広くて深い夢女の世界 Part6 夢歴10年弱夢作家の心

今回は二次創作のカテゴリーの一つである夢作品の夢作家、または夢書きとしての視点でお話しさせていただきたい。

といっても、実際に忍/者ツールズ、森、ナ/ノなどでいくつか拠点を築き個人サイトを運営していたのは学生の頃のみの話しであり、その後、晒/し同/盟の焼け野原の被害にあう前に早々とサイトを閉鎖したのち、自己満足のためだけにスマホに自分用のお話を書き続けているという状態だ。

今回はPart1で「(どうして態々知らないキャラクターを登場させるの?という疑問の答えは夢女によって異なるが後々私自身の理由をお答えしようと思う)」という文を書いたまま放置していたので、この辺りに触れていきたいと思う。

何故、夢女は夢作品を創るのか?

これは数多の夢作家さんによって全く違う見解になるということは最初にご理解いただきたい。創作するときの感情は誰しも別の熱をもってのことであり、今回お話しするのは一例でしかなく、一様ではないことを前提に読んでいただきたい。

私が最初に夢作品に触れたのは、とあるシリアスな少年漫画の夢小説だった。特にどの作品ということは重要ではない。

重要なのはシリアスなという言葉である。

小学生だった私は、当時、登場人物推し型という性質を持っていた。もちろん作品のストーリーも面白くなくては熱中したりはしないのだが、何よりも自分がカッコいいと思うビジュアルの登場人物が出ている作品が好きで、いわゆる表紙買いをするような絵柄重視に楽しむタイプのオタクだった。

登場人物をアイドルのように推して(貢いで)いる状態だ。
その登場人物が気に入れば、ストーリーと何ら関係ないような使い道のないグッズでもお小遣い全てをかけて収集していた。

そんなキャラクターに集中して熱を上げていた私にとって、シリアスな漫画は中々堪えるものがあった。
ストーリーはその当時他にないようなものでとても面白く、次の展開が読めないような形で紡ぎだされていて今でも読み返すほど面白い作品だ。

しかし、シリアスな展開が多いということは自分の好きなキャラクターが孤独な状況で悲しい目にあったり、辛い選択を迫られたりするということだった。

それを見て、この時このキャラの側に誰かが寄り添っていたらいいのに。

そう思うようになった。

この感情は決して原作批判が要因ではない。この状況こそがそのキャラの魅力を増す重要なシーンであり、そしてここに他の誰かがいてしまっては、劇的さが台無しになってしまう。だから原作こそが商業誌として最適解なのだ。

そして私の切なる願いの誰かが寄り添っていたらいいのに、という夢幻の類を叶えるのに最も適していたのが、夢創作だった。
というか、そういう私が助けてあげてほしい、精神的に寄り添ってあげてほしいというシーンに夢主が助けに来る作品をドンピシャで真っ先に見つけることができた。
おそらく同年代の似たような思考の多くの女の子たちがそのシーンをみて同じように感じたのだろうと思う。

そこから私はずぶずぶと推しをサポートするお助けキャラのような夢主という存在を媒体に夢作品の世界へと入っていくこととなる。

私が夢作品を読み始めたのはその当時流行りに流行って、今でも圧倒的に人口の多い恋愛傾向の夢作品ではなく、夢主がお助けキャラ的な当時ではちょっと珍しい夢作品だったのだ。
もちろんその後恋愛傾向の夢作品の魅力にも容易く落ちていくこととなる。

しばらく読み専だった私が夢小説を書く方に回るようになったのは、当時一番の人気傾向の最強と逆ハーがあまりに多すぎて過剰摂取による飽きを感じていた頃だ。
(最強とはスポーツ或いは格闘戦に置いて夢主のスペックが世界で一番強い状態を誇る、ぼくが考えた最強の夢主状態である。なお、意中の相手には簡単に押し倒されるなど夢主の精神状態がかなりパワーパーセンテージに影響を与える場合があり、とても繊細な能力)
(逆ハーとは逆ハーレムのこと。一人の人間に多くの人間が老若男女問わず魅力を感じて恋愛感情および好意的に接してくれる傾向がある。夢作品の場合は夢主が一人側に位置する)

二次創作の夢は長編を書く人が多いものの基本的に完結しない(させる能力がない)人が多い。
なぜなら、ほぼアマチュアで、ほとんどの人が小説の描きかたなんて勉強したことないような人ばかりで風呂敷の閉じ方を知らないし、熱意だけが先走って書いた見切り発車が多いから。完結しているのはレアケースだった(実体験と偏見)

そもそも夢小説は誰に強制されてやるものじゃなくて、自分自身が書きたいから書くものなので余程他者からの承認欲求を重視している人でなければ、気の赴くままに書くのが夢作家の通常スタイルだ。

そのため人が書いている作品は長々と読んで楽しんでも、続きはどうなるの!?というところで更新がストップして二度と更新されないということがザラにある。
最強と逆ハーを読みすぎて全部同じ展開で飽きたと同時にそういう結局誰とも恋人にならないまま続きが書かれない宙ぶらりんの状況が私は我慢できなかった。

つまり、人が趣味で書いている作品を自分の意思で探しに来て読んで楽しませてもらいながら、不満を持つくらいなら、自分で書くかというのが私の読み専から夢作家側に行くきっかけだった。

本当なら誰かが書いてくれたものを、ぼんやり口を開けて待って楽しむだけ楽しむ読む専でいたいけど、誰も書く人がいないから、自分で配給するしかないタイプの夢作家である。

正直、自分が妄想したシチュエーションの話を誰かが先に書いていたら態々自分の労力をかけてn番煎じで書く意味なんかないし満足できる。

さて、このような形で夢作家側に参戦した私に対し、それなら個人サイトで態々公開する必要なくない?という風に思われるかもしれないが、その当時小学生の私にはインターネット上にオタク友達というのがいた。
お互いの年齢や出身、全ての個人情報を隠したままのネット友達というやつだ。
最初はそのオタク友達の中で、夢小説に興味のある同士で見せ合いっ子ができるようにお互いに個人サイトを作ろうよということで個人サイトを作ったという流れで、そもそも知り合い以外の人を対象にしていなかった。

相互リンクを付けて、簡単に行き交えるようにして、しばらくして私は個人サイト特有の同盟バナー文化にものすごくハマった。
同盟バナー文化というのは、今で言う広告バナーのようなもののオタクバージョンと言えばいいだろうか。
静止画だったりGIFだったりはその同盟によって異なるが、自分の趣味嗜好に一致する目的で活動する同志がいる同盟に参加して特別なバナーを個人サイトのトップページにバッチのように張るという今思うと何が面白いのかわからないけれど、あの時は物凄く面白かった。(小学生というのはなんでも面白い年頃)

その同志名簿なるものに同盟の趣向に当てはまる作品を公開している個人サイトのURLを貼るというのがセオリーでそこから友達以外の読者がやってくるようになった。

友達以外の名も知らない人に作品を面白いと言われると、小学生だった私の承認欲求は瞬く間に満たされた。その快感を知りランキングに登録するようになるのだが、これは正直、誰か知らない人に認めてもらえることの喜びを味わえるのならば、夢小説でなくてもよかったのだろうと思う。
しかし最も手軽で私が選んだのは夢小説だった。

その当時ハマっていた原作の好きなキャラ相手の、最強や逆ハーで自分が読みたいシチュエーションは、もう読みつくした、けれどまだこの原作のこのキャラがこういうシチュエーションならどういう顔をするのか、こういう女の子がいたらどんな対応をするのかは誰も書いていない。(もしくは見つけられない)

そういうスタンスで私は夢小説を書いていたし、多分今も自分用に誰にも公開せずに書いている作品の内容を書く時の気持ちは変わっていない。

どういうことかというと、重要なのは原作キャラクターの見たいと思った感情の動き方をさせるために夢主がいるという状況だ。
それは恋愛でも友情でも仲間としてでも、怒ったり泣いたり笑ったり喜んだり、原作にはない別の部分でこういうことが起きたらこういう反応しそうだな、とか、こういう反応しそうもないのにこの子が相手の時はいつもと違う自分に戸惑っている姿が見て見たいなとか、妄想を挙げたらきりがないのだが。

もちろん、恋愛物を書く時には多少キャラクターに疑似恋愛をしながら夢主の気持ちになりながら夢主を動かしていく。
しかし夢主は時に私よりも数億倍可愛いかったり美人だったりして、時に私よりもおしとやかでのんびりしたような性格で、時に私のように陰キャな性格でといったように、自己投影ではない、自分の作り出したそのシチュエーションに一番相応しい夢主というアバターを作り出しているような感覚で描いている。

基本的には夢主と自分は別の存在でその時そのシチュエーションの理想の女の子を作って恋愛、友情、仲間物を書くけれど、恋愛物を書くときに、時々、執筆が捗って疑似恋愛状態が深くなると、本気でキャラクターに恋をしてしまうような状態(そもそも現実の恋愛のメカニズムも奥深いと思うが)ガチ恋勢になる。

そういうときに起こりうるのが原作の新情報での爆死だ。
少女漫画は公式CPができることを前提というかそもそも心構えができた状態なので、とくに突然爆死するということはない。
しかし少年漫画は作者の采配次第で、全く相手の気配が無かった推しに急に公式CPができるという悲劇が起こる。急に、でなくある程度匂わせられても、やきもちシチュエーションに使えるので全然かまわない。
(おそらく私と同じように、やきもちシチュが好きな夢作家は推しと女性キャラが絡むシーンをちょっと待っているようなドM心を持っている)

しかしだ、推しが結婚して子供ができる、もしくはお付き合いするという完全なゴールインを見せられると、もはや、やきもちシチュエーションではなく完全に悲恋しか書けない状態になるのが私だ。

というか、二度とその推しの恋愛の夢創作は書くことができなくなる。夢作家はたいてい大なり小なり原作の改変を行うことがあるけれど、全員が全員、そういう部分さえ改変できる精神力を持つかというとそうではない。

この世界線では原作CPがゴールインしたけど、別の世界線では私の作った夢主と推しがゴールインする、というふうに書ける人ももちろんいる。
いるし、そういうのを書いてくれると時々めちゃくちゃ失恋したのと似た感情を抱いている状態なので救われる。私には書く気力が残ってないから。

疑似恋愛は疑似であってもその精神的ダメージはよく似ている。

だから時々、ガチ恋勢が原作爆死をして発狂しているのをみて、これだから夢女はという風に見かけると、確かに騒いでる人の中に夢作品を楽しんでる夢女はいるかもしれないけど、それはガチ恋勢である人が夢女でもあるというだけであって夢女全員がそういうことをするわけじゃないんだよってことを早口で言いたい。

ガチ恋勢がじゃなくて「夢女が」を主語にして原作爆死してやることは、夢作品を書かなくなるか、悲恋の話を書くか、別の世界線で夢主と相手をくっつけるか、のどれかだから。

ガチ恋勢落ちすることがある私だからこそ言いたい。
一番いいのは発狂せず、速やかにグッズを処分するか押入れに入れるかすることで、録画状態でグッズを壊さないこと。
どうしても狂った活動をしたいときは、どうか他の大人しく粛々と活動している夢女に風評被害を受けさせないように、夢女であるというバッチを捨ててくれ。

ちなみに私は少年漫画の最終/回発/情期の危険性に気が付いたときから完結してない少年漫画読むのやめた。

今は絶対にカップリングが生まれない設定のゲームとか、昔好きだった作品で楽しく自分だけが見れるところで夢作家活動をしている。

纏めると、何故私が、夢作品を創るかというと、推しキャラクターがいてその推しの別シチュエーションと情緒のおかわりしたいと思ったときに夢作品を創るということです。

他にも夢作家さんには原作の世界観に惚れ込んで、その世界にこういう女の子が暮らしていたらどんな風に生活するだろうという世界観のおかわりだとか、
その世界に自分が行きたくて、自分の分身である夢主と好きなキャラ達との絡みをみたくてとか
そもそも創作オリキャラが好きで、うちの子をこの世界に入れたら世界はどんなふうに変わるのかとか

もっと色々なスタンスで夢作品を創っている夢作家はいると思います。
夢作家についてはひとまとめにはできないので、決めつけてあなたはこういうつもりで夢作品書いてるんだっていうふうに言うのはやめましょう。

ときどき私はAのつもりで夢作品を創ってるわけじゃないのに、Bという風に言われた!とショックを受けている人にBのスタンスで活動している人が萎えてしまうことがあるのですが…

言い方が悪い場合もあるかもしれないけれど、
他と一緒にされたくないという感情は別に他のスタンスを下げているわけでも軽蔑しているわけでも軽視しているわけでもありません。
自分がやっている理由を大切にしたい、勘違いされたくなかったというところに反発心を持っているだけで誰しもある感情です、あなたがその人の言葉でショックを受ける必要はありません。どうか気にしないでください。

一番悪いのは界隈をよく知らずに興味本位でつつく人たちだと思う。


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