夢小説を書く私が少年ジャンプから撤退した理由

私が投稿しているいくつかの記事のタイトルだけでも読めば、私が夢小説を嗜む夢女だということは想像に難くない。
私が思う夢小説、夢女とは…については、以前に投稿した『広くて深い夢女の世界part1』辺りで説明させていただいているので、そちらもぜひ読んでいただければと思う。(夢女とは夢主に自己投影する人のことじゃないよということを語っている)

さて、タイトルにもある通り、今回は夢女であり、夢小説を書く私が少年ジャンプを撤退した、否、せざるを得なかった理由についてお話ししようと思う。
この記事の目的は特に最近のジャンプの内容が面白くないだのということを言うつもりは全くない。
今も昔もジャンプは少年のための少年漫画であることは読んでいなくともインターネット社会によって探さずとも目に入る情報でよくわかる。

そんな中で、一夢女でそして時々行き過ぎてガチ恋になってキャラ推しする側面を持つ私がジャンプ購読者を降りた理由を一つのデータとしてお話しさせてほしい。

元々私は、中学生のときから週刊少年ジャンプを毎週欠かさず購入して端から端まで読み、読者アンケートを送り、さらに気に入った作品の場合は単行本も揃えて、ノベル版も買い、時々出る赤マルジャンプも購読しジャンプアニメツアーに応募して当選したときには喜び勇んでイベントに行くような、いわゆるジャンプヘビーユーザーだった。その継続期間およそ七年ほど。

少年ジャンプ以外にも集英社でならりぼんや、他出版社の漫画も読んでいたが、やはり私の中でジャンプは特別な存在だった。

私はそのときはまだジャンプだけを楽しめる口うるさくない読者だったのだ。

なぜなら、当時私が購読していたころのジャンプでは物語にちょっとしたスパイス的な色を付ける程度の恋愛要素はあっても、あからさまな男女CP表現がメインヒーローとその対になるヒロインを除けば、ほとんどなかったためである。そして単行本で知る、それよりも少し前の世代は、恋愛要素が最初から物語りの発端レベルで密接に関わっているような扱いだった。
物語のメインは基本的にバトルで、主人公と仲のいいもしくは主人公の原動力となるヒロインがいるお話はあれど、サブキャラクターにまでカップリングがもつれ込むことは珍しかった。目立つ女の子キャラは一人か、そのヒロインのライバル的存在要因でもう一人、或いは、あくまでラッキースケベはたまにあれどあくまで友人で共闘できる女の子枠のヒロイン。
元々恋愛がメインのちょっとえっちな部門は含まないとする。あれはあれで私は結構好きだったしちゃんと読んでた。(河下先生の描く女の子の容姿も情感表現もめちゃくちゃ可愛くて好きだったし、今でも好きだ)

今思えば、連載が長く続く作品が多く、物語の最後にあからさまなカップリング確定要素が特盛にされると思っていなかったから楽しめただけだと思う。

察しのいい方はもうわかると思うが、私が長い間読んでいた作品の一つが終わったとき、物語の登場人物たちがゴールインして子供までできてしまったのだ。
そういう終わり方をすると思っていた作品がそうなるのと、そういう終わり方をすると思っていなかった作品がそうなるのとでは全然違うし、そもそも私の中でジャンプでくっつくのはあくまでヒロインとヒーローくらいでその他サブキャラクターの恋愛模様の着地点は描かれずに終わるんだ、という自分に都合のいいセオリーを頭に植え付けていたせいで、そのエンディングをみて大きなショックを受けてしまった。

ストーリー性のある作品では、恋愛もバトルもどちらも登場人物たちを大きな岐路に立たせることには間違いないのだが、
ジャンプのバトル漫画でいうバトルシーンはメインとも呼べるシーンであるため事細かにどういう努力をしたのか、どんな血筋なのか、戦うものにどんな譲れない信念があるのか、そういった面をある程度繊細に描かれているからこそ、納得ができる。そうなるかもしれないという心構えができる。
つまり、どんな結果が待っていたとしても、多くの作品を読んだことがあればあるほど、なんとなく予測可能な許容範囲内の結末であることが大半だ。

しかし、バトルを事細かに書いておいて、恋愛面についての心情の移り変わりや、精神に深く関わる状態について、そのときのジャンプの多くのバトル漫画ではあまり触れられていなかった。キャラクターの心の声をあまり描かない手法で描いている人もいるくらいだ。
特に、人気キャラになると、物語の途中で不用意にくっつけたりすると、アイドルみたいに人気が落ちたりして作品のファンが一定数離れてしまう現象がある。
そんなので離れる人は作品のファンなんかじゃない!と熱くなって怒るのは少し待ってほしい。今話しているのはファンとはこうであれ、という精神論ではなく、どんな楽しみ方をしていようと、出版社や作者側からすれば、お金を出す人は皆等しくファンということを言いたいだけだ。中にはマナーのいい人も、普通の人も、あまりマナーがいいとは言えない人もいるだろう。けれど、お金を出して作品の継続費用を支えているということに関しては一緒だ。
作品を作る側からすれば、お金を出して作品を応援してくれる人は多ければ多いほどいい。だからこそ、そういうキャラクターが好きで作品を応援している人達も、もちろん読者が作品へ求めるニーズの視野に入れる。

そして作者側はキャラクター同士のいわゆるカップリングに気を遣う。作者からしたら好きなように描いて人気がでるならそれに越したことはないが、正直本当の本当に好き勝手作品を書いてずっと楽しんでもらえる創作者は稀で、天才と呼べるだろう。ある程度、読む側を意識してなければ商業誌で戦うことはできないもしくはビックヒットになりにくいのも少し考えればわかることだ。

何を言いたいかというと、そういう作り方をすると途中で事細かな恋愛要素の移り変わりのシーンを入れたくても安易にいれられないということだ。原作でのカップリングの人物が気に食わず、過激なファンが脅迫状を送ったという都市伝説があるくらいバトル漫画にとって恋愛シーンはデリケートな問題である。

実際に作家側が古き良き作者本人の外伝同人誌に織り込まれたペーパー通信で発信した情報で私が知っている裏話では、とある作品の主人公が相手役ともいえるレベルの人物と恋仲にならなかったことで、抗議の手紙が届き、作家側が辟易して続く余地がまだあったものを書くことをやめたという話があるのを私は確かな筋の情報で知っている。

結果、もう物語が終わりますよという最終回直前か、ピンポイントで最終回に作者が本当はくっつけたかったキャラクター同士のカップリングが急だと思わざる得ない状態でお披露目される。

そのときの自己投影型のオタクかつ、夢女もしくはキャラ愛が強い人にとっての衝撃たるや、なんと申せばよいものか。三次元に例えるならば、ずっと独身であるだろうと思って応援してた魅力的な独身貴族の有名人には実はずっと付き合ってた一般人がいて一切マスコミにバレず、ある日突然急に結婚しましたという事後報告だけ書面にて公開されるような感じかもしれない。

この置いてけぼり感というのは、何かの正義をもって責めることができないからこそ(正義なんぞない)、中々吹っ切るに吹っ切れない感情ではないだろうか。
振り返ってみると、勝手に好きになって勝手に応援して勝手に貢いでいただけ。そこには空しさしか残らず、何をどうしてもどんなにお金を貢いでも思い通りにならない現実がそこにある。
二次元は裏切らないといつかの昔そんな言葉が流行った気がするけれど、二次元は普通に裏切る。時にそれは現実よりも手酷く、そして一般の方にはどうしたって伝わらず、辛かったねと慰めてもらうこともできないような形で。

裏切る、という言葉自体も作者からしてみれば言いがかりにすぎないが、他にこの感情を表現できる主観的な文字が私の辞書にはなかったので、そこは微妙なニュアンスを各々が補完して捉えてほしい。期待外れとも違うこの感情はなんと呼べばいいのだろう。

いつからか私は前述のような購読時に巡り会った、ジャンプの増えすぎた読者層をまんべんなく打ち抜きより多くのファンにお金を落としてもらうビックヒットを狙うための恋愛描写の扱い方に気がついてしまったし、自分の好きだった作品がそういったエンディングを迎える状況を経験して、このショックはそう何度も受けるには身が持たないと思ってしまった。

私は夢女ではあるが、その前に作品自体を愛することができる素養を持っているタイプの夢女だ(カップリング要素があることが明確なら恋愛描写があっても普通に夢女的な妄想をせずに読める)。それはその相手のいるキャラを作品を読み続ける上で必要な程度以上に好きにならずに自衛をすることができるから、できれば最初から、そうでなければフラグが立った途中からでも堂々と恋愛描写を入れてほしいし、どんな瞬間にキャラたちがときめいて、傷ついて、そして好きでいるのかを見せてほしい。バトルと同じくらいの熱量で説得力がほしい。

と、思いはするが前述した理由からそれをしない作品を作ったのがジャンプだ。今やジャンプは少年ジャンプと銘打ってはいるものの、読者層が幅広すぎてお金を落とさせる対象の射程を広げすぎている。
この考えが私のただの妄想でないことを私は人づてではなく私自身の経験に則り発言することで証明したいと思う。

こんなにもジャンプがバトル漫画に関して恋愛描写の取り扱いについては説得力のないオマケ程度にしか扱わない方針が見えていると私が確信した理由は、実は私の創作意欲が転じて、ジャンプ編集部に自分で書き上げたオリジナル漫画を投稿ではなく、編集部に予約の電話を入れ、持ち込みした時に得た。
その時に見てもらった編集者だけがそういう方針だったのかもという可能性は残っているが、数年前に言われた言葉の衝撃は今でも覚えている。
まだ未成年だった私がその時持ち込んだ作品は今では人様にとても公開できないようなデッサン力のかけらもない未熟なもので、その時できうる限りの画力で望んだ渾身の作品だった……と思う。
大まかな内容は、バディ物に憧れていたので、主人公が昔バディだった大切な女性をサイコパスな科学者によって生物兵器のクリーチャーに変えられて失い、新バディと復讐を果たすお話だった。
編集者は私のその作品を読んで一言こう言った。

「ジャンプの読者のほとんどが童貞だから、こういう恋人?が深く関わってくるバトル作品はウケない」

その時私には言いたいことが色々あったが反省点などをメモしてすごすごと帰った。帰ってからその意味を考えて、いやこれ別に恋人って名言してないし大切な元バディが女性だったってだけだと心の中で自分のために言い訳を考えた。書いてなくても読んだ人がそう感じる風に書いていたのならばそれは直すべき点である。しかしながら読者のほとんどが童貞というソースは一体どこから得た情報なのだろうという違和感は自分を守るための反発心を抜きにしても感じたが。

そういったわけで、ジャンプはバトルと恋愛を同じ熱量で扱う出版社ではないのだと私は感じ取ったのである。もう一度念押しするが、その編集者がそういうタイプというだけだったのかもしれないし、数年前の当時がそうだっただけで、現在はどうかはわからない。

誤解かもしれないが、その当時のジャンプにはそういうバトルと恋愛を同じ熱量で扱うような感じの雰囲気でなかったことは確かに誤解する程度にはあった。
その時のジャンプのスタイルがキャラを推すタイプ特有のキャラへの熱量が高まれば推しのために 貢ぎ、時に二次創作をして発散しなくてはならないほど熱中する私には合わなくなっていた。

ジャンプ漫画のキャラクターの多くは意図して、かっこよくて魅力的に見える部分があるように作られている。魅力的なキャラクターがいるということは物語を読ませる力の一つになるから。かっこよさというものは、あくまでかっこよさであり、道徳的な部分で正義と悪は関係なくの話だ。

好きにならずにはいられないように作られているのだから、そのキャラクターを好きだと思い応援することは理解しがたいと言うほど突飛なことではないと思う。その表現のしかた度合いに差はあれど。

一つ知っていてほしいのは私の場合は、夢小説を書きたいから原作を探しているわけではない。
好きな作品に巡り会い、その物語の展開に嵌まり、そしてその中でも特に思い入れのある特別なキャラクターに出会ったときに、恋愛ものの夢小説を描いたり、キャラの求める一面の妄想内容によって友情の話がいいな思えば友情ものの夢小説を描いて持て余した感情を発散することがあるというだけ。

それだけだと少し説明が不足しているので、私のその夢小説を書くことと、原作で好きなキャラにお付き合い、もしくは結婚エンドが用意されていることの何がそんなに相性が悪いのか説明すると、私には夢小説を書く上でできないことがある。
それは、キャラに物語上での恋人や妻がいる場合、自分が作った夢主(夢小説における主人公)を恋愛的にくっつけるということだ。
私はこれができないタイプなため、例えば原作がまだ完結していない状態の時にその原作に好きなキャラができて、夢小説を書くほど熱をあげて書き始めたとする、それから数年後に最終回でその好きなキャラに相手ができてしまった場合、書きためた作品の最終決着地点が悲恋しか書けない。
私は悲恋を読むこともあるし、書いたこともあるが、そう何度も自分で悲恋ばかり書くという気にはならないし、大作(所詮夢小説ではあるのだが)になってしまうと、今まで散々くっつきそうな、もしくはくっついてる状態で書いていた分、最後の最後で力業(夢主が死ぬかキャラが記憶喪失になって夢主のことだけ忘れる)で別離させるのがものすごく辛い。
他の夢作家が自分の作った夢主と相手のいるキャラを原作とは別の次元、平行世界スタイルで書いているのは一行に構わないし、読むこともできるのだが、自分が書くとなるとできないし。だからといって、悲恋なんか何回も書いてたら身が持たない。

その厄介な自分ルールは複雑で面倒な仕組みになっていて、例えばゲームとかだと、結婚エンドが用意されていることがよくあるが、その中でもパーティ内の女性なら誰とでも結婚できるみたいなそういう分岐型なら全然書ける。無理矢理悲恋にしなくても分岐の一つにできる世界だという原作のお墨付き平行世界設定があるからだ。

いやいや、夢小説なんて散々他の設定改変したり物語かき回したりしてるんだから今更でしょ、と思うかもしれないし、私もそう思うがどうしても愛情という物をテーマに書いているとそのあたりの融通がなぜだかはわからないが効かせることが私にはできなかった。

だからこそ、再三言うように、もし最初からカップリング要素がありえると判断できるなら物語を読んでいる最中に心の自衛ができるし、自衛したままその作品が面白い限りは楽しむことができる。ジャンプで例えるなら幽遊白書とかスラムダンク(これは最終的にゴールインはなかったが恋心が物語の発端となっている)とか、るろ剣とか。他出版社なら犬夜叉とかコナンとかハガレンとかレイヴとか。

物語の途中で自衛をすることもなく、何年も応援し熱を上げ自分が出せるお金をキャラに貢ぎ、そして創作活動という時間と労力(勝手にやってること)を搾り取られた後、最後の最後で全くその気配のなかったキャラクターに相手ができてしまうという残酷な仕打ち(とんだ言いがかり)があるのだと知ってから、怖くてジャンプが読めなくなった。

身勝手な理由だが、だからそういうことはしないでくれと言ってるわけではないし、勝手に読まなくなっただけ。
商業的な観点からすると私のようなタイプやバトル漫画のキャラに恋愛CPを望んでいないタイプ、そして腐女子の方々、また匂わせたもののくっつかなかった女性キャラもしくは男性キャラとのCPを応援している一部のファン層からお金を搾り取るために、この手法は大変効果的だ。

そんなことで一度は好きになった作品にトラウマを持ったり、茫然自失したり、感情が行き過ぎてしまえば嫌いにさえなってしまうのなら。そんな辛い思いをするなら最初から読みたくないし、下手すれば数年分無駄に推したことになる。私は好きなキャラのことは連載が終わって完結した後も好きでいたいし、日々を生き抜く支えにしたい。

最後にいきなり恋愛模様の着地を見せられるかもしれないということが最後の最後までわからない作品が多く掲載されているというのは、私のようなファンにはリスキーすぎる。何せジャンプのキャラクターたちは好きにならずにいられないくらい、かっこいい。本当にかっこよくて大好きだった。

だから、私は数年間読み続け応援していたジャンプから撤退したのだ。

幸いなことにジャンプに絞らなければ世の中にはバトルと恋愛両方にしっかりと説得力のある展開をしてくれる作品は山ほどあるし、漫画に限定しなければ、女性向けのソシャゲも随分乙女ゲー過ぎる物ばかりからバリエーションが増えた。主人公は存在感がなく男女のくくりもない、魅力的な個性を持つメインキャラクターが織りなす友情や戦いや成長、葛藤のある大好きなバトル漫画的シナリオかつ、誰ともカップリングにならないことを約束された安心して貢げる作品がある(シナリオを個人的に写しておくなどやむにやまれずのサ終後対策は必須)。いろんなコンテンツが増えて良かった。

本当にストーリーが面白ければ、キャラクターに公式CPがあったとしても物語を応援する。ただし、キャラを推すときに出すお金には及ばないが。

私が作品そのものだけに貢ぐ気持ちは、そのキャラが好きだからこそ貢ぎたい気持ちを上回ることはないだろう。それほどにキャラ愛というものはギリギリまで貢ぎ、ときにSNSには一般向けの布教用にCP要素や夢要素、ネタバレなどを自重し削ぎ落とした純粋なファンアートなどで作品を盛り上げファンを増やす活動を行うまでの力を生み出す。

キャラもストーリーも同じように思えるかもしれないが、そこにはやはりその領域にいる人にしかわからない違いがあって、それを理解はされなくてもいい。ただ、そういった形でお金を払う女オタクが一部にいるということを一つのデータとして記しておく。

私はそういった夢女かつ、キャラ推しのパッションが強すぎたという原因でジャンプを買わなくなったし読まなくなったが、もちろんジャンプを忌み嫌っているわけでも、そういった商業的スタイルを否定するわけでもない。向こうもビジネスだから。競争率の高い世界で生き残るための手段はなんでもやるべきだ。

今でも、最終回にカップリングができない作品で面白いものであれば読みたいと思うし、そういうバトル漫画があれば是非教えていただきたいとも思う。(最初から最後まで恋愛要素は許さないなどという潔癖さはない。途中で恋愛要素っぽい一幕や匂わせがあっても最後の最後で恋人や夫婦、子孫エンドをしっかり見せてくるシーンがなければいい)

古風な夢女なのでSNSやpixivを含むおいそれと簡単にたどり着けるような場所に夢小説を公開するようなこともありえないし一般のファンに目に見える迷惑や不快感を与えるようなことはしないので心配はご無用だ。
その活動をすること自体が嫌いなんだと言われてしまうと困るが。今はどこでの活動もしていないものの、今後もその自家発電のままでいるかどうかまでは約束できないから。

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