私がコロナにかかった話

誰かの役に立ったらいいなと思って、思い出すのもうんざりする話をまとめます。
私の職場は急性期内科病棟、普段から肺炎だの脳梗塞だのをみてました。コロナが流行り出した2020年1月末から新型コロナ疑いの患者さんが運び込まれていたので、防護服を着る毎日を送っていました。

2020年の12月半ば、かなり疲れ果ててて不眠だのストレス暴食だのが半年以上続いていました。遊びに行くこともなく、職場、最寄りのコンビニ、自宅をトライアングルループする毎日。よく考えたら約一年楽しいこともないままコロナと戦っていた。3時間も眠れていない日が何日も続いていた。


12月16日
突然、胃の痛みに襲われる。お腹に手を当てていないと起きていられないレベル。首から左肩にかけての関節痛もあり、たまらずロキソニンを1日2〜3回飲んだ。鎮痛剤を飲まないと働けない。
18日にも肩の痛みと胃の痛みが止まらなくてロキソニン内服。もうこの時点で発熱していたのかもしれないけれど、痛みに対して解熱鎮痛剤を飲み続けて働いていたからわからない。とにかく病棟にまともに人がいなくて休めなかった。

12月19日
仕事から帰宅。夕飯にパスタを食べたら1時間半後にそのままの形で嘔吐。続け様に体液まで出なくなるまで嘔吐。夜中に体温38.6℃まで発熱。しっかりと発熱したのはここが最初。翌日は夜勤の予定だったけど、無理すぎて休むことに。

12月20日
朝起きたら36.2℃まで解熱していた。やったー、良かった、と慌てて家事をして、ペットの世話をした。食事は買い置きしてあったお茶漬けとアイスの実。
17時頃悪寒がして、全身の関節痛と吐き気が始まる。熱が一気に37.6℃まで上がって無理すぎてロキソニンを内服。

12月21日
元々夕方から夜間に発熱するタイプなので朝には下がるだろうと思ったら、37.8℃。おかしい。発熱している間は眠ることも出来ないのに身体を起こすことも出来ない。呻きながら丸まっていることしか出来ない。這いつくばってみなと達のケージだけ掃除したけど他のことは出来ない。夕方には39.0℃まで体温上昇。朦朧としながら体温の推移だけメモを取る。胃部不快感が止まらず、アイスの実を数粒食べてロキソニンを飲む。もはや主食はロキソニンというレベル。解熱鎮痛剤のおかげで22時過ぎには36.9度まで下がった。やっと眠れた。

12月22日
朝方トイレに起きたら関節痛とふらつきが止まらない。朝4時に37.7℃、なんにも出来ずにベッドに沈んでいたら朝の7時には38.9℃まで上がる。我慢できずにロキソニンを飲んだ。風邪というより胃腸炎だけど、もうおかし過ぎるし受診しようとやっと上司に言われて勤め先の発熱外来を受診。ここに至るまで発熱があるからその辺のクリニックにはかかれず悩み続けていたからなんにも治療を受けていない。ロキソニン飲んで耐えていただけ。


防護服を来た元上司にPCR検査と抗原検査を連続で採取されたあと、防護服を来た知り合いの内科医に診察され、「胃腸炎ぽいし胸から腹部まで一応CT撮ろうか」と言われCTへ。イエローコールされて無人になった廊下を歩いて検査台に転がる。取ってすぐにざわつく。
蓋を開けてみたら、無症状の肺炎。抗原検査は陽性。この時期のコロナは第二類感染症だったので、肺炎像があれば即法的入院。みなと達がいるから家に帰りたいと駄々をこねたけど自分で見てみなさいとCT画像を見せられて唖然。めっちゃ肺炎だった。診察のとき、酸素化99%あったんですけど。咳もない。
とりあえず保健所から勧告受けると面倒だよ、と諭されて諸々の準備を慌ててしてこの日の夕方には入院。何故かこの時は解熱していて、キャリーバッグをガラガラさせながら普通に歩いて入院した。夕方の入院になってしまったのがコロナ専用病棟のスタッフに申し訳なさすぎて自分のアナムネを自分で入力(病室で)。
この後、保健所からの面倒長電話に1時間近く対応。美味しくない夕飯の代わりに上司がくれたおにぎりを食べる。消灯の頃に体温が38℃台まで上がったけど、入院するとカロナール一択になる。カロナール300mg飲んだけど全く効かず、一晩発熱し続けた。
運が良かったのは職場でクラスターを出さなかったこと。患者さんにも同僚にも愛する我が子にも感染させていなかった。

12月23日
朝6時、ラウンド前に検温表を埋めておいてあげようと思ってバイタル測定を自分でやって体温38.6℃。一晩熱出して眠れなかったから何度も意識が飛びかける。ついにこの日から酸素化が上がりきらなくなる。乾いた咳が出始めた。
担当の内科医から「発熱で体力消耗するとまずいから解熱剤ガンガン使って」と言われて、カロナールを飲む。いやだから効かないんやって。消耗しすぎて死んだように3時間ほど眠り、14時頃37℃まで解熱。慌ててシャワーを浴びる。シャワーだけでヘロヘロになり立っていられず、部屋で座って髪を乾かしながらロングヘアーであることを呪った。髪を乾かす体力もない。

食欲もなくて上司に食べられないと我儘を言ったらプレミアムアイスの実が差し入れされた。泣いた。夜勤のスタッフがハラダのラスクをくれたり、「アイス食べます?スタッフの冷蔵庫に保管してるんでいつでも出しますよ!」って気を使ってくれる。わたし、子どもかな…?
しんどすぎて動画を見ることすら出来ない。このまま熱が下がらなければ、中等症を診られる専門病院に転院だと言われた。無理すぎる。みなと達と離れたくなかった。

12月24日
どんなに下がっても平熱がもはや37℃台になってしまった。(元々の平熱は36℃もない)38℃下回っていれば寒気がないから動ける。熱が下がるタイミングでシャワーに入ったり、動ける時間は部屋の環境整備をして換気をする。ナースステーション前で防護服を着たスタッフと立ち話してる時もあったけど、長時間動けない。食事を取ると肺が圧迫されて苦しい。乾いた咳が明らかに増えた。元々タバコも吸わないから99%あった酸素化が96%から上がらない。シャワーを浴び始めると一気に酸素化低下して手足の先にチアノーゼが出て、呼吸困難になる。髪を洗っては座り、身体を洗っては座り、休憩を挟まないと何も出来ない。


夜は37℃まで下がったから横になってMステスーパーライブを観た。入院してる部屋で勝手に置いてあるテレビが点く心霊現象が起きたけど構うような体力もないので「はい消灯時間です〜」と言いながら消した。もはや無気力。
ナースコールを押すと、防護服を着たスタッフがレッドゾーンに来てくれるわけだが「私ごときの用事で貴重な防護服を使わせたくない」という思考になってしまって夜中に発熱しても人を呼べず、ついに「ナースコール押していいんですよ」と中堅ナースに諭される。すみません…だって防護服着るのに2人必要なの知ってるんですもん…

12月25日
朝起きたら、夜勤スタッフが「院長先生からクリスマスケーキですよ!はこさんの分!」とクリスマス夜勤をしていたスタッフの分にプラスして買ってくれたらしいスタバのケーキを貰う。そういえば、初めて入院して過ごすクリスマスだった。後ほど院長にお礼を言ったら笑われた。

こんなに離れたことなかったからどうしてるか心配で、みなととうららの事が心配すぎて動物病院に電話したらめちゃくちゃ可愛がってもらっていた。
解熱剤がなくても37.5℃を下回ったままになった。丸2日、37.5℃を超えなかったら退院しても良いよと主治医。日曜日かもしれないけど勝手に退院していいよと言われる。職員なので死ぬほど自由にさせてくれて有難い。
熱は下がり始めたものの、ダメージを受けた肺がだめ。食べれば酸素化が下がり、シャワーを浴びれば酸素化が下がる。何にも出来ない。

12月27日
入院時の予定通り、五日間で退院に漕ぎ着けた。解熱から72時間経ったので無罪放免。コロナ病棟のスタッフには後ほどお菓子の詰め合わせを渡した。死ぬほど優しくしていただいたので。みなととうららは元気だった。なんとか皆で帰宅できてめちゃくちゃ嬉しかった。ただしスタミナが無さすぎる。休まないと何にも出来ない。

退院から10日くらい過ぎて仕事に復帰してみたけれど、ちょっと忙しく歩き回ると苦しくなって座り込んで酸素化を測る。早歩きしかしてないのに、95%しかない。点滴を入れるのに下を向いて作業したら死にかけた。つらい作業を全部後輩が肩代わりしてくれて申し訳なさすぎる。復帰後もみんな死ぬほど優しくしてくれた。
肺組織が死んだままだから、N95マスクを着けての長時間処置には苦しすぎてつけなくなった。医師の処置介助のためについてるだけで目の前が白黒チカチカしてきて立っていられない。それでも私がいないよりマシ、やれる仕事がある。後輩の安心のために現場に居続けるしかない。これが今回の感染の原因だったなぁと思う。

結論から言うと「過労状態のときに、院内の外来フロアを仕事で何度も通ったことによる感染じゃないか」というのが医師たちに言われた内容でした。要するに市中感染というやつである。つらすぎる。

中等症までやったので私には抗体がついて、ワクチンはとりあえず必要なくなった。でも死ぬほど辛かったし、怖さが半端なかったからワクチンは必要なんですよ。私のお友達や家族は、私が酷い目にあってるので「ワクチンは必要だって周囲にも話して聞かせてるよ」と言ってくれてます。そうなんですよ、まだ病院で這いつくばって戦ってる医療者たちのためにワクチン打ってくれ。私に言えることはそれだけです。マスクはウレタンじゃなくて不織布をしてくれ。私の知り合いや大切な人みんな感染しないでほしい。それだけ。

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