ノドを腫らして思ふこと

目覚まし時計が鳴り、むくりと体を起こす。

立ち上がろうとする直前、ある異変に気がついた。

喉が痛い。

咳払いをしつつ用を足し、顔を洗い、飼い猫の飲み水を交換する。

この間も喉の違和感は消えず、

近所の耳鼻科の診療時間を確認してみた。

うむ、間に合う。

とりあえず朝食を済まし自転車に乗り耳鼻科へ。

ふと考える。

僕くらいの年齢になるとよく聞くのが

『年には勝てない』

という魔法の言葉。

体調を崩したときや、夜更かしした翌日に高頻度で使用されるワードだ。

僕も何度か口にしたことがある。

肉体的な衰えである「老化」にすべての責任を擦り付けることができるとても便利な言葉である。

自転車で寂れた商店街を疾走し

雨上がりの湿った風に吹かれながら

今回のコレも、この魔法の言葉に甘えてしまおうかと自問する。

しかし

こうなってしまった原因は他にある。

明白なのだ。

ただただ、

『扇風機を切らずに寝オチしてしまった』

という

何の面白みもなく、かつ、油断が生んだ結果がこの喉の痛みである。

ふむふむ、

これでは「年のせい」にはできない。

世間一般の「成熟した大人」は自己管理を徹底し、

常日頃から危険予知アンテナを張り巡らせているもの。

「老化」による体力の低下というハンディキャップを背負いながらも

内的要因で体調を崩すなど言語道断、世が世なら切腹ものである。

それゆえ「ストロングチューハイで酩酊し扇風機を切り忘れて寝オチする」など

もはや大人の所業ではない。

年を重ねた大人は必ずスイッチを切ってから就寝するものなのだ(たぶん)。

ここで「年のせい」にしては先輩諸兄に申し訳が立たない。

己の稚拙な行為に対する自責の念。

それにより傷ついた「自尊心の回復を計る」ため

僕はいま自転車をこいでいるのだ。

そう、

「寝冷えで喉が腫れたけど、すぐに耳鼻科に行き薬をもらう」

この大人っぽい『リカバリーの迅速さ』!

もはや僕にはこれしかない。

過ちを犯してしまった大人が罪を認め、

未来のために最善の一手を尽くす!

これだ。

これしかない!

そんなことを思いながら耳鼻科の駐輪場に自転車を留め、

出入り口のドアノブに手を伸ばそうとしたその時だった。

『臨時休診』

張り紙には無慈悲にもその四字熟語が記されていた。

「ちっくしょおおおおおおおおお!」

僕は叫んだ。

しかし喉が痛むので

心の中で絶叫するにとどめた。

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