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まえばし心の旅027:運動会

手元に1枚の写真がある。私が幼稚園のうわっぱりを着て、頭には緑組の帽子を被り、レジャーシートの上で家族みんなでお重を囲んでいる。場所は、小学校の校庭。何の場面かというと、幼稚園の運動会だ。「幼稚園の運動会なのに小学校?」と思われるかもしれない。私が通った幼稚園は、運動会はすぐ隣の小学校の校庭を借りて行っていたのだ。

その後、同じ校庭で、今度はその学校の小学生として運動会に出ていた。種目に出るたびに、トラックの脇に作られた「入場門」から入り、リレーや遊競技などを行った。リレーの他に、足が速い子だけを集めた「選手リレー」というのもあった。私はもちろん選ばれないが、「放課後に練習だなんて、選ばれなくて良かった〜」と、内心思っていた。確か、八木節も踊った様な記憶があるが、昭和58年だけは、あかぎ国体に合わせて「上州さわやか音頭」だった気がする。でも、昼食は、小学校の時は家族一緒ではなく、教室で食べた。

今考えると不思議なのだが、なぜか、転んだりして怪我をした友達は、ちょっとしたヒーローになったものだ。先生などに肩を支えられながら歩き、保健室に向かう友達を、みんなちょっと、心配と憧れが混じったような視線で見送る。

大人になり、一回だけ知人に招かれて、その知人のお子さんの運動会で、自分が卒業した小学校の運動会に行ってみた。校庭の遊び道具や「くすの木」が懐かしかった。木の下で、レジャーシートを広げて、知人が作ってくれたお弁当を食べ、ビールを飲んだ。大人同士で、それはそれで楽しかった。別のご家族だが、飲みすぎたお父さんが、校庭の隅で横になっていたが、その方がその夜、ご家族からどんな扱いを受けるかは、想像しない様にしておこう。

運動会では、応援がつきものだ。リレーの時は、走っている子の名前が書いたカードが掲げられ、「みーほ!みーほ!」という感じでみんなでその名前を連呼した。また、ちょっと前のヒット曲を替え歌にした応援歌もあった。(「学園天国」のメロディーで)「赤城も榛名も妙義もね、優勝狙っているんだよ。」といった歌だ。

そう、出てきました、赤城・榛名・妙義。そして、私の学校は4クラスあったので、浅間団もあった。数字や色でなく、山の名前に「団」をつける、群馬方式。それが群馬独特のものだと知ったのは、はるか後のことだ。ある情報筋によると、これを最初に始めたのは桃井小学校ではないか、という説がある。のちに、大学を卒業して入った会社は、「社員家族大運動会」というのがあり、その運動会も部署や支店によって団名がついており、学校にあった4つ以外にも、白根団・武尊団などもあった。大人の世界にも浸透していることに、今考えると驚く。

私の学校では、赤城団が1組で赤、榛名団が2組で白、妙義団が3組で緑、浅間団が4組で黄色だった。そして、なぜか、中学に上がると、同じ系列の学校なのに、妙義団が青になった。ひょっとしたら、学校や地域によって、この色は違うのかな。私は小中9年間のうち7年間が妙義団だったので、妙義団に馴染みがあるが、毎日目にしている赤城の名前を冠していた1組が、なんか羨ましかった。

当時はなんの疑問もなく受け入れていた運動会の◯◯団。今思えば、郷土の山の名前を自然と覚える効果があり、大人になってもこういった話題で盛り上がるし、さらには「群馬方式」としてネットやメディアなどに取り上げられる。群馬の運動会は、学校行事として心身を鍛え、団体行動を学ぶと共に、郷土愛を育み、全国的にその施策が注目されるという、壮大なプロモーションなのかもしれない。

いつになるかわからないが、また、盛大に運動会が開かれることを願っている。

放送日:令和3年10月20日

音声データはこちらからお楽しみ下さい。


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