見出し画像

まえばし心の旅026:昔の遊び

中村草田男ではないが、「昭和は遠くなりにけり」と思うことがある。私が小学校に入った40年近く前、まだファミコンもなかった。もちろん、インターネット・携帯電話などは、姿形もない。そのころ、どんな遊びをしていたのかなあ、とたまに思い出す。

一番古い遊びは、ローセキを使って、道路に絵を描いたことかな。最初は電車や車の絵、それがやがて、丸をいくつも書いて、ケンケンパーに発展した。ローセキを買ったのは、もちろん駄菓子屋「うすい」だったと思う。そのうち、幼稚園の友達の家に遊びに行き、おままごととか電車ごっことか、子供らしい遊びになった。

やがて小学校に上がると、帰り道は広大な遊び場になる。歩道橋の階段での「グリコ」。じゃんけんで負けると、全員のランドセルをもち、次の電柱まで歩く。そんなことをしていると、なかなか家につかない。おまけに、途中にある友達の家に寄って、「夕焼けにゃんにゃん」や「ハースクール奇面組」、水戸黄門の再放送も見なければならなかった。

その頃、学校からの帰り道の周りが区画整理をしていたので、空き地が多かった。そんな空き地では、だるまさんが転んだとか、缶蹴りなどをした。
また、県民会館の東側の公園がちょうどできたばかりで、カラーボールとプラスチックのバットを使った野球もやった。ロケット花火を何発も上げたことは、もう時効としてほしい。

学校ももちろん、遊び場だ。校庭では、休み時間に「けり野球」をした。スプリンクラーの蓋がベースの代わり。今考えると、よく20分くらいの休み時間に、校庭まで行ってやったものだなあ。たまにスプリンクラーから放水が始まり、びしょ濡れになる奴もいた。校庭の脇に、「石山」という、コンクリートでできた山があり、トンネルに階段、そして通路が張り巡らされており、大きな滑り台もあった。そこは、「どろけー」のメッカだった。トンネルの中に隠れたことを、今でも覚えている。

そのうち、徐々にお小遣いが使える様になってくると、ものを買ったり集めたりすることが面白くなってくる。その東西両横綱は、キン消しと、ビックリマンチョコだろう。きんけしは、掴み取り大会などもあった。みんな持っている数を競って、珍しいものを持っているのを自慢した。僕が持っていた一番珍しいのは、ウオーズマンの口が笑って、手にメリケンサックの様な爪があるやつだった。ビックリマンチョコは、いろんなキャラクターのシールがあって、後ろの色がきらきらしていると、貴重だった。専用のノートに、集めたシールを貼っていた様な気がする。一時期、シールだけ集めてお菓子を捨てる行為が問題になっていた気がする。僕は、あのサクサクした食感とチョコの味がけっこう好きだった。

小学校2年生の時に、ファミリーコンピューターが発売された。今思うと、そのころから、子供が外で遊ばなくなった。友達の家に遊びに行っても、みんなファミコンを繋いだテレビの周りに集まる様になった。ちょうど僕の世代は、ファミコンが出る前と、ファミコンが出た後の、両方を知っている。だから、子供の遊びが急に変わっていったことを、身を持って体験した。

これを書いていたら、いつのまにか、一人称が「私」から「僕」になった。自然と、自分の内面が子供に戻っているのかな。今の子供達は、数十年後、どんな遊びを思い出すんだろう。自分の子供時代を振り返ると、思い出すのは、ファミコンが出る前の遊びの方が多い。やっぱり体を動かす遊びの方が、記憶に残るのかな。

そのうち「平成は遠くなりにけり」という日も来るのだろう。

放送日:令和3年10月13日

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?