人間の能力とAIの能力、ともに過大評価のリスクあり

https://www.nikkei.com/article/DGXKZO46899090T00C19A7KE8000/

 AIによって労働者の仕事が奪われるのではないかと危惧されている。それに対し、AI化が進んでも人間の仕事はなくならないという見方をする人も多い。

 本稿でもAIの導入を機に労働者の「タスクの高度化」が実現されていると述べられている。とても重要な指摘であり、説得力もある。そのような現象が生じていることはたしかだろう。

 しかし一方で、AIの限界を人間が補うと考えられている部分も、ほんとうにそうなのかを検証する必要があるのではなかろうか。人間が存在感を奪われないために、「人間の目」を過大評価する可能性もないとはいえないからだ。

 必ずしも適切な例ではないかもしれないが、最近の大相撲でこんな例があった。行司の軍配に物言いがつき、ビデオ判定ではだれの目にも軍配どおりに見えるのに、何とも奇妙な理由をつけてビデオより審判の「目」が優先され、行司差し違えの判定となった。

 本稿にあげられている新卒採用の例でも、エントリーシートの読み込みと評価はAIでもできるが、「人事担当者は難しい判断が必要な案件を時間をかけて評価したり、応募者との対面コミュニケーションに時間を割いたりするようになった」と述べられている。

 たしかに、それによってAIの情報が補完されているようにみえる。しかし、もしかするとせっかくAIが正確で公平な評価をしていても、人間の「目」によって正確性や公平性を損なってしまい、結果的にマイナスの貢献をしている可能性がないとはいえない。AIはそれに対して反論する「口」をもたないので、人間の誤りがまかり通ってしまう恐れがある。

 AIの能力を過大評価するのも危険だが、逆にそれを過小評価し、人間の能力を過大評価するのも危険である。

「個人」の視点から組織、社会などについて感じたことを記しています。