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西任白鵠(にしと・あきこ)さんが語る歌への思い

引用元URL:http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000003380

【前編】 「やればやるほど歌っておもしろい!」
宮崎 敦子
2006-11-24 16:31

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アルバムジャケット

 ラジオのDJ、そして最近はブログや音楽コラム執筆など、さまざまな分野で活躍している西任白鵠さんが、「一番好きな歌うこと」を集大成させた初めてのアルバム『If You Go Away』が11月22日、発売された。楽器と同時に歌って録音するジャズスタイルの本格派レコーディングで、スタンダードナンバーや隠れた名曲を温かく澄んだ声で歌い上げる。これまでの音楽活動、DJ活動を振り返りながら、西任さんにレコーディングの裏話や歌うことへの熱い思いを聞いた。インタビューは2回に分けて掲載する。

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 歌は大好きでずっと歌っていました。5歳からピアノも弾いていたので、小学校、中学校、高校時代はクラシックのピアニストになろうと思ってたんですけれど、「ピアノより歌」と強く感じたのは高校2年のとき、アメリカ留学中のこと。当時、向こうでピアノを習っていた大学の先生にも「育ててみたい、アメリカの音大に行ったらどうかしら」と言ってもらったんですが、「音大に行ったら朝から晩まで8時間ぐらいピアノを弾くものよ」って言われて、「それはイヤだな」と思ってしまって。性格的に、ひとつのことにグッと集中してそれだけやる、っていうタイプじゃないんですよ。あれもこれもやりたいんですね。でも、「歌だったら8時間歌ってもいい」と思った。だから私、歌のほうが好きなんだな、と気づいて。それで、音大を目指すのはやめようと思いました。「やっぱり歌が好きだ」ってすごく強く認識したのはそのときですね。8時間でも、歌だったら歌える。実際、歌ってますね。

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西任白鵠さん
撮影者:宮崎敦子

 やればやるほど歌は面白い。自分で歌うっていうのは、身ひとつでしょう。依存心が強いと歌って歌えないんだなと感じています。歌は人間という肉体、つまり自分自身が楽器だから、責任転嫁ができないんです。孤独だとも言えます。楽器は、楽器に頼れるというか、裏を返せば楽器のせいにできたりするし、楽器プレイヤーは出したい音に応じて楽器を変えることができるけれど、シンガーにはひとつしか楽器がない。だからその楽器、つまり自らを知ることから始めなくちゃいけない。でも得てして人は自分が持っていないものに憧れるから、たとえば自分がベースっていう楽器なのに、もしかしたらギターやピアノに憧れて、高い音でメロディを奏でようとするかもしれない。だけれども、自分の楽器の特性を理解して、その楽器がどういうメロディのどういう音を奏でられるかを知ること、っていうのもたぶん歌うことのプロセスのひとつだと思うんです。あとやっぱり言葉があるっていうのもほかの楽器と大きく違うところですよね。言葉は表現の幅を広げてくれると思うんです。自分が楽器としてどれだけ発展していけるかを追求すること、これは飽きない。やればやるほど、どんどん「歌にはこんなこともできる、あんなこともできる」って、毎回発見があるんですね。

 DJと歌うことは、もちろん共通点もあるし違うところもいっぱいあります。たとえばBGMによって、自分の声をどの高さでしゃべるのかとか、どのテンポで、どのリズムで、どういう間でしゃべるのかっていうのは、少し歌うのに似ているところがありますよね。特に生放送だとライブに似ている。だけれども、大きく違うのは目の前にお客さんがいるかいないのかっていうこと。やっぱり閉ざされた空間で電波の向こうのリスナーに向かって1人しゃべりをしているのと、目の前にお客さんがいて歌うっていうのは、これはもうまったく違うコミュニケーションですね。

 ライブのとき、「あなたのしゃべりや歌はラジオのようだ」って言われたことがあったんです。それは、要するにガラスが1枚あるような感じがする、ということだと私は受け止めました。普段ガラスに囲まれた狭いブースでしゃべってるから、そのしゃべりが10年以上やっていて自然と身に付いちゃってるんですね。ラジオは口元にあるマイクを使ってしゃべるから音の距離が短いんです。だけど、実際に人がいてそこまでの距離があって、っていうときに、声にもっと距離が必要なんですよね。ラジオを通して身に付いた多くのことがそうやって私にとっての定規となって「なるほど、ラジオだと私はこういう部分があるから歌ではこういうふうに意識しよう」ってなる。だからそういう意味では、共通点はあるけれども、歌うときは「歌人(うたじん)」という別人格になる、っていう感覚は持つようになりましたね。歌うときって、日常とは違うステージにいる感じなんです。そうしないと、歌えない。凝縮された時間芸術は表現できないんです。人生が3分っていう曲の中に閉じ込められていたりするわけですから。

 あとは今回ジャズレコーディングのスタイルで「せーの」ってみんなで録ったんです。以前経験したのは、まずドラム、次はドラムを聴きながらベース、というふうに1つひとつ楽器の音を重ねて録っていき、最後に歌を録る、という、ポップスの主流のスタイルでレコーディングしたんですけれども、今回は楽器と同時。いかに音楽っていうのが一緒にプレイすることでグルーヴが生まれるのかっていう、当然のことなんですけれど、感覚で、体験をもってそれを確認できたのはすごく大きな収穫でしたね。同時にレコーディングするっていうことは双方向のコミュニケーションになるから。その瞬間ごとに音を聴いて、「じゃあ自分はどう歌おうか」って考えて、そうやって自分が歌ったのに反応して楽器はどうプレイしようかって考える、だからそこにケミストリーが起こるわけですよね。音楽の面白みがすごくよく分かりました。

 正直、聴き返してみれば気になるところもいっぱいあって、できることならもう一回全部歌い直したいぐらい。それはプレイヤーでありシンガーだったらみんなそうじゃないかなと思うんですよね。だから一生「ああもうコレを超えるものはないわ」なんて思うことはないし、だからまたつくりたいと思うし、また歌いたいと思うし。人間って完璧じゃないから、階段を上るときに、美しくスッと上った方が、見た目にもきれいだし本人も気持ちいいけど、ヨレッとなって上ることもあるわけですよ。だけど、ヨレッとしても上ることができたんなら、それも人間だから、いいんじゃないかな、っていう。そのときのものしかないから、その瞬間を大切にするっていうことでしょうか。

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西任白鵠さん
撮影者:宮崎敦子

 7曲目の“What Am I Bid?”は、今回録った中でも特に思い入れが深い曲です。自分が車を運転しているときにラジオから聴こえてきて知った曲なんですけど、曲が流れてきた瞬間、ものすごく集中してね、フッと気がつくとそこには歌と自分しかいない、っていう感じで、すごく引き込まれちゃった曲なんですよ。内容は、自分が価値があると思うもの、例えば「鳴らないベル」とかね、あるいは「1本のバラ」「窓から見える朝焼け」とか、そういうなんでもない、一見もしかしたら価値がないと思われそうなものに、私は価値を感じる、と。そこに私は自分の名前を賭けよう、夢を賭けよう、真実を賭けよう、っていうような歌で、つまり一見世の中で価値がないとされているものも、果たして本当にそうだろうかと問いかけているような曲だと理解しています。この曲をピアノを弾きながら歌ってると、なんとなく心が澄んでく感じがするんですよね。とても気持ちがよくなっていくというか、無駄なものが落ちていくというか。

 これはね、1回しか歌わなかったんです。レコーディングの最終日の一番最後の時間でした。しかもこれだけピアノの弾き語りをしているんです。1日の終わりで、レコーディングの最後、正直言って、すごく疲れてたんですね。レコーディングって体力使うんですよ、ものすごく集中して聴くし、何度も歌うし。この曲に必要な集中力と自分の残りのエネルギー量を考えると、「これは何回も歌えないな」と思ったんです。で、自分の中で勝手に「これ絶対1回で決めよう!」と思って歌ったから、それはもうものすごく緊張したんですよね。でも同時にすっごく集中しました。その結果、いつも弾いてた感じとは違ったふうになったんですよ、この日。弾き語りなんでね、自由度が高いんです。それで「この日しか歌えない、この日の“What am I bid?”」っていうのができあがりました。ある意味、自分を追い込んでつくりあげた曲です。

 ただ、スタジオにあったのがとってもいいピアノだったので、このとき、さっき言った「楽器があることのありがたみ」っていうのを感じたんですよね。楽器が目の前にあるっていうだけで、やっぱり身ひとつで立って歌うよりも、なんかね、頼れる人がいる感じなの。歌を歌うのとピアノを弾くのは、もうまったくスタンスが違うんですよね。なのに弾きながら歌うっていうのは、両方に集中しなきゃいけないんですごく難しくんですけど、でも弾きながらピアノからも力をもらえるんです。いい音を返してくれると、弾いていてうれしくなります。で、うれしくなってまた歌う、それにピアノがまたいい音を返してくれて……っていう。楽器との双方向コミュニケーションを、ピアノと自分の声とでできちゃう。自分が弾いてるピアノがあって、そのピアノに「お前ありがとう、よくやってくれてるよ」って感謝する気持ちと、ピアノが返してくれる音があって、それが聴こえてくることによってまた自分のアウトプットがあるっていう。瞬間にエネルギーが回ってく感じなんですよ。それが緊張感とともに1曲の間ぐるぐる続きましたね。

西任白鵠(にしと・あきこ)さんが語る歌への思い【後編】へつづく)


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西任白鵠さんプロフィール=大阪生まれ、福岡育ち。大学在学中からDJとして活躍。主な担当番組にFMヨコハマ「tre-sen(とれせん)」、i-Radio「TOWER RECORDS COUNT DOWN、Gaba「G-Style English」など。
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【関連サイト】
MyFavoriteThings西任白鵠~にしとあきこ~blog


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西任白鵠(にしと・あきこ)さんが語る歌への思い【後編】
【音楽】『IfYouGoAway』西任白鵠

オーマイニュース(日本版)より

※引用文中【画像省略】は筆者が附記
後編は以下


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前後編を通じた感想は後編のほうに書いてしまったので、なぜ記者さんが後編の記事を先に投稿してしまったのかについて考察。これはもう単純に「記事を編集する時のリストの並び順に騙された」以外に理由はないだろうと思います。あくまでも例ですが、編集部員が記事を編集する時の「編集記事一覧」の見た目はこんな感じだったのではないかと。

3380:西任白鵠(にしと・あきこ)さんが語る歌への思い【前編】
3379:両足失った元女性パイロットを局長に抜擢
3378:桑田がKUWATAになる日へ
(中略)
3276:南アフリカ共和国が同性婚を合法化
3275:西任白鵠(にしと・あきこ)さんが語る歌への思い【後編】
3274:ベールの戦争:オランダ政府がブルカ着用の禁止を提言

スタックという考え方に慣れていないと【前編】が【後編】よりも下にあることに違和感を感じるでしょうし、それで先に【後編】を投稿して見た目に安定感を見出したのではないかと思います。それに加えておそらくですが、投稿記事の編集モードは自分の担当している編集記事のみがリストに表示されるような仕様だったのだろうと。

公開日で【前編】【後編】の順番はどうにでもなりますしねw