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「闘犬」と「闘牛」 家の裏に土佐犬が二頭いた

なんだか、スイッチが入って、子供の頃のことを思い出している。せっかくだから、書き残しておく。今回は土佐犬のことを書く。

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子供の頃、斜め裏の家に土佐犬が2匹いた。二匹ともとても大きな犬で、畳二枚くらいある大きな檻に入っていた。私は怖くて、檻には近づけなかった。いつも我が家のブロック塀の内側から、犬の様子を覗き見ていた。二匹とも闘犬だった。強いらしく、どちらかは大関だと聞いた。

軽トラの荷台に檻が据えられていて、犬たちはそれに入れられて移動していた。試合があった日の夕方には、血だらけになって帰ってきた。動物病院に連れていくなんてことはなく、その家の闘犬をやっているお父さんが、でっかい瓶に入ったラードのような軟膏を傷口に塗るのだった。

犬たちは痛がって身をよじるのだが、お父さんは犬の頭をぼこぼこ殴って、動くなと言って、ギトギトの軟膏を塗るのだった。私にはお父さんが、土佐犬たちに嚙まれないのが、不思議でならなかった。

その家のお母さんが、よく犬の自慢をして聞かせてくれた。どっちの犬がどういう性格で、どっちの犬がどういう技が得意だ、というハナシだったが、私は憶えられなかったし、すぐに忘れてしまった。お母さんは、お父さんと一緒で、土佐犬が怖くないし、大好きなのだった。

土佐犬は、二匹とも、ほとんど吠えなかった。鳴いたり吠えたりしないので、私には余計に不気味だった。試合中に鳴いたら負けになるので、鳴かないように訓練しているのだとお母さんが言っていた。闘犬の勝敗は、どちらかが悲鳴をあげたら、それが負けの合図になるらしかった。

土佐犬は、とにかく涎の量が尋常じゃなかった。夏など、ハアハア呼吸をしながら、口の端から大量の涎を垂らしているのだ。

それは何か餌食になるものを狙っているから、涎を垂らしているのだと、私は思い込んでいた。私は、常に狙われているような気がして、落ち着かなかった。かじられる! 食べられる! と怯えていたのだ。

でっかいベロで水をすくい上げ、ガボガボと飲む光景も恐ろしかった。犬は汗をかかないので、涎を出すことで体温調節をしているのだと私が知るのは、我が家で犬を飼うようになってからだ。

犬は、ちゃんとしつければ、人の言うことをきくのだ、と思えるようになったのも、我が家で犬を飼ったからだ。それまでの間、裏の家の土佐犬は、私にとっては人を襲う野獣に見えていた。

その家の応接間には、化粧回しをした犬の肖像画が二枚飾ってあった。油絵で描かれた先代の犬たちの勇姿だ。畳半分よりも大きい絵だった。私が本物の油絵を見たのは、それが生まれて初めてだったと思う。いつも、椅子に登って、油絵に顔を近づけて、ニオイをかいでいた。

その家では昔から土佐の闘犬を飼っていて、その時いた二匹は何代目かだった。その二匹も成績優秀で、立派な化粧まわしを持っていた。

犬ごとに、アルバムも作ってあった。背表紙には、本当のお相撲さんのような名前が書いてあった。お母さんが広げて見せてくれるのだが、どの犬がそこの家の犬で、どっちが対戦相手なのか、私には見分けがつかなかった。写真はみんな白黒だったから、そんな昔の頃のことだ。

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そのお母さんは、お父さんよりも背が高く、当時には珍しく、いつもGパンを履いていた。スカート姿の記憶がない。そして、とても派手な模様の入ったピンクのジャンパーを着こなしていた。今、思い返すと、あれはスカジャンに思えるのだが、当時の岩手にスカジャンなんかあったのだろうか。そのお母さんは、私にはとてもかっこいい人に見えていた。

毎日、夕方になるとその家のお父さんが、二匹を連れて散歩に出た。一体、お父さんは何の仕事をしていたのだろうか? 

お父さんは、お母さんよりも少し背が低かったけれど、筋骨隆々のたくましい人で、いつもキャップを被っていた。散歩用の綱も、きれいな模様に編み込まれた太い綱だった。二本の綱を、右のわきの下から背中を回して、左の肩にぐるりとかけて、右の腰の辺りで結ぶようにして、抱えていた。いつも一時間くらい時間をかけて、散歩をしていたような気がする。

私が外を歩いている時に、お父さんの土佐犬の散歩に遭遇することがあった。私は、怖くてすれ違ったりできなくなるのだった。もう帰らなければいけない時間なのに、自分の家に帰れなくなると焦るのだった。

大抵は、別の道に曲がったり、塀のある他人の家の敷地の中に避難して、息をひそめていた。いざという時のために、石を拾って握りしめているのだが、本当にやっつけるには、コンクリートブロックくらいの大きな石でないと役に立たないとわかっていた。それに犬は二匹いた。どうやっても逃げられないと思っていた。

お父さんは私が隠れているのをわかっていて、私に「おう、帰ってきたか」とニヤニヤ笑いながら声をかけて、通り過ぎるのだった。犬は二匹とも私に見向きもしないのだった。

時々お母さんが二匹の散歩をしている時があった。女の人が二頭を散歩させているのだ。犬が暴れだしたり逃げ出したりしたらどうするのだ、女では対応できないだろうと、私は怖くて仕方がなかった。

私はお父さんが土佐犬を散歩に連れ出すのを確認してから、裏の家に遊びに行っていた。だから行くのはいつも夕方で、台所ではお母さんとお婆さんが、ご飯の支度をしていた。

その家では、いつも大量に天ぷらを揚げていたような印象がある。我が家と違って大人が多いから、てんぷらを大量に、豪快に揚げていたのだ。

お母さんが、サツマイモの天ぷらを「はい、どうぞ」と言って、私にくれるのだが、大きいし厚いし、食べてしまうと、帰ってから自分の家の晩御飯が食べられなくなるのだった。

私は土佐犬たちが戻ってくると、走って自分の家のブロック塀の中に逃げ帰るのだった。

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私自身は一度も見たことはなかったが、その頃、岩手でも闘犬が普通にあったのだと思う。その頃というのは、私が幼稚園の頃だから、今から55年以上も前のことだ。当時、闘犬が、どこで、どれくらいの頻度で行われて行われていたのかは、わからない。

現在、闘犬はどうなっているのだろうか? ネットで調べてみたが、すぐに判明するかと思ったら、これがよくわからなかった。

大本である高知県の土佐に、「土佐闘犬センター」という施設があったようだが、現在は閉鎖されている。

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「とさいぬパーク」というのが「土佐闘犬センター」がリニューアルしたものだ。それが閉鎖されたのが2017年の5月だ。

闘犬の本場の土佐高知でこの状態なのだから、岩手でもとっくの昔に駄目だろうと思って探してみたら、

岩手の沿岸部にある洋野町で開催された闘犬を観てきたというブログを発見した。「とさいぬパーク」が閉鎖される7年前の2010年に更新されたものだったが、少なくとも2010年までは岩手で闘犬が行われていたことがわかった。

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朝日新聞デジタルにこんな記事を発見した。ここには試合の動画もある。2017年の記事だ。青森では年に四回大会が開かれていたことがわかる。

その後、土佐闘犬の愛好家による、闘犬の情報サイトを発見した。そこには、なんと、2020.11.22 に静岡県富士市で闘犬が開催されると予告されていた。が、その後に、その様子を伝える記事はなく、更新そのものが止まっていた。

コメント欄をみると、動物愛護の人たちやそれに便乗した人からのコメントで、恐ろしく荒れていて、それっきりになっている。現在はこのサイトは、放置されているようだった。

結局、闘犬を巡る現状については、わからなかった。しかし、2020年の最近まで開催されていたことは、わかった。もしかしたら、関係者や愛好者限定で、今も行われているような気がする。情報がネットに出てこないのは、外部にしれると炎上するので、非公開にしているような気がする。

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我が家の裏の土佐犬一家は、私が小学校中学年の頃に、郊外に引っ越して行った。市街地からは離れるが、広い庭があって、犬を育てるには環境がいいのだとお父さんが言っていた。

一家と書いたが、そこの家の家族構成はどうだったのか、思い出してみる。
おじいちゃんとおばあちゃんがいた。確か、おじいちゃんのお葬式が私の小学校の時にあった。式の間、土佐犬たちは、檻ごと、どこかに運ばれていて、姿が見えなかった。

お父さんとお母さんのほかに、子供が二人いた。子供は男と女で、もしかしたらもう一人男の子供がいたかもしれない。

子供たちは、私よりもずいぶん年上で、私が幼稚園の時にすでに高校生で、気が付いたらみんな見かけなくなっていたから、きっと独立したのだと思う。

お母さんの年齢しては、子供たちの年齢が高いのが、不思議だった。もしかしたら、お母さんは後妻で、子供たちはお母さんの生んだ子供ではなかったのかもしれない、と今ごろになって思っている。

闘犬一家が引っ越した後、その家にどんな人が住んでいたのか、まったく記憶にない。その家はとっくに建て壊されて、今は別の家が建っている。

ここまで書いてみたが、いまだに闘犬一家の名前が思い出せない。表札に「徳」の一文字があったような気がするが、苗字なのか名前だったかわからないし、もしかしたら勘違いかもしれない。お父さんの仕事も、やっぱり憶えていない。最初から知らなかったのかもしれない。



ちなみに岩手では、闘牛も行われている。実は私も最近まで知らなかった。
結構、歴史のあるものらしい。開催されているのは、「あまちゃん」で有名になった久慈市だ。



「いわて短角牛の郷-平庭闘牛-」という動画も公開されている。


現在、闘牛は観光資源となっているようだ。闘牛といっても、牛がどつき合うだけだ。スペインの闘牛のように殺傷したりはしない。また、噛み合って血を流す土佐闘犬とも違って、イメージが良く、世間に受け入れられやすいのだと思う。土佐闘犬との落差の大きさに、ちょっと驚く。


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