前日に頓挫したのだと言う。日本とドイツの合作で、ドイツで撮影する予定だったと言う。今回は、監督の執念が実って、ついに完成したとか。

男性俳優の配役は当時のままだというが、女性は誰だったのだろうか? 女性だってそのままで作れば良かった気がする。

ところで、私は、箱男を映画化するのなら、アニメの方が向いていると思った。というか、思っていた。

ずいぶん昔だけど、松本太陽の『鉄コン筋クリート』がアニメになったとき、この絵で箱男をやればいいのにと思ったことを思い出した。

街の中で箱男たちが跋扈?する長編活劇にすればいいのにと思ったのだ。思っただけで、公には言っていない。その頃、SNSといったら、ミクシィくらいしかなかった気がする。でも友達には言ったかもしれない。


今回の実写映画の箱男は、やたらと閉塞感があった。意図的な演出による閉塞感もあるのだけど、それ以上にロケ範囲の狭さが私は気になった。

箱男は、街の中の存在なのに、この映画で街が出てきたのは、主要登場人物たちが出てくる前の、最初のイントロ部分だけだ。そのあとは、ひとけのない、というコトバが当てはまりそうな場所ばかりが映画の舞台だった。

街っぽいところが出て来ても、それは人の通っていない道路とか、しなびた商店街だったりした。一部、歌舞伎町の裏通りみたいなところとか、ゴールデン街っぽいところも出てきたが、映画の舞台というほどではなかった。

映画『箱男』に出てくる風景は、人の居るところを避けた野良犬の生息地みたいな感じがした。画面にその他大勢の人も出てこないのだ。私には、通行人が少な過ぎる気がした。

私の頭の中の箱男は、街中に生息しているイメージだ。この映画は、きっと予算の関係で、人のいないところでばかり撮影したのだろう。それなら、余計、アニメだったなら、雑踏の中に箱男を存在させることができたと思う。

アニメなら、現実の制約から解かれて、視覚表現も、物語の展開の幅も、いくらでも広げられたと思う。なんて勝手なことを、ど素人の私は勝手に思うのだ。


私は、安部公房の『箱男』という小説を読んで以来、時々、箱男を妄想してきた。

読んだのは、『密会』が出たあとだから、高校生の時だ。その当時、新潮社から純文学特別書下ろし作品という、箱入りのシリーズがあって、大体、安倍公房の小説はそれで出ていた。

遠藤周作とか開高健とかも、このシリーズで読んだ。安倍公房作品は、一番最初に『密会』を読んで、はまって、短期間に一通り読んだのだった。

以来、頭の中に箱男がすみついちゃったのか、時々、浮かんできた。街を歩いている時に、いるはずのない箱男がいないか探してみたり、道路の端とかガードの下や、ビルとビルの隙間を見つけては、ここなら箱男がいてもいいなと思ったり、自分が箱男だったら、ここを根城にするなとか、いろいろと妄想するのだ。

60代のジジイになっても、時々、箱男のことを妄想し続けていた。頭の中が、成長していないのだ。

以前、知り合いと一緒に新宿を歩いている時に、箱男のことを喋ったことがある。その時は、郵便ポストの中に人がいたら、ポスト男だねとか、そんなハナシもしたと思う。

私は、円柱の大きなポストや四角いポストの中に人がいて、中から往来を眺めている姿を妄想していた。

調子に乗ってしゃべり過ぎたのか、あきれられてしまって、その知り合いとはその後の付き合いが疎遠になった。若干だけど、信用を失ったんだと思う。だから、なるべく人には話さないようにしてきた。


箱男になるには、最低限、野宿はできないといけないと思って、アパートのベランダで寝てみたこともある。そのときは、夏でも冬でもなかったが、一時間も持たなかった。

ベランダで寝るために、どんな準備をしたのかも忘れてしまったが、蚊が飛んできて、耐えられなかったのだ。

私は、田舎育ちなので、昆虫とかは平気だが、蚊は苦手なのだ。特に30歳を過ぎてからは、蚊に刺されると、皮膚が人並み以上に腫れるようになった。蚊に限らずとも、何かあると、すぐに赤く腫れるのだ。だから、キャンプとかアウトドアも、多分、向いていない。

ベランダで一晩過ごそうと思ったのは、まだ一人暮らしをしていた頃だから、年齢的にも30歳前だったけど、それでも蚊が駄目だった。今でも部屋の中に蚊が一匹いるだけで眠ることができなくなる。そんな人間では、箱男になることはできない。

吾妻ひでおの『失踪日記』を読んだ時も、箱男のことを考えた。

かとうちあき という人の『あたらしい野宿』という本を読んだ時にも、箱男のことを考えた。


でも私の場合、自分が箱男になりたいわけではない気がする。箱男という存在は現実的じゃないし、箱男を実践するには、クリアしなければならないことが多すぎる。

箱男について、私は何を考えていたのだろうか?

考えているというよりも、漠然と、思っているといった方が、近い。その思いだって、箱男が、どこかにいればいいな、とか、ここにいればいいな、という程度の願望だ。

街中を歩いていて、「あ、箱男だ」なんて気づいたり、「なんだ、箱男か」ってガッカリしたり、そんな日常があればいいな、っていう程度の妄想だ。変かなあ…。

これを書きながら、思い出した人がいる。
そのおじさんについて書く。

そのおじさんは、箱男ではなかったし、ホームレスでもなかったが、その道にはちょっと通じた人だった。




その頃、住んでいたアパートの近所のガード下に変な物があった。物というか、建築廃材が柱際に積み上げて置いてあっただけなのだが、その体積は、高さは1メートル半くらいで、長さは2メートルくらい、幅も2メートルくらいあったと思う。

ある朝、そこから人が這い出してくるのを目撃した。

時々、道ばたですれ違う背の低いおじさんだった。すれ違うときは、いつも酔っ払って千鳥足で歩いていた。大抵、片手に持った缶酎ハイを飲みながら歩いていた。

その頃、50代か60代に見えた。がっしりした筋肉質の体型で、ハンチングをかぶって、ニッカーポッカーでブーツタイプの安全靴を履いていた。

いつも酔っ払って、私の前を歩いていたから、追い越して、廃材置き場のちょっと先にある自分のアパートに私は帰っていた。

その朝は、なにか予定があって、私は早朝に家を出たのだった。おじさんが出てきた廃材の山が気になったが、そのまま出かけたのだった。その日の夕方だったと思うが、帰宅したときに、朝、おじさんが出てきた廃材の山を確かめに行った。行ったというよりは、帰り道の途中にあったので、寄ったのだ。

その堆積は、外から見たら、廃材がただ積み上げられているだけに見えたが、どうやら中が空洞になっていた。

短い角材やバケツが置いてあって、入り口は隠されていたが、奥にテーブルだか机があって、その下に人が一人、寝転べられるくらいのスペースがあった。

床というか地面には、潰した段ボールが数枚重なっていて、その上に缶チューハイの空き缶がいくつも転がっていた。ちょっと潜って、顔を入れてみたら、こもった臭いがした。

どうやらそこはおじさんのネグラのようだった。机の下だから、廃材が崩れてくる心配はない。ガード下だったから、雨は直接かからないし、中に入ってしまえば、人目にもつかない。

冬はいくらなんでも寒いだろうし、夏は暑いだろうから、毎晩、そこで過ごすのはきついと思ったが、時々、利用する分には問題ない気がした。私はおじさんが、酔っ払って家に帰るのが面倒になった時とかに、そこで寝ているのだろうと推測した。

おじさんは、どう見てもホームレスではなかった。すれ違う時にお酒の臭いはしたが、浮浪者のような脂ぎった臭いはなかった。清潔ってわけではなかったが、こ汚いって感じでもなく、普通だった。

だから普通に、建設業かなにかの仕事をして、普通に着替えて、普通にお風呂に入っている、フツーの人の印象を受けていた。

ガード下に勝手に眠れる拠点を作って、ひそかに利用しているおじさんが、私にはとてもステキに思えた。まともに考えると、箱男とはまったく違うのだが、私にはおじさんが、箱男とどこか繋がっているような感じがして、ワクワクしたのを憶えている。

それ以来、時々、中を覗きに行った。空き缶やごみが、生活の痕跡のように増えているのだが、おじさんが中にいるところには遭遇しなかった。

ある時、遊びに来た友達に、そのおじさんと廃材の中の空間について話をしたら、今から見に行こうと言う。気乗りはしなかったが、友人を連れて、廃材置き場に行った。

幸い、おじさんは留守だった。

中に潜り込んだ友人が、競輪新聞みたいなのを持ち出してきた。そして、競輪で有り金を全部すってしまって、家に帰る交通費もなくなった時に、ここに泊まっているんじゃないかと言い出した。

確かにそこから少し離れたところに競輪場があった。近くはないが、歩けない距離ではない。

しかし、朝になったからって、家に帰る交通費がどっかから出てくるわけでもない。千鳥足になるくらい酔っ払っているのだから、お酒を買うお金はあるのだ。交通費がないっていうのは、理屈に合わないと、私が言うと、友人は、競輪新聞が証拠だ、競輪をやる人間というのはそういうもんなんだ、交通費はなくても、酔うためのお金は残しておくんだと断言した。

酒に回すお金があったら、それこそ車券を買うだろうと私が言うと、友人は気分を害してしまった。

その後、言い争いのような展開になって、友人は帰ってしまった。それが理由でもないが、その後、二年間くらい、その友人とは会わなかった。


その後も、背の低いおじさんとは時々遭遇した。あるとき、私はおじさんの10メートルくらい後ろをつけてみた。

おじさんは例の廃材の山につくと、地面に腰を下ろして、缶チューハイを飲み出した。つまみなのか、ポケットから何か出して食いだしたりもした。一人酒盛りだ。

私は隠れて見ているのが面倒になって、自分のアパートに帰った。だからおじさんがあの中に入るところは、一度も見ていない。


気がついたら、ガード下で工事が始まっていた。廃材の山は跡形もなくなっていた。

フェンスで囲われて、それまで何もなかった空間に、遊具が設置されて、地面にはやわらかい砂が敷きつめられて、瞬く間に児童公園になってしまった。

そのすぐ後に、私も引っ越してしまったので、おじさんがどうなったのかは、わからない。

安倍公房の『箱男』を読んで、もう40年くらい経つが、未だに箱男を発見していないし、箱男になった人も知らない。当たり前か…。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?