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アディショナル・タイム⑤

「沙良……?」
 そこにいたのは、新谷の幼馴染だった。この場に居るなど予想していなかっただけに、思わず声が上擦ってしまった。
「お前、この前知り合ったばかりなのに呼び捨てかよ」
「あ、ああ……すみません……。ちょっとびっくりしちゃって……」
「いや、全然いいですよ! 気にしないでください」
 そう言って沙良はペコペコと頭を下げていた。
「急に呼んで悪かったな、古川。沙良ちゃんから連絡あってさ、お前も呼んでくれって」
「俺を……」
 新谷は、死後一週間の状況が分からない。古川大数としての記憶は一切持っていないのだ。この三人の関係が知りたい。最初に切り出したのは垓だった。
「あの日から一週間か……。こんな可愛い子に突然話かけられて、驚いたよ。なあ、古川」
「あ、ああ……そうだな……」
 三人は新谷の葬式の場で、初めて知り合ったとのことだった。そこで連絡先を交換し、今に至るという訳だ。
「生前の彼の様子が知りたくて……。それで、会社の同僚と聞いていたお二人に声をかけたんです」
「その点に関しては、たぶん古川の方が詳しいと思う。俺は新谷とは部署が違ったからさ。こいつは部署も一緒だったから、色々と知っているはずだ」
 知っているも何も、目の前にいる男の中身は新谷刹那その人なのだが、もちろん二人は知るはずもない。新谷は、自分が死のうと思ったその経緯を、自身の心を整理するように語り始めた。古川大数という観測者の視点で。
「……新谷は、常に悩んでいました。理想と現実のギャップがなかなか埋まらないことに。そんな中で、彼は重大なインシデントを起こしました。そして命を……。思えば、その前から限界が近かったのかもしれません……」
「そこが不思議なんだよ。俺にはあいつが死にたがってたようには見えなかった。色々抱えてたのは知ってたけどさ。情報漏洩っていうのも、USBにちょっとした資料入れて持ち出しただけって聞いたぞ。それで死ぬと思うか?」
 新谷は垓によく仕事の相談をしていた。しかし、プライベートな悩みはほとんど話したことがなかったのだ。ずっと俯いていた沙良が、そこで口を開いた。
「実は……彼が亡くなる前日に、私は彼に会っていたんです。もしかしたら、それが原因かもしれないって思ってて」
「そ、それは……」
「どうした、古川?」
 新谷は、その話を聞きたくなかった。あの日、沙良と会ったこと、話したこと、全て鮮明に覚えている。だからこそ、いまこうして彼女の言葉で語られることで、あの日を思い出してしまうことが何よりも嫌だった。
「い、いや……なんでもない……」
 しかし、今の新谷は古川大数なのだ。その日、二人の間で交わされたやり取りを知る筈がない。新谷はぐっと唾を飲み、出てきそうな言葉をも飲み込んだ。
「実は……刹那から……告白されたんです」
「こ、告白!?」
「いえ……告白というより、プロポーズに近いというか……」
「プ、プロポーズ!?」
 垓のリアクションがいちいち大きいことに、新谷は頭を抱えた。
「そ、それで沙良ちゃんの答えは?」
「ごめんなさい……。今はまだ……と、お断りしました……」
 新谷は顔から火が出そうなほど、真っ赤になっていた。
「今はってことは、可能性はあったの? ていうか、沙良ちゃんと新谷って付き合ってたの?」
「ちょっ……そんなに根掘り葉掘り聞かなくても……」
 新谷は興味津々な垓をやんわりと制した。しかし、そんなことは意に介せず彼は続ける。
「そもそも、沙良ちゃんは……新谷のこと好きなの?」
 それは新谷にとって、一番聞きたくないことだった。もう、この場から逃げ出したかった。一度ならず二度までも、絶望の淵に立たされたくない。
「私たちは付き合ってはいませんでした……。彼のことは――」
「あー! 沙良さん? お酒空っぽですね! 何飲みます!?」
 空気読めよ……という垓の目線を無視して、新谷は彼女に伺いを立てた。
「あ、じゃあ同じのを……」
「わかりました! すみませーーーーーん! 店員さーーーーーーん! これと同じの一つと、めちゃくちゃ強いお酒一つくださーーーーーーーい!」
 唐突に大声で会話をぶった切った新谷は、二人から困惑の眼差しを向けられていた。
「いやーしかし、首相が変わったことで日本経済にどのような影響があるか、これから注視していかないといけないよね。うんうん。みんなはどう思う? ぜひ意見を聞かせてほしいな!」
「……あのなあ古川。いまそんな話してないし、急にどうしちまったんだよ。なんか変だぞ」
「あ、あははは……。ちょっと酔っぱらっちゃったのかも……」
「あの、一杯目ですけど……」
「ち、ちょっと僕お酒弱くて……。あ、ほら!
お酒きましたよ。はい、これ沙良さんの。で、これが僕の――」
 新谷の目の前に差し出されたのは、酒と呼ぶにはあまりにも強すぎる刺激臭を放つ、透明な液体だった。横にレモンが添えられている。
「こ、これは……」
「スピリタスだな……。アルコール度数九十六パーセント。世界最高の度数の酒だ」
 新谷は、目の前に鎮座するショットグラスを見つめ、ごくりと唾を飲んだ。強い酒とは言ったが、まさかラスボス級が出てくるとは。しばしの逡巡の後、新谷はそれをグイっと一気に飲み干した。
「お、お前さすがに一気はやりすぎ……」
 そして、新谷の意識はそこで途切れた。
 

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