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金曜日一首評:ひとはこころは壊れやすくて原君の荷物「はらばこ」に詰められていく/山崎聡子

ひとはこころは壊れやすくて原君の荷物「はらばこ」に詰められていく
/山崎聡子


歌集『青い舌』より。

同僚に原君という人がいて、その原君の荷物が「はらばこ」に、おそらく別の同僚の手によって詰められていく。それを眺めている。

原君は、会社を辞めるのだろう。その理由は二句までの切実な所感でうっすらと示される。
「ひとのこころは」ではないのは、壊れやすさの対象は「こころ」だけではなく「ひと」そのものもそうであるからだろう。

この歌が収録されている章「生きなおす」では、1ページごとに西暦年数の詞書が振られていて、その年代に即した歌が収められている。ひとりの人生を追体験するような章立てだ。
この歌には「2005」とある。同ページ掲載の短歌も就活や職場にまつわる内容なので、こちらも自然に職場の景と受け取った。

「はらばこ」
原君の荷物を箱に詰めて、原君に送るのかあるいは処分するところなのか、ややお調子者の社員のひとりがその箱をそう呼んだのだろう。あるいは箱の側面に本当に書いたり、ふせんを貼ったりしたのかもしれない。
主体が頭の中だけで名付けたというのもなくはないけど「」はこの場合ひとの言葉を借りたということを示しているように読める。

いじり、みたいな感じもする。でも悪意かというとそういう感じはなくて、どちらかというと原君はこの同僚たちから好かれていたのだと思う。
はらばこもう入れるものない?とか、はらばこ閉めるよ、とか今しばらくその名前は連呼されるのだろう。原君本人が不在の職場で。
はらばこ、のちょっと間抜けな響きは愛おしくてもの悲しい。
はらばこ。はら。くさはらや、のはらといったときの原。字にするとよりやわらかいそのなまえが、知らないはずの原君という人間の輪郭を濃くして、歌そのものの印象に大きく響いている。



縁日には、おかまの聖子ちゃんが母さんと来ていた、蜻蛉柄の浴衣で
/山崎聡子『手のひらの花火』

この歌もずっと大好きなんですけど、山崎聡子さんの短歌には読んだ瞬間にその場にぐっと連れて行かれるような、においや風や湿度(それは汗で前髪がしっとりとするくらいのむし暑さであることが多い)がある気がします。

『青い舌』の装丁、自分がイメージしている山崎さんの短歌の視覚イメージそのもので、そこも好きです。



(ひとこと)
お久しぶりです!🦤🧳💫

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