見出し画像

最大の推しは……メガネ男子

かれこれ、23年も前のことになります。
私が中学2年生の春、ひとりの新任の先生がやってきました。
Y先生、としておきます。

Y先生は、大学を卒業したばかり。
浪人1年、留年1年ということで、当時25歳だったと記憶しております。

Y先生は、「超」のつくイケメンでした。
カッコいい、というよりは…
今でいう「キレイ目」の男子。

サラサラの黒髪。
シュッとした細面の輪郭、くっきりとした二重まぶたの目。
唇は薄いものの、口角が上がっているので、いつも微笑んでいるように見えました。

学校では、シャツにスリムのジーンズ、という格好でした。
Y先生は腰が細く、脚が長い。
スリムのジーンズが、この上なく似合っていました。
しかも、ジーンズはEDWIN。
(当時流行ったなぁ)

そして。
ここ重要。

Y先生は、メガネ男子だったのです!!

もともと綺麗な顔に、メガネ。
とても知的。
実際、先生は国立大卒だったので、頭は良かったんでしょうけど。

幸いなことに、私が中学2年生の頃、理科の担当がY先生でした。
授業中は、だいたい先生に見惚れておりました。

残念なことに、Y先生は私が中学3年生になる頃、違う学校に転任しました。
ゆえに、私の卒業アルバムには載っていません。
でも、今もY先生の顔は覚えています。

そして…
Y先生は、私に「メガネ男子」という「好み」を植え付けました。

その後、私は何人かの男性と付き合い…
2度、結婚しました。
ですが、「イケメンメガネ男子」とのご縁はありませんでした。

2度目の夫と婚姻中、息子を出産した後…
私は生活のため働きに出ました。

そこで出会ったのが、社員のNさんでした。
ですが私は、当初Nさんの魅力に気づきませんでした。

Nさんはメガネ男子ではありましたが、職場では帽子をかぶる決まりがありました。
体型も普通。
第一印象は「地味な人」くらいにしか思っておりませんでした。

ところが。
ある日、Nさんが休みの日。
用があって職場を訪れたことがありました。
(職場はシフト制でした)

私服。
といっても、白いTシャツに短パン。

しかし…
帽子をかぶらないNさんは、サラサラの黒髪の持ち主!!

えっ。
Nさん、こんなカッコ良かったっけ。

私は二度見しました。
何の変哲もない白いTシャツは、Nさんを「爽やか系イケメン」に見せてくれました。

時折、職場にお弁当を届けに来るNさんの奥さんを見ては、

「Nさん、もうちょっとマシな女、おらへんかったんかい」

と、心の中でツッコミを入れておりました。
Nさんの奥さんは、何とも地味な、小太りの女性でした。

それにしても…
Nさんは、私の好み「ストライク」の男性でした。

キレイ系のメガネ男子。
よく見ると、細い腰に長い脚。
何がキレイって、その横顔でした。

鼻が高く、アゴが細い。
そして、薄めの唇はどこか色気がありました。

例えていえば、大和和紀さんの描く、男性の横顔。
(おわかりいただけるだろうか)
ちょっとアゴが突き出た感じの横顔です。

とはいえ…
Nさんも私も、当時は既婚。
職場が同じ、というだけで、それ以上の縁はなく。

見ているだけで、まぁ眼福かな、という感じでした。
ほのかな憧れというか。
こっそりしまっておく、淡い片思いというか。

当時の私、24歳。
Nさんが29歳の夏でした。

時が流れ、私は仕事を辞め、別の仕事に就きました。
私が30歳の頃、Nさんが奥さんと別れた、という話を聞きました。

おっ。
別れたんや、と思いましたが、私は相変わらず前の夫と婚姻状態にありました。

とはいえ、諸事情で別居婚でした。
不仲ではなかったんですけどね。

しかしながら、心の底で「これは…」と思ったのも、事実です。
仕事を辞めてからも、元の職場には時々行っていましたから。

とはいえ、私はNさんを遠くでこっそり眺めるだけでした。
あーカッコいいな…
と思いつつ。

そして、私が31歳の頃。
乗っていた車の車検を、Nさんに頼みました。
その時、何気なく、

「いっぺん、昼ごはんでも行けへん?」

と誘ってみました。

「あ、いいねぇ。行こっか」

Nさんは快諾してくれましたが…
私の心臓は爆発しそうでした。

それをきっかけに。
あれよあれよという間に…
私はNさんとの逢瀬を重ねるようになりました。

とはいえ、Nさんはどう思っているのか。
多分その頃は「飲み友達」くらいにしか思っていなかったのでしょう。
私は、どんどん沼にハマっていきましたが。

逢瀬を重ね、Nさんの住む部屋に泊まるようになり。
ひと月も経たないうちに、私は前夫と離婚をしました。
もちろん、前の夫にはNさんのことはひと言も言いませんでした。

こうして、身ぎれいになった私は、Nさんに

「付き合おうよ」

と言いました。
しかしながらNさんは、

「いや今、オンナとか考えられへんねん」

と答えました。

それでも私は、週に3~4回はNさんの部屋に泊まるようになっていました。
Nさんの晩ご飯を作り、洗濯が苦手なNさんに代わって、洗濯もしていました。

これは私の「作戦」でした。
洗濯は、生活する限り、必ずしないといけません。
つまり、Nさんの部屋に行く「口実」になるのです。

ご飯を作り、酒を飲み、洗濯をする。
こんな日々が、1年続きました。

その後Nさんは、借家の一軒家に引っ越しました。
その後は、ほとんど「事実婚」でした。

そして、初めて食事に行ってから3年が経った、6月28日。
庭に面した縁台(ウッドデッキ的なやつ)で、Nさんと私はバーベキューをしていました。

Nさんがほろ酔いで、ゴキゲンになった頃、私は切り出しました。

私「あのな、『うん』て言うてくれへん?」

Nさん「何?」

私「今年、父親が定年になるから、私は扶養から外れるねん。つまり、社会保険もなくなるねんな」

Nさん「うん」

私「そやから、籍、入れてくれへん?そしたら私も扶養で社会保険作れるし、Nさんは扶養控除で税金が安くなるし」

Nさん「うん、まぁ、それはいいけど…。普通こういうことって、男から言い出せへんか?俺も、何も考えてなかったわけちゃうで」

私「かといって、待ってたらNさんはなかなか言わんやろ?」

Nさん「まぁ、そやなぁ…」

私「とりあえず、この月末か来月1日に、届け出そか」

Nさん「そこはやっぱり1日やろ」

…と、いうわけで。
2011年7月1日、私はついに「推し」と入籍することができたのです。

私は35歳、Nさんは40歳になっていました。

あれから12年。
私は46歳、Nさんは51歳になります。

長い月日を一緒に過ごしましたが…
私の最大の「推し」は、今もNさんです。

実に私好みのメガネ男子。
中年太りとは縁がなく、細い腰に小さなケツ。
スリムのジーンズがよく似合う、長い脚。

その最大の「推し」は、今では私の上司になります。
何だかんだ縁があって、私は6年前に元の職場に復職しました。

はい。
「夫萌え」に「上司萌え」が加わりました。
おかげさまで、幸せな日々を送っております。

そういえばNさんは、中学の頃のY先生に、どこか似ております。

#ハマった沼を語らせて

いただいたサポートは、リポビタンDを買うために使わせていただきます!