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カラスのこと

先日、出勤したら、駐輪場に何かが落ちていた。私がいつも自転車を置く、まさにその位置だ。なんか不吉な感じのする、長さ、3、40センチの黒い物体だった。

近づいたら、それは仰向けになったカラスだった。野生の鳥が、コンクリートのたたきの上に、仰向けに転がっている姿など見たことがなかったから、驚いた。

死んでいるのかと思ったら、時々足がぴくりと動いた。目も閉じたり開いたりする。まだ死んでいないのだが、もうじき死にそうに見えた。

よく見ると、頭部が血塗れだった。割れているように見えた。コンクリ面に血の跡が何カ所かあった。一つは大きく、もう一つは小さかった。二つとも、なすりつけたような跡だ。きっとカラスがのたうち回ったのだ。

今は精魂つき果てて、仰向けになってしまったのだろう。仕方がないので、少し離して自転車を停めた。


事務所に入っていくと、早番のSさんが、私を待ちかねていたのか、カラスのことをしゃべり出した。朝の六時半には発見されていたようだ。

最初の頃は、仲間のカラスが2、3羽、周囲を飛び交って、カアカアやかましかったのだそうだ。カラスに襲われるかもしれないと、脅威を感じたそうだ。

私の出金時間は朝の九時からだっので、そのときは九時ちょっと前だ。私が来た時には、既に周囲にカラスの気配はなかったが、早番のSさんは、カラスに怯えていた。死にそうなカラスにも、カアカア鳴いていたという周囲のカラスにも怯えていた。

そして、夜勤のスタッフからカラスの処理をひきついで、どうしたらいいのか、一人で困っていたのだった。

私は花壇のどっかに穴を掘って埋めてしまえばいいんじゃないかと言ったら、Sさんはそんなことは出来ないし、怖いし、カラスに触りたくないし、そんなことはしたくもないし、カラスなんか、見るのもイヤだと言った。加えて、そもそも勝手にそんなことをしてはいけないのだ、と言いはった。

たまたまその日は、二週間おきに、施設の外周を掃除する業者が来る日だったから、業者に任せようということにした。

それから10分もしないうちに業者はやってきた。親父とおばさんの二人組だ。カラスのことを伝えると、さっそく見に行った。

やっぱりカラスはまだ生きていた。生きていると手出しは出来ないと二人は言った。触れてどかすことすら出来ないと言うのだ。

国の法律なのか都の条例なのかわからないが、野生動物保護法というヤツがあって、そういう決まりになっているのだと言う。

自分の家のベランダに鳩が巣を作ったら、それをどかしたり壊したりしてはいけないのだそうだ。まして産んだ卵を捨てたりなんかしたら、罪に問われるらしい。

だからまだ生きているカラスには、絶対に手出しが出来ないのだと言う。死んでいたら、廃棄出来るのだそうだ。

そのカラスは、建物の窓ガラスに激突したのだと、業者のおばさんの方が言った。見に行くと、廊下のガラスにぶつかったらしい痕跡があった。外を覗くと真下にカラスが転がっていて、やっぱりまだ目だけぱちくりしていた。Sさんは気持ちが悪いと言って、見に来なかった。

仰向けにひっくり返ったカラスをそのまま放置するのもなんだと思ったが、業者はそのままにするしかないと言う。仕方がないので、それに従った。


昼になったら、同じビルに入居している隣の会社の人が、派出所のお巡りさんと一緒にやってきた。なにか事件でもあったのかと緊張したが、カラスのことだった。

お巡りさんが言うには、カラスがまだ生きているから手出しが出来ない。でもカラスは、回復見込みはない状態だ。死ぬのは時間の問題だ。しかし、そのままさらしておいても、気持ちがいいものではない。だから、段ボール箱を上から被せて、その上に重石をおいて、中にカラスがいる、さわらないようにと、張り紙をしたと言う。

隣の会社の人が通報し、やってきたお巡りさんと一緒になって、そのように処置したのだと言う。

カラスは仲間意識が強いので、倒れたカラスに近づいたら、襲ってくるかもしれないので、くれぐれも気をつけてください、会社のみなさんにもそのように触れ回ってくださいと、お巡りさんは真剣な面持ちで言った。

カラスのことは、市役所のクリーンセンターが処理するとのこと。今日は土曜日だから、明後日の月曜日午前中になるだろうとのこと。クリーンセンターには、月曜日の朝一番に、隣の会社の人が電話連絡してくれる手筈になった。

またコンクリについたカラスの血などの汚れも、カラスが撤去された後に、となりの会社の人がやってくれるとのこと。結局、私たちは何もやらないで済むことになった。

お巡りさんは、三〇代の後半か四〇代くらいに見えた。帰っていく後ろ姿を見たら、拳銃のホルスターも身に付けていたし、手錠も見えた。

昔と違って今のホルスターは銃把まで覆っているので、中に拳銃がしまってあるのかは見えなかったが、普通に考えたら入っているのだろう。逆に手錠ケースは、銀色の輪っかの部分が半分近く見えるようになっているので、すぐに取り出せそうに見えた。

警棒はなかったように見えた。私が気が付かなかっただけで、伸びる鉄の棒を身に着けていたのかもしれない。

拳銃を持っているくせに、カラス一羽どかせないのか、って、八つ当たりみたいなことを、ぼうっと思った。私は性格が悪い。

それにしても、たかだかカラス一羽が、こんな大事になるとは、今の東京は、日本は、どこかが間違っている気がした。


月曜日に出勤した際には、駐輪場にはカラスの段ボールはまだそのままあった。十二時くらいに廊下を通ったら、段ボールはなくなっていた。

窓越しに見たコンクリートには、カラスの形のシミがついていた。夕方帰る時に駐輪場に行ったら、カラスのシミもコンクリの血の跡も、まだそのままだった。カラスの羽も三枚、隅に残っていた。

翌朝、出勤した時には、血の跡は洗い流してあったが、カラスのシミはそのままだった。

その後、ゲリラ豪雨のような雨が降って、カラスのシミは見えなくなったが、羽は一枚だけ残って、隅っこに貼り付いている。


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