広くて深い夢女の世界 Part3 SNS時代の夢女と夢作品

晒し地獄の時代、メジャーなジャンルはほとんど焼け野原にされてしまったのを目の当たりにし、当時個人サイトを持っていた私も戦火から逃れるため、一位を独走していたランキングを惜しくも抜け夢サイト運営を辞めた。

晒したちがたどり着けないほどのマイナージャンルと、メジャージャンルでファンとして仲良くしていた夢作家さんの既存ファンだけしか見ることができない新規ユーザーお断りの鎖国サイトだけを周り、あとは自分でガラケーやスマホのノートやPCに書いて満足していた。(その数ゆうに一話の文字数を約6000字とし1万話を超える数の作品がファイルに埋もれたまま)

晒し騒ぎの間、閉じこもっていたため、SNSや支部の夢とはあまり関わり合いにはならなかった。夢界隈でも個人サイトの住人とSNSの住人、支部の住人、そして占ツ/クの住人では間に大きな田んぼがあるくらいちょっと違っていたからだ。

mi〇i時代の夢事情にあまり詳しくないため、すっとばしてツ〇ッター時代についてお話しさせてください。

ツ〇ッター時代初期、地獄の晒し時代に逃げも隠れもしなかった夢女たちが気軽に自分の妄想を同士に届けて繋がることができるツ〇ッター。隠れていないけれど、そもそもツ〇ッターだって最初からユーザー数が今ほど多いわけじゃなかった。
だから、夢作家が隠れずに妄想をたれ流そうと、♡の数なんか囲いがいれば貰えるけど、貰えないことの方が普通で、本当に日本人で言うところの独り言のような呟き程度のものだった。
推しジャンルの話をしようがそれが話題のツイートに上がることがまずない。
今までのセオリーでいくと、ここでわかることは、人口自体が少なければ争いにもならないということ。SNSの夢女も最初のうちは個人サイト黎明期並みにそうだった。

生き残った隠れない人の中で最初にSNSを見つけた少数が盛り上がり、だんだん広がっていき…そして今のような形になった。
そう今のような形は、ツ〇ッターでの夢は基本的に棲み分けするつもりの人がやり始めたことじゃない。
SNSは自分と気が合う人と繋がるための場所だ。繋がることと隠れることは同時にはできないのは少し考えればわかることだと思う。
棲み分けに執着していた世代は、この時点でツ〇ッターでの夢文化には関わっていなかったはずだ。

そもそも夢女でも隠れるための棲み分けをあんまりしてない方の人たちが活動拠点に選んだSNS、当初だれも棲み分けなんか深く考えていないでも楽しめる人だけがいたイメージだ。
少なくとも、だからこそ古えの夢女である私はそのスタンスに初めは馴染めずにいた。
いくらユーザー数が少ないとはいえツ〇ッターでやるなんてすぐアンチがわきそうだしメンタル強いなと感心したくらいだ。
馴染めなかった私は知ってる個人サイトだけを巡る日々を送っていたが、ある時、もうそろそろ新しい夢が見たいなという飢えと欲にかられてツ〇ッターで夢を探すことにした。

今度は棲み分けできていないのを覚悟してだ。そして見つけたのが、プラスタグだった。

夢女発端であるプラスタグは、ラ/ブプ/ラスを元に考案された夢女御用達のタグである。

プラスタグは主に自己投影型オタクとヘテロ恋愛派の性質をもった夢女が使用し始めた物である。
というのもプラスタグのプラスの部分にこめられているのは、ラ/ブプ/ラスのプレイキャラクターの容姿が映らないという特性とヘテロ恋愛という特性を引用したものだからだ。

夢界隈にも作品傾向の流行り廃りがありゴリゴリの容姿設定付き夢主から無個性夢主までに多くの流れがあり、個人サイト潰しが横行していたころ、最後に流行っていたのが無個性主だったと思う。

だから、そういう意味のプラスタグが流行ったのではないかと推察する。

主人公の姿かたち容姿設定の細かいところまでは140字では収まらない。だからそういうのは省いた二、三行のシチュエーションと相手キャラの台詞のみのSSよりも短い文は自己投影型もうちの子型もアバター型も各種夢女にとって読む側にいるときに共感しやすい新しい形だった。

長編文化でやってきた私にとって、最初は物足りなさを感じたけれど、夢作品において飢えというものは一滴の恵みでさえありがたく感じるものだ。
マイナージャンル出身の夢女であればわかるはず。

この時点でもすでに、プラスタグ=総じて夢タグだと思って夢主を登場させている作品はあったけれど、そもそも使っている人が一部だった(タグの始まりというのはそういうもの)ので、たいして炎上することもなかった。

しかし、このプラスタグ思ってもみない色々な要素を巻き込んで論争を起こすこととなる。

次回は夢女とプラスタグについてお話ししたいと思います。












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