付加価値志向の落とし穴

 京料理は材料原価の何倍、何十倍という価格で客に提供される。京都には、「京○○」と名がつくだけで価格が跳ね上がるものが多い。また一流のホテルや旅館はスタッフの細やかな気遣いや所作まで洗練されており、「おもてなし」が大きな付加価値を生んでいる。
 このような商品、サービスのソフト面における強みこそ、わが国が今後ますます生かしていくべきだろう。しかし、それはあくまでも商品やサービスについて言えることではないか。
 急成長する米国やアジアの企業を訪ねて、いつも感じることがある。それは人びとの働き方も、働く環境も、よい意味で「仕事中心」だということである。
 仕事で成果をあげる、目的を達成することこそが大事で、より無駄なく効率的に仕事を進めるかという視点から組織や制度をつくる。現状に問題があるとわかれば変える。この当たり前のことがシンプルに行われているのだ。
 それに対して日本では、商品やサービスの価値につながらない働き方の部分にも、上述した細かな気遣いやルール、慣行が持ち込まれている。たとえば仕事中はトイレに行くにも上司に断るとか、自分の仕事が片付いても周囲が残っていたら帰らない、必要がないと思っていても上司に事細かく報告する。身なりや服装もきちっと整えなければならない。こうしたことに気を遣い、上司に忖度することが強く求められていると、しばしばそれ自体に気持ちが奪われ、本末転倒に陥る。無駄な仕事はいつまでもなくならないし、仕事に対するモチベーション、ワーク・エンゲージメントも低くなる。
 とにかく仕事に関係のないしがらみが多すぎる。これだと日本が競争に勝てないのは当然かもしれない。
 

「個人」の視点から組織、社会などについて感じたことを記しています。