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本名と他の名前

マイナンバーカードの更新へ行ってきた。
苗字も名前も読みにくいので、間違えられるのは慣れている。
「エミリ」と、初めての間違えられ方に胸が躍った。
全くもって違う名前で、どうしてそのような読み間違えをしたのだろうと思いながら、何度も「エミリさん」と呼ばれて心の中に新鮮な風が吹いた。

本名は好きだが、だからといって強いこだわりはない。
宅配の人に毎度間違えられながらも、そのままにしている。
例えば渡辺さん。
渡邊・渡邉・渡部で「渡邊なんですけど!」と、語気を強めて訂正する姿を見かけた時、その情熱がすごいと思ってしまった。
申し訳ないが「渡邊」を書ける自信はなく、再び語気強く叱られそうだ。
だが、自分の名に誇りを持っている方が一般的で、それが当たり前なのかもしれない。

妖怪や神が真名を知られてしまうと、知った者に魂を握られてしまう。
つまりは言うことを聞かなくてはならない。
人間も、呪術を行う際に本名が必要だ。
幼少の頃からそんなことばかり本で読んでいる身からすると、本名など煩わしくて仕方がないと思ってしまう。
実際には本名を使う世界で生きているので、そのようなことをも言っても仕方がないのだが、とはいえ知られてしまうと何だか居心地の悪い気持ちになるのだ。
サンダル履きの素足を見られたような、外出時に香水をつけ忘れたような心許なさ。

だからか、私はいくつか名前を持っている。
結婚する時も、不謹慎だが新しい苗字が手に入ると思ったら面白かったし、今日の間違え「エミリ」も仲間入りしても良いかもしれない。

名が変われば、気分も変わる。
なので、名前を考えるのは好きである。
本名よりも、自分の付けた名前の方が愛着があるくらいだ。
仮面を付け替えるように、名前を変える。
変身願望に近いとも言える。
深酒をし気を大きく振舞い失敗するより、名前を増やすことなど健全な内ではないだろうか。

女性は娘・妻・母・仕事・プライベートでの役割が変わるのに「一人の自分」で過ごそうとするから、どれが本当の自分か分からなくなり戸惑いの原因になると読んだことがある。
この時は女性がテーマの話だったが、男性にも同じことが言えるだろう。
だとすれば、自分の中だけでも名前を変えてキャラクター分けをしてみれば良い。

名前には責任が付いて回る。
責任を軽視しているつもりはないが、本名は責任が重過ぎもある。
コンビニの店員も名札に本名を書かなくても良くなったし、バスの運転手の名札はなくなった。
番号札の番号で呼び出す病院も増えた。
番号で呼ぶだなんて、非難めいたその気持ちも理解できる。
だが、本名を晒すなど正気の沙汰ではないと思っている私としては、心から賛成だ。
自分を守るためにも、本名は軽々しく表に出して良いものではないとも思っている。

大事(面倒)だから隠す。
そして気軽に使えるお気に入りの名前を増やしてみる。

SNSが身近になって、HNやアイコンで変身している人も多い。
気持ち楽になった人も少なくないはずだ。
自由とモラルを穿き違えなければ、色んな仮面を持つことがこんなにも楽しく、気分が軽くなるのだから。

あなたも新しい名前を作ってみてはいかがだろうか。

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