広くて深い夢女の世界 Part5 名前変換のあるゲームと夢作品の分類

夢作品は二次創作なので、原作作品さえあればいくらでも生成可能である。
その中でも随分長い間マイナージャンルだったのに急にマイナーじゃなくなった夢作品のジャンルについてお話ししたい。

というのも、夢作品が名前変換と切っても切れない縁で結ばれているなかで、じゃあ作品自体に名前変換があるのはどうなるの?と、齟齬が起きがちなジャンルについてお話ししたい。

作品自体に名前変換があるといえば、思い浮かぶのはゲーム作品である。
この名前変換のあるプレイキャラクター=自分という設定の作品は中々の解釈違いを起こしやすい曲者だ。

まず簡単な問いから解決していこう。
名前変換のある一次創作ゲームは夢作品であるか?
答えはノーである。夢作品は二次創作のみに当てはまる言葉であり、公式が夢作品となるということはありえない。

では、名前変換のある一次創作ゲームの主人公は夢主という表記をしてもかまわないか?

ここで躓く人が多い。これはかなり入り組んだ問題だ。夢女歴10年弱の私が普通に答えるならばこれはノーである。

名前変換のできる一次創作ゲームの主人公は名前変換ができて自分の好きな名前を入力し、あたかも自分のようにふるまう楽しみ方も許されているが、あくまで作品内で他のキャラクターに認識されている状態で登場している時点で夢幻ではなくその世界線に生きる原作が考案したキャラクターである。

二次創作夢作家が生みだした、原作には登場しないオリジナルキャラクターではないため、このプレイキャラクターを夢作品の夢主として扱うことは夢作品とは言えない。

しかし何事にも例外はある。

夢作品は多くの作品傾向を抱えた種類豊富な作品が育つ土壌だ、中には成り代わりという作品傾向が存在する。
どのような特徴があるか、というと、まず成り代わり夢主は、既存のキャラクターの立ち位置に成り代わるという特徴がある。

どういうことか、というと例えば山田花子物語という作品があって、その中に山田花子という登場人物がいるとする、山田花子は物語の中で色々な人物と会話したり、困難に立ち向かっていく。その山田花子が体験する人生を夢主が肩代わりして要所要所で夢主が山田花子とは別の反応をしたりしなかったり設定とでも言えばいいだろうか。山田花子の役職を持つ別の魂を持ったキャラクターを作り出すということなのだが…。奥が深すぎて説明するのも難しい。

中でも、既存のキャラクターを消し去る場合と、消し去らず既存キャラクターが体験するはずだった物語を代わりに体験する場合やら、容姿は引き継ぐ場合と容姿も違う場合など内容はもっと細分化されているが、すでにいるキャラクターの役職にオリキャラを設置するこれが一番大きな特徴だ。

名前変換ができるかできないかは夢作家次第で、名前変換できない場合は要注意書きが必要。理由は様々だがこれが地雷だという読者が多くいるためお互いのために取扱い注意!な傾向の好きな人と嫌いな人が極端なものだ。

話を戻すと、これが名前変換できるゲーム作品などで夢作品を創作するときに、名前変換できるプレイキャラクターを夢主とできる場合の例外である。

それ以外のプレイキャラクターをそのまま使う二次創作はどんなにゲーム内にはない日常を描こうが、恋愛要素を描こうが、性格を改変しようがプレイキャラとして原作に登場している以上、NL、もしくは同姓愛のみの表記とデフォルトネームがあればそれを使ったカプ名表記、なければ主×(相手キャラ)表記が正しい受け攻めによって順は異なるが。これに夢関連のタグ、もしくはランキングに登録するとかなり炎上する火種になる。

書いてて思ったのだがこの辺りは夢界隈でも非常に曖昧な定義だと思う。

自分の中では、きちんと名前変換もできるようにするしこの子は夢主なんだ!と思うのは結構だが、炎上必須の案件であることは覚悟しよう。余計なアンチに付け狙われるのが嫌な場合は夢でやるのはやめた方がいいと助言したい。

特にこのことで小競り合いを繰り返しているのは名前変更できるプレイキャラが女の子の場合のゲーム、多くの場合を乙女ゲーム界隈である。

乙女ゲームの主人公を自分として、つまり自己投影している人にありがちなのだが、乙女ゲームの主人公に自己投影しているから、二次創作を書く時もこの子を使う。でもキャラとの恋愛だしこれは二次創作でも夢作品!という思考回路。

その考え方、色々混ぜちゃってるからまず整理してほしい。
ここで、ずっと言い続けている夢女=キャラ×自分の自己投影型の人のことじゃないよ夢作品=自己投影できる作品ではないよという大大大前提が生きてくるのである。

まず、A子の人間の性質が架空のキャラクターに自己投影ができる人物であるとする。
その自己投影の先が一次創作の作品か二次創作の作品か、あらゆるすべての作品に対応しているのかでジャンルに行きつく形というものが変わる。

パターン1
A子は一次創作の女性キャラに自己投影ができて、その女性キャラが登場する他の男キャラと関わるのが好き。→彼女は後に原作に登場する登場人物を扱うNL二次創作にハマった。

パターン2
A子は一次創作の男性キャラに自己投影ができて、その男性キャラが他に登場する男性キャラと関わるのが好き。→彼女は後に原作に登場する登場人物を扱うBL二次創作にハマった。

パターン2-2
パターン2の男性キャラの部分を女性キャラに変換。→彼女は後に原作に登場する登場人物を扱うGL二次創作にハマった。

パターン3
A子は一次創作のとあるキャラクターが好きでそのキャラクターを魅力的に感じた。けれど、そのキャラクターと関わる原作のどのキャラクター(名前変換可能な原作キャラ)にも自己投影ができない。(一部にむしろ嫌悪感を感じる人がいる)代わりに、二次創作の夢作品に出てくる原作には登場しないバリエーション豊富なキャラクター性を選べる夢主になら自己投影ができそうだ。→彼女は後に原作に登場する登場人物と、原作には登場しない夢主を扱う二次創作夢作品でも自己投影ができる夢作品のみにハマった。

このように女オタクの中で自己投影型の性質を持つA子が二次創作にハマることを前提として、いくつかのパターンをあげてみたが、なんとなく伝わっただろうか。

「乙女ゲームの主人公に自己投影しているから、二次創作を書く時もこの子を使う。でもキャラとの恋愛だしこれは夢作品!」というのが夢界隈の一部の人々を少しざわつかせる理由が。

乙女ゲームの主人公は原作キャラであるという認識が多い夢界隈で、パターン1であるはずの人が、夢作品についての認識を勘違いして、自分の活動を夢活動だと思い本来ならばNL解釈のはずの乙女ゲーム主人公×キャラを夢作品として発表し、乙女ゲームの主人公はあくまで原作の登場人物の一人であるという認識のパターン3の人と争うというのがざわつかせる理由です。

先述したように、乙女ゲームであろうと内容が恋愛であろうと、名前変換ができようと、容姿がみえなかろうと、ゲーム内に登場していてキャラに認識されている存在である限り、原作にはいない夢作家が作ったオリジナルキャラではないので乙女ゲームのプレイキャラクターは原作キャラクターであり一定の条件を満たさなければ夢主にはなりえない。

そこに自己投影しているかどうかは関係がない。

時々容姿が設定されていないものを作家が創作しているのだから、その部分がオリジナルでそれは夢の概念に当てはまるのでは?というふうに思われがちだが、それは単に既存のキャラクターを公開されてない情報の脳内補完として作り出した創作であり、容姿が公開されているキャラクターにいつも着ていない服を着せてみるとか、本当は発言しないようなことを言わせてみるみたいなちょっとした二次創作の延長線上で夢作品とはニュアンスが違うように思う。
ここはおそらく古えの夢女たちでもいろいろな意見がありそうで、正直筆者もこのことに言及するのに少しびくびくしている。

ゲーム系を原作としている夢小説においてプレイキャラクターは原作に登場しているから夢ではないという認識がおそらく、夢界隈では多く聞かれる話だとは思うし、私自身は今までそういう認識で活動してきた。

プレイキャラの容姿がないから創作して、部分的にオリジナルであるという事象は、少し成り代わり設定にも似ているけれど、大変曖昧な言い方をして申し訳ないがその二つは似てはいるが異なる。

そういう曖昧だけどなんとなくこうだよね……という要素があるのが夢界隈で混乱と発狂が怒る要因なのだろうけれど、それを解決できるのならとっくの昔に解決しているだろう。

どうしたらいいかというと、二次創作の夢作品にそんなに真面目に向き合うことはない。

真面目に気を付けるのは一つだけ夢作品を嗜まない人との棲み分けだけだ。
夢界隈内のルールはジャンルごとにローカルルールがあったり、時をかけてルールが変形していったり発祥のわからない伝聞だったりとかなりいい加減だ。

とにかく夢作家側で地雷チンピラや自治厨に極力絡まれたくない人は棲み分け用の表記がしにくそうな場所で作品を公開しないこと。
別に絡まれてもいいしそれより多くの人に見てもらって同士を増やして承認欲求満たしたいという人は目立ちすぎて原作に訴えられるのを覚悟して好きにすればいいと思う。
その一人のせいで二次創作全体が禁止になるかどうか心配な人、昔からそういう人は夢界隈だけじゃなくもっと広い意味で二次創作界隈に一定数いたし、訴えられるのは目立ってしまった人だけで、隠れている人たちをわざわざ探しに行くほど原作側は暇じゃないよ。

一方読者側で夢作品に関する認識違いや苦手傾向の夢作品で地雷を踏みたくないよという場合は、やはり棲み分け表記ができてない作品が多く提出されているコンテンツからは離れたほうがいい。別にSNSやってなくても生活には困らないし、むしろストレスの原因が減ると思う。

コツは苦手な人の多いコンテンツにしがみつかずフットワークを軽くしていくことと、表現の自由をお互いに許す心を持つことだ。

どうしてルールを守っている人がルールを破っている人に合わせなくちゃいけないの?という夢女の方がいたら、少し視界を広げてほしい。

二次創作という大きなカテゴリに属する夢界隈は果たして二次創作のルールに則っているのかどうか。
そして、そもそも二次創作自体が一次創作側にとって、創作のルールに完璧に則っているのかどうか。

そこまで考えて、私は少し曖昧なくらいがちょうどいいと思った。

次回は自分×キャラじゃないのなら一体他にどういう気持ちで夢作品を創っているのかという夢作家視点でのお話し。










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