学ぶ
学校で学んだことは、役に立ってない。
ずっとそう思ってきた。
最近になって、それは間違いだと気がついた。
高校時代の3年間は、学ばされてきたから。
先生に言われたことを、ただ聞いていただけ。
学期末テストをクリアするために、なんとなく覚えただけ。
テストの結果だけで勉強をしたような気持ちになっていた。
学びとは言えない。
させられた勉強は身に付いていなかった。
私が本当に学びたいと思ったのは、衣服についてだった。
どうして和服が滅んでいくのかを知りたかった。
私の学びはそこから始まっている。
洋服も和服も、人が勝手に分類しているだけだった。
世界のどこに行っても、布を使って衣服を作る。
衣服の世界は深かった。
文化服装学院で学んでいた。
学校では様々な学びがあった。
言語化する、という発想はなかった。
半分は死んでいる時間だったかもしれない。
高校時代よりはマシだったと思う、半分は生きていたから。
私が今言葉に出来るとしたら、継続は力になるということ。
心の中にある 想いを消さなければ、持ち続けていれば。
小さく燃えている炎はいつでも燃え上がる。
何歳になっても、学ぶことは出来る。
あきらめてはいけない。
役に立つことを、人のためになることを、
自分一人で抱え込んで満足していては循環しない。
拙い言葉でも、自分の言葉にして、人に伝えてみよう。
迫さんの言葉は、学ぶ楽しさを思い出させてくれました。
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