ファイナルファンタジーの思い出
もう16出るの?
ファイナルファンタジー(以降、FF)16が出るらしいが、トレーラーを見ても私にはピンとこない。まあまあ良かったの5段階評価で3みたいなアマゾンレヴューの未来視が発動した。
先入観だけで、これだけ冷めた目で見えるのは、スマブラにエネルギーを奪われていたからだろうか。まあ、15でガタ落ちした評価の余韻のせいでは間違いない。(自分でプレイしてないのにそれを云ってしまうか。)
因みに、私がプレイしたFFは2、3、4、5、6、7、8、9クリアしたのは3、4、6、7、8、9だ。良い思い出しかない。
当時の記憶、それぞれの作品にて思い起こすことが出来る。皆さんの感じているだろう、発売日を待つようなドキドキは7が最高潮だった。それでもやっぱり、3が最高だったかな。
FF15、転けたらしいね
Youtubeには、FF15をプレイした方の嘆きの動画がある。FF15が本気ヒドいとのことで、考察動画を見て、なるほど、こりゃ重傷。FFの良い部分しか知らない私のなかに残念で、しかし、有益な情報が入ってきた。
私は良い思い出のまま、FFから遠ざかったが、シリーズを今も支えてくれているプレイヤーたちが大変に傷付いていることが、よぉく想像できた。
面白いはずのFFを妄想したくなった
突然だが、その嘆きに触発されてか、自分でFFを考えてストーリー等を1から妄想したくなった。
つまり、きれいな思い出からFF魅力を取り出して、様々な要素(痛く個人的)と利用して、もう勝手に最高のFFを想像して涙を流すところまで行けたらなというおこがましい欲求が湧いて出たのである。場合によっては、共感どころか俺は殺されるかもしれない。さあ、先ずは考察だ。考察という名の言いたいこと言いだ。
FFの魅力の考察①クリスタルの普遍性と物語
FFはクリスタルが根幹になる。言わずもがな、クリスタルの輝きは、そのまま主人公たちの成長で、ストーリー上で一足先ゆく絶望に対抗する希望の光となる。
普遍性で言えばFF3。(FF1も知っているが未プレイと云うことで割愛。)
主人公はプレイヤーが自由に名前を決められて、セリフもない。それでも成り立つクリスタルに因む面白いストーリー。ゲームバランスも最高だったな。ラストダンジョンに闇のクリスタルと戦士を登場させて共闘させることで、さらに普遍性を補完しようとしていた。急ではあったが、ボスバトルが増えて満足した。中でも、ダブル2ヘッドドラゴンだったかな、めちゃくちゃ攻撃回数が多くてダメージにビビった。えっ、首が多い?間違っている?
あと、FF6についても語ろう。一足先ゆく絶望、FF6では主人公たちの成長と同時に、ケフカがラスボス臭を強めていく様、皆のヘイトを集めて闇を深めていく様が見事です。特にカイエンの家族のストーリーはショックだった。カイエンにはケフカを斬らせにゃならんと思ったし、思ったし…(涙)。小並感ならぬ、濁りし空を見上げての世直し根性が刺激された。
クリスタル、その多面体が、輝きが生み出すドラマ、結局はそれかなぁ。ところが、クリスタルが生まれた理由までは知らない。今までプレイしたFFで、それを教えてくれたキャラクターやセリフもあったかも知れないが憶えていないし、敢えて、ググらない。私は、答えを知らないことでメタ認知の抑制し、ゲームのなかに魂の一部を置いている。そして、クリスタルに許された多面体の一部になれている。加えて、たとえ、あなたがゲーム内の神様だけが知る筈に答えを知っていても、勿論、多面体の一部である。そういう側面を持つのものとして。
※多面体の一部とは、表現として乏しいが、ゲームプレイヤーとキャラクターの中間にある存在感、つまり、その輝きであると云うことを表現したかった。周辺には常に全体像がある。ゲヒャー、もう訳わかんねぇ。
FFの魅力②ビジュアルと音楽
FF7のクラウドさんのバスターソード。スチームパンクなミッドガル、マジで冒険出来るの!?の期待感。
FF8ではスコールのガンブレード、頭身リアルなビジュアルでリアリティーを増した表現空間。女性キャラクターも魅力的。キービジュアルと言うんでしょうか。それが、ドンピシャでハズレなし。
売れる作品、豊潤な開発費、先進的だった。とにかくグラフィクスとビジュアルが当時、世界最高峰だった。
もちろん音楽も最高に良いから、いっそ、逆を云うと、音楽に負けないゲーム作れれば成功するというジンクスを提唱する。
しかし今や、海外のゲームのグラフィックが宇宙人に出会ったおかしいぐらい発達しているので、FFはもうセンスで勝負するしかない。資金とは関係なく日本人の娯楽センスは爆発力を残している、と考えよう。日本人という括りはおかしいかなぁ。でも、やっぱり、FFはファンタジーでありながらも、コテコテではないんだよ。映画をゲームにしたような海外の感性とは違うとは感じられる。
さっきから常に勝手を云っていて、根拠についてはあんまり考えてない。目的は、自分の面白いと思う。FFを想像して気持ちよく妄想することである。
FFの魅力③遊び心
FF3は自由なジョブチェンジ、FF4は初のリアルタイムバトル、FF6はマッシュが魔列車にメテオストライク、FF7はスノボー、FF8はカードゲームと味方にライブラ。もっと色々あるが、遊び心やアイデアをどんどん形にしていったエネルギーに満ち溢れている。それがFFであった。ミニゲームを加えても、決して、独りよがりではない。良い意味でボリュームがあった。
それらの要素が無いならば、私は面白いと感じない
FFが面白くなくなったとすれば、推論で、先ほど挙げた条件が欠けているからということにしよう。もう無理矢理。
ひとつ、ストーリーにFFらしい普遍性が感じられない。これFFだったの?呪文は同じだけどさ。
ふたつ、キービジュアルを見てもピンとこない。流行りの髪型してんなぁぐらい。進撃の巨人の立体起動装置ぐらいのインパクトを残すアイテムは欲しい。
みっつ、遊び心が迷走している。最後、バイオハザードになっちゃってるよ。作っている途中で、これ意味あるのか?面白いのか?振り返る必要があった。えっ、この記事は、、、ノーコメント。
妄想が溜まってきた
最近とは言えない、相変わらず、漫画やアニメなど、他のエンタメも増えて、時間を取り合っている。そして、一般受けを狙っても購買力が消費者にはない。しかし、FFはこれからも奮闘するだろう。そのブランドに賭けて。終わり。
ではなくて、長くなったので次回、改めて、ボクの考えた面白いと思うFF、多分ストーリーだけになるけどざっと書きたい。主人公は赤魔道士で、かっけーみたいなノリで。あと、多分、社会風刺が絡んじゃいます。注意。
しかし、鬼滅の刃が大ヒットしているのは、共感を呼ぶ欲求を表現しているからでもあると思う。人知れず人を喰う鬼共を、いつか強くなって倒したいという欲求を揺さぶっている。人の心に火をつけるには、隠された欲求にゆっくりと火をつけて共感を得るような手法が当たり前にあるだろう。そして、現実的な欲求で社会問題の解決を望むことと、ゲームの世界で問題を解決を望むことはそう違わない。現代の人にとっての絶望と希望はゲームにアレンジされるのはよくあることだ。問題は何を絶望とするのかだ。権力者のイザコザか、ペットにやる餌がないことか?
この記事に共感が全くなかったら、絶望する。ボクFは頓挫し、インスピレーションが、空中分解しそうだ。混沌として、さようならの前に、ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
(続く?)
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