AI採用は非人間的か?

 社員の採用にAI(人工知能)を取り入れる動きがみられる。おそらくAI採用は今後、急速に普及するだろう。一方では、その危険性や限界を指摘する人も少なくない。「AIに任せ切ることはできず、やはり最終的には人間の目で判断すべきである」というのが多数意見だろう。

 たしかに現時点でAIに任せきりにすることはできないかもしれない。しかし、AIの判定に人間の目で補正を加えるというのはいかがなものか?

 スポーツで選手が判定に不満を抱き、クサるのは相手が人間だからである。不採用になった就活生が会社を恨むのも、上司に低い評価をつけられた部下が上司に反発するのも同じだ。いずれも人間特有のブレや感情、恣意性に対して腹を立て、やる気をなくすのである。

 それに対し、相手がAIなら上記のような感情は起きない。かりにAIの能力的な限界による不完全な判定で、不利な扱いを受けたとしても、あきらめがつく。ところが、その不完全な部分を人間の目で補正するとなると、また上記のような感情がわき上がる。

 もちろん個別的には人間の目でAIを補完できる場合がたくさんあるだろう。たとえばAIでは低い評価を受けている人物と実際に会ってみたら熱意や誠実さが伝わってきたとか、話し下手だが実は論理的な思考ができる人物だとわかった、というようなケースはしばしばある。

 しかし、それはたまたま面接官が見つけた特徴にすぎず、そのような隠れた可能性はいたるところに眠っている。そして、かりにそのような可能性を普遍的かつ公平に見つけることができるなら、AIに学習させておいたらすむ話である。

 だとしたら、AIの能力が現時点の水準にとどまっているならともかく、いずれはAIに任せ、人間はタッチしないほうがよい時代がやってくる可能性が高い。

 AIが完璧ではないのと同様、人間も完璧ではない。どちらも不完全なら、ブレや感情のないAIに任せたほうが、余計な不信感や不公平感を与えないぶんだけでも「人間的」だといえるのではなかろうか。

「個人」の視点から組織、社会などについて感じたことを記しています。