先輩が仕事辞めるらしい

ぎやああああああああああ

やはりわたしが一番この会社の中で仕事できないやつ\(^o^)/

~ビリ争いをしていた(心の中で)~

タイトルに書いたとおり、先輩が仕事を辞めるらしい。部長づてで聞いたぜえええ。なにやら荷物を運ぶためにわたしらの机の近くに来たときに、まるで明日の天気の話でもするかのごとく言い放ったぜえええ…

あー(´-ω-`)

誠に失礼極まりない話ではあるが、わたしは心の中でその先輩とビリ争いをしていた。わたしが新入社員のころから何かとやらかしたり、何かをやる前に帰っていたりしたその先輩は、仕事できないわたしからしても仕事ができない人であった(本当に失礼です)

仕事ができないわたしにとって、その先輩は反面教師と言うべきか、心の友とでもい言うべきか…ああいう風にはなりたくないぞと思いながらも同じ轍を踏み、しかしながら同じくらい壊滅的に仕事ができずに要領悪く振る舞う姿はわたしに何とも言えがたい生ぬるい安心感を与えていたのであった…

いつまでこの口調で話をするのだろう。

ということで、あー危機だなぁと思ったわけです。

しかし後輩は何人入ってきただろう。わたしは何年ここに勤めているのだろう。ぶっちゃけわたしがやってる仕事とか普通の新入社員なら1年とかからずに完遂できそうな内容ですよ。それを何年かけて身に着けているんだろう。ほんとやりきれない…そして今日も仕事をミスする。

親にもっとがんばれとか言われたけど、がんばってるつもりなんですよこれでも…

もうこれはとてつもなくどうしようもないくらいの頭の悪さです。どうやってもうまくいかない。周りの人も幻滅しているだろうけどそれでもどうにもならない。そんなこと言うなら将来を憂えて首をくくる…

昨日は夜眠れずにしこたま号泣してました。仕事できない。毎日が充実しない。人生に意味などない。なんか夜中になるとすごいネガティブというか陰鬱な気持ちになりますね。ふとんに入るとやることないから、だんだん嫌なこと思い出すタイムに沈んでいくような気がする。そしてそこから抜け出せない。

しかしうちの会社、すごい人が辞めていく気が…

なんかみんな冷たいような気がするんだけど、それってわたしだけが感じていることなのかな。新入社員のときにうまく波に乗れなかったら、もうそこから置いてけぼりにされていくような感覚があります。自己成長するか自己解決するしかない。自己破滅一歩手前。自分だけで苦しんで自分だけ沈んでいく。手を積極手に差し伸べてくれる人はいない。手を差し伸べてと助けを求めてもいいのか。みんな忙しいし、金稼ぐために働いてるからね。ボランティアじゃない。思いやりはいらない。

最近あまりに仕事というものに対して恐怖心を抱きすぎて、先輩が辞めてしまうということもあり、自分はこのままではいかんと思い、部長に仕事のことを相談してみたりしたんだけど、そのときに「社内の人は敵じゃないよ」と言われた。

なんだかすごく的を射たことを話されたなと思った。なんかわたしから殺気のようなものが漂っているのだろうか。分からないけど。

正直なところ社内は敵だらけと思ってしまうふしがあるんだけど、これってどうにか改善できぬものか。周りは仕事できないわたしを蔑んでいるし、わたしはそういう人たちを好きになれないみたいな。被害妄想か。でもそういう感情を全く持っていないとは証明できないし、事実そんな態度をとられたことが度々あります。惨めだ。

まぁ仕事できなきゃ社会人(会社員)としての価値はないわけだし、いつまでも若さにすがりついてドジっ子きどりの会社のマスコット的キャラクターを演じるわけにもいかないんだけど。いつかどうにかしないといけない。

そして今日の一部始終とわたしの中の危機意識(わたしもそろそろ仕事辞めてしまうかクビになるかも)を親に伝えたら、「ファイト」というスタンプが返ってきた。親が悩み聞いてくれないとはつらいな。金払ってカウンセラーに相談するしかないのか。

最近どうやったらしねるか考えてしまうんですけど、実際行動に移すのは難しいですね。失敗したら寝たきりだったり後遺症も残るらしいし。そして何より、そんなにしを切望しているわけではない。生きたいけどつらい。普段は気にしてなかった、楽しいことで覆い隠し埋め固めていた心のどす黒いところが首をもたげるとき、どうしても心細くなる。

人生に意味はないと思う。人生はただ生きているだけでは素晴らしくもないし、楽しくもないと思う。結局、自分がそこにどう意味を見出すかでしかないと思う。しにたいしにたい言ってるひとはしにたがりだけど本当にしにたいわけじゃない。何かをしたいから生きる。とりあえず生きる。とりあえずでさえも生きられないならしをえらぶのみ。「しにたい」というのは禁忌のように捉えられがちだけれども、そういう感情は別に大げさでもなんでもなくて、自分らしく生きられないと思ったときにはやはり、そのようなことを考えてしまうものだと思う。

さて、今日もどこかで誰かが泣いているのか。笑っているのか。怒っているのか。かなしんでいるのか…

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