広くて深い夢女の世界 Part1 夢女の黎明

女オタクのカテゴリー内にある夢女って複雑だ。

家庭用のインターネットが普通に普及する時代の少し前から約十年以上の時(これは決してマウントではなくただの確認事項であり、私よりも長きにわたって界隈にいらっしゃるお姉さま方がいます。中堅に過ぎない私が語る事をどうか、お許しください)を夢女として過ごしてきた夢女の当事者である筆者が時代の流れに触れながら夢女について、この場を借りて少しだけお話しさせていただきたい。

夢女について触り部分しか知らない人に夢女とはどんな人のことか説明させると、必ず「キャラ×自分」もしくはその反対を好む人々のことという風に言われがちだが、それは夢女ではなく、自己投影型という、もっと広い区域の話だ。
オタク界隈で言う自己投影型とは、自分ではない二次元の存在をあたかも自分と同一人物と思い込むことができる能力を有する人を示す言葉が自己投影型で、これは夢女云々以前のその人自身の性質である。

(自己投影の本当の意味は「自らの内にあるが認めたくない性質や感情を、自分ではなく他の人あるいは物にあるかのように無意識に感じてしまうことを意味する語」だが、今回はインターネット上で使われる「他人、フィクションの主人公を自分と同一人物だと思い込んでしまうこと」の方の意味で使っています)

つまり夢女の説明はされていない。
夢女ではない人々の中にはそれを知らない人が意外といることに、SNSに触れてから私は驚いた。

例えるなら、腐女子はみんな主人公総受けが好きというような暴論に似ている。(ピンとこなかった一般人の方用にもう一つ例えを出すと、焼き肉が好きといったときに、「へー!じゃあ毎日肉しか食べないんだ」と言われるようなくらい、会話がかみ合っていない感じだ)

例え話が下手な未熟な筆者を慈悲の心で許してほしい。

じゃあ、夢女ってなんなの?という風に思ってくれただけで、もうこの記事を書いた意味はある。

夢女というのは、女性のオタクの中でも二次創作の夢作品を嗜む女性のことだ。それ以上でもそれ以下でもない。夢女であるということがその人の性質の説明にはなりえないのだ。

自己投影型、うちの子型、アバター型、理想型、等々細分化されたいろいろな区域に組み分けされることがあるが、よく考えてみてほしい、それは夢女である以前に持っている創作作品をその人が嗜むうえでの性質である。

夢に限らず二次創作というのには性癖と趣向が深く関係するが、それらに感情を動かされるときには必ず、いくつかの条件を満たしたうえで熱を感じる、条件一致というものがある。

例えば、腐女子の中のさらに細かく分けたところにいる二次創作BLをする腐女子の中で原作キャラの受け、もしくは攻めに自己投影している人がいる。夢女でいう自己投影もそれと同じだ。夢女だから自己投影型なのではなく、自己投影しやすい作品が自分にとっては二次創作のBLもしくは夢作品だったということ。
自己投影型だけでなく、他の性質にも同じことを言える。

そういうことを前提に夢女と夢作品について私が知っていることと解釈を書き綴っていこうと思う。

それではまず、夢の黎明期を一緒に振り返ってもらいたい。

夢というジャンルは私がそれを見つけるよりも少し前から「夢」というジャンル名ではない形で存在していた。

Javaスクリプトで登場人物の名前変換ができるインターネットの二次創作小説、それが始まりだ。名前変換ができていれば、それが恋愛物だろうと、友情物だろうと、どんな話の傾向であっても名前変換小説として組していた。(恋愛物が多かったのは事実だけど)

当時二次創作のなかの名前変換小説というカテゴリーは原作キャラ以外に二次創作作家の考えた創作キャラクターが登場するということで、圧倒的マイナージャンルであり、かなり日陰の存在だった。
(と、いうのも原作にはいないキャラクターを出し、原作のストーリーに影響を及ぼすような創作内容を作るというその行為が、他の創作作家たちにとって原作を冒涜し無視した異物混入のように思われたからだ。どうして態々知らないキャラクターを登場させるの?という疑問の答えは夢女によって異なるが後々私自身の理由をお答えしようと思う)
今でもそう言った風に思われているかもしれないけれど、夢女が増えに増えたことで、気にしない人(外部と内部、両方)が増えた。(気にしてる人がいなくなったわけではない)

その名前変換機能、実はその頃は今ほど誰でも気軽に扱えるようなものじゃなかった。というのもインターネットのプログラミングに強い人間しか、その機能そのものを作る事ができなかったからだ。

そのため何が起こったかというと、その二次創作の名前変換小説を扱っている代表的だったファンサイトを見た読者のなかで、自分も二次創作の名前変換小説を書きたいけど名前変換をどうやったらできるのかわからない。でもやりたいという人たちが現れた。

その人たちがどうしたか、女の子向けのツリー型掲示板でスレを立てて、そこで、名前のついた個性豊かな創作オリキャラとキャラが恋愛するお話を名前変換のつもりで公開するようになった。

そこで名前変換小説と、名前固定のオリキャラ×キャラのお話がごった煮された。しかし夢というジャンル名がまだなかったため
「名前変換小説を楽しむ側(作家、読む専どちらもいる)」と、
「名前変換小説を書いているつもりで名前固定のオリキャラ小説を楽しんでいる側(読みもする作家)」と、
「名前変換小説を書いているつもりで名前固定のオリキャラ小説を書いているんだとは知らないで名前固定のオリキャラがいる小説楽しんでいる側(読む専門)」

この入り組んだ認識違いの構図が浮き彫りになることはまだなかった。

このすれ違いが水面下で加速している中でようやく名前変換できる二次創作小説に「夢小説」という名前が浸透し始めた。

名前変換小説について、どのジャンルが始祖かという論争をすると、世に出ていなかった潜在的夢作品はおそらくいくらでも昔に遡れてしまう気がするので、名前変換小説が夢と言われ始めたところだけピックアップするとおそらくそれは、DreamMakerという名前の名前変換のJavaスクリプトが無償配布されるようになってからだ。

このスクリプトが配布されたことによって、プログラムを構築しなくても、その手順通りに個人サイトのHTMLをいじれば名前変換を導入できるようになった。多少敷居は高かったかもしれないが、プログラムを一から作り出すよりは労力がかからない、当時小学生だった筆者でもインターネットでHTMLとJavaについて調べてすぐに導入できたレベルだ。

名前変換機能導入スクリプトDreamMakerのDreamからとって夢小説、というジャンル名が付けられた。
その時最も好まれたシチュエーションがやはり恋愛物だった。
名前変換ができるキャラクターと原作の登場人物が恋愛するお話、だから夢小説=恋愛物という風に思われがちだがそうではない。
何故その傾向が多かったかというと、当時の流行りがW/J系…(笛や庭球)という男性キャラクターが多く出てくるお話にハマる乙女が多かったし、何よりスクリプトの配布元のとある笛(伏字)のファンサイトがその傾向だった。

他のシチュエーションであれば、原作の登場人物と家族になってほのぼのと過ごしたり、友達やライバルになって一緒に戦ったり日常を過ごしたりするものもあった。原作で死亡する登場人物の死が受け入れられず、その登場人物の代わりに名前変換キャラクターが死を引き受けたり救ったりするようなものだったり、実際は趣向の数だけ多種多様だった。

原作作品の設定をベースにした二次創作小説の中でさらに名前変換ができるオリジナルキャラクターがいれば、というように言ったことで察しのいい方はお気づきだろうが、つまり、名前変換するキャラクターが超個性的で現実にはいないようなパラメーターをもつキャラ設定だろうと、全然自己投影できなかろうと夢小説なのである。

髪の毛が虹色で瞳が夜空の星を散りばめたような不思議な色合いだろうが、特に特徴を書かれていない無個性の登場人物であろうが、名前変換ができれば。
つまり重要視されるのは自己投影感ではない。
というかそもそも、赤の他人が作った二次元のキャラクターに本当に自己投影するのは至難の業だ。共感することは難しくないが。名前が好きなものに変換できるだけ愛着がわきやすいので。

名前変換ができる小説、夢小説を楽しむときに重要なのは、作家が妄想した、オリジナルキャラクターを投入することで原作のストーリーあるいは原作のキャラが新たな顔を見せるifの物語に込められた当時で言う萌え(死語)……エモさに共感できるかどうかである。
それに自己投影するのかしないのか、できるのかできないのかは読み手側が勝手に判断することで、二次創作をする作家側が読み手に合わせることはない。なぜなら夢作家にとって夢作品は、自己投影する人だけに限らず、インターネット上にいる不特定多数の自分の妄想に共感できる同士宛に発信しているボトルメッセージのようなものだから。

夢小説という名前が付いた後、前述した「名前変換小説を書いているつもりで名前固定のオリキャラ小説を楽しんでいる側(読みもする作家)」の人々は、スクリプトの配布で無事に元々の名前を変換前のデフォルトネームにすることで、すんなりと夢小説に仲間入りした。

そんな中で「名前変換小説を書いているつもりで名前固定のオリキャラ小説を書いているんだとは知らないで名前固定のオリキャラがいる小説楽しんでいる側(読む専門)」の人たちが、あれは夢小説のつもりだったのかと気づくころには、その中で書く側の人間が生まれさらに「名前固定のオリキャラがいる小説」というジャンルができてしまっていた。

いやでも、今更仲間外れにしないでよ、一緒にやってきたじゃない、それにオリキャラがいるのは一緒じゃない?という部分だけで、仲間に入れてよ!ということになった結果
夢小説専用の検索エンジン傾向カテゴリーに「名前固定夢主」「名前変換なし」というものが仲間入りしたのである。

もちろん戦争は起きた。名前変換ができないのなら夢小説じゃない!と。
起きたけれど注意書きとランキングで棲み分けするならということで落ち着いた。(もちろんもやもやしている人もいたけれど、全員を納得させられるのなら世の中から宗教戦争はなくなる)

商業を目的としない二次創作(なぜか利益出そうとする人もいるけど、その話は今はしない)の作品を公開する人はほとんどの場合、私はこの素晴らしい原作ベースのこういう風な内容にエモさを感じるんだけど、同じ仲間はいる?という仲間探しのための頒布だ。
だからより多くの人が見てくれた方がいいし、それなら名前固定のオリキャラがいる小説というものだけのジャンルでいるよりは、
夢小説のなかの名前固定のオリキャラがいる小説っていう風にしたほうがより頒布されるからそうなったんだと個人的には思う。
(そもそも人に見て見てーって思わない人はインターネットで公開せず自分のPCのメモ帳にだけ書いてる)

棲み分けの争いが今よりも容易に弱火になったのも、この時代は何といってもPCの個人サイト全盛期である。
携帯ではサイトの容量が大きくてほぼ見られないし、そもそもガラケー自体が生まれたばかりで携帯小説のサイトもないような時だった。

個人サイトならランキングと検索除けと注意書きのおかげで、SNSでスワイプしてうっかり地雷を踏みぬくみたいな事故がなく、地雷に会う可能性がものすごく少なかった(稀に必要最低限の表記しかしてないサイトとか、個人サイトを作る能力がなく大っぴらの掲示板や文章投稿サイトに残ってた種族もいたけど、正直そういう論外の人はオタクのどのタイプにも一定数いる)

このように夢小説は総括して原作のある作品を二次創作した小説の中でも名前変換ができるオリジナルキャラクターがいる小説が夢小説であるというのが夢小説の始まりで、おおざっぱなゆるーいルールだった。

その後、名前固定主や、男主BL夢など色々な争いを経て棲み分けありきで拡大していった。
ということで夢小説内には増えすぎたカテゴリーの数だけ一緒に地雷も比例するように乱立しているのである。

さて、夢女が心躍らせ嗜む夢小説の始まりについて少しお話しさせていただいた。
続いて少しだけ、この黎明期の夢絵と夢漫画についてお話しさせていただきたい。
今ではSNSで随分と増えた印象の夢絵と夢漫画だけれど、夢小説が浸透し始めたころ、夢界隈で夢絵と夢漫画それらはあまり歓迎されていなかった。

貶すつもりはないけれど、あの当時の夢界隈のデジタルイラストのレベルは私を含めて、めちゃくちゃ低かった。個人的見解だが、あの時代にいた一夢女としてそう思う。現在は手軽に高性能な無料ペイントソフトが学生だろうと簡単に使えるのが本当に羨ましい。

デジタルイラストを満足に描くことのできる環境であることのほうが、珍しかったから、PCの初期搭載ペイントにマウスで描いたような絵や、ノートに鉛筆で描いた絵をスキャナも通さず、デジカメで撮影した薄暗く画質が悪いものをそのままアップロードしている人も結構な数いた。
上手い夢絵や夢漫画を描く人は本当に本当に少なかった。

夢小説も作家の自己満足なのだが、夢絵と夢漫画はなんといえばいいか、もっともっと作家の自己満足だった。

特に、夢女=自己投影という形が間違っていようが、さも常識のように言われるほど夢界隈に自己投影型の人口が増えた夢界隈では、自己投影の邪魔になりかねない、夢主の姿がダイレクトに形になっている夢絵や夢漫画は嫌煙されていた。
もちろん嫌いな人がいるように好きな人も気にしない人もいたけれど。

何事も、声がでかい方にルールというのは偏りがちだ。夢絵や夢漫画も作家としては夢小説と変わりないつもりで描いている人が多かったけれど、地雷絶許チンピラに無駄に絡まれないために、作家自身が自衛するため注意書きは必須だった。

そんなわけで、夢絵と夢漫画は夢界隈でさえ少数派で肩身が狭かったので、特にその中で細分化されることはなかった。描く人口が少なければルールだって特にない。
夢主の姿がなかろうが、あろうが、名前がデフォルトだろうが白抜きだろうが、描いた人が夢ですといえば夢だった。

次回、Part2黎明期が過ぎて、携帯小説の流行と個人サイトがもっと手軽に作れるようになった時代、そして夢界隈の個人サイトの敗北について書きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?