『もののけ姫』のアシタカを覚えている範囲で擁護する。

※とてもわかりにくい前書き

直近の2023年の夏あたりのテレビ放送を受けて、当時SNSを中心にアシタカがあまりにも嫌われていることに、放送から数日後に映画本編を改めて見て時間差でショックを受け、そのときから諸事情でまだ半分しか見返せていないが、自分で生活に発破をかけるためにもアシタカに対する気持ちをメモ代わりに書いてみる。文章を書く練習でもあるので読みにくいと思います。短いですがおつきあいいただければ幸いです。

短めの本題と擁護

アシタカがカヤの小刀をサンに渡すシーンは批判が多い。このやりとりには私も個人的に人の言葉や思いの儚さを感じるし、寂しいシーンだと思う。

様々な見方があるようだが、この行動を中心にアシタカを見ているように感じる、インターネットにおけるアシタカへの風当たりが強すぎるように思う。

他の言動はあの時代のあのくらいの歳(17歳らしい)には仕方のないことだと思う。村の為に生きてきて、村の為に危険を顧みずに行動し、村の為に追放され、自らの命も落とす呪いを受けて、不本意に誰かの命も奪ってしまいながら、孤独と不安で迷い、いきなり突きつけられた死と呪いへの覚悟もできていないと思う。

タタラ場でひとりで全員分のたたらを踏んだのも、この忌まわしい呪いにも誰かに喜んでもらえる側面がある、というささやかな祈りと慰めのように思える。この時代に思春期があったかはわからない(ないと思っている)が、作中で唯一の青年として描かれている中で(うろ覚えだがそう記憶している)、等身大の感情と行動だと思うし、その中で最大限できることをしていると思う。


以上、もののけ姫を去年の放送で半分しか見ることができていない人間が、もう一度もののけ姫の映画にちゃんと向き合うための導線としてインターネットで綱渡りをしただけのメモ書きでした。続きを、あるいはまるごと見返したらまた追記します。

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