誕生日

(これは、2020年9月8日、二十歳の誕生日を迎えるより前に書いていたものです。)

誕生日が大嫌いです。

きいろい気持ちの誕生日ばっかり思い出しちゃうから。

高校生の時、なかよしグループの中で、お誕生日の子がいるとみんなでサプライズで祝う、みたいなのがありました。
お弁当を一緒に食べてた10人くらいがそのままラインのグループになっていました。
学年のはじめには休み時間をトイレで過ごしていた私も、しばらくすると優しい子のおかげでその輪に入ってお弁当を食べられるようになって、一学期の終わりくらいにはそのライングループにも入っていました。
およそ10人が誰かのお誕生日のたんびにロッカーに持ち寄ったお菓子をこそこそ詰めてお祝いするのだから、サプライズというほどのサプライズは無くなっていったのですが。

とは言ってもグループに入っていさえすれば祝ってもらえると思ったら大間違いで。
私の生まれた日になんて誰も興味がないから、私の誕生日は何事もなく過ぎました。
わかってはいたけれど、1時間ごとに教科書をとりにロッカーを開けるたびに、冊子が並ぶだけのいつも通りの光景があるのがしんどかった。

その1ヶ月くらいあと、私がそのグループに入ってから初めての、他の子のお誕生日でした。
いつも、お誕生日の子だけを抜いた特設グループを作って、「お昼休みの最後にお祝いしよう」とか「今教室で引き止めとくからお菓子入れといて!」とかこっそりやりとりをしていたようでした。
私はそのグループにも招待されていなかった。
「ライン見て!」とある女の子に言われて初めて、そんなグループが作られていること、私が入っていないことに気がついたんですね。
それを伝えるとその子は焦っててちょっと気まずそうだった。
たぶん、意図的にでなくてほんとうにすっぽりと私の存在忘れられちゃってたんでしょうね。いや、忘れたというか最初から空気というか…

ちなみにクラス替えなしで進級した次の年の誕生日にはみんなと同じようにお祝いしてもらえました。
去年はやってないということすら覚えていないというか認識してなかったようで、
なんだかもう、そういうの全部自分の存在の薄さに繋げちゃって、祝わせてるのが申し訳なくなっちゃったな。
今年は、グループにいるのに気がついちゃったから、誕生日だと気がついちゃったから、祝ってくれてるんだろうな、ごめんなさいって気持ち。
だからなんだかうまく喜べなくて、ロッカーを開けたらお菓子やら風船が雪崩れてきて、気づいたら周りにいたグループの子たちが誕生日の歌を歌ってくれた時にはただ固まってしまった。
なんでこの子たちこんなニコニコしてぴょんぴょんして楽しそうに歌ってくれているんだろう。
なんでお菓子なんて買ってきてくれたんだろう。
祝いたいわけでもない誕生日に。
と考えてしまいました。

大学生になってはじめの誕生日は、劇の千秋楽前日でした。
昼くらいに本番を終えて、そのあとはバイトに行きました。
劇はとても順調とはいえなくて、脚本が全て上がったのはたしか小屋入りの2日前くらいでした。
だから本番と言っても終始バタバタアセアセしてたのです。
だから、自分の誕生日が近づいているなんて全く意識していなくて、誕生日当日に昔の知り合いからラインがきて初めて誕生日であることに気がつきました。(そういう人こそ大切にするべきです。それはわかっているけど今年に入って無理になってしまってラインの返信をやめてしまいました。)
バイト先では誕生日会をやる子が結構いたけれど、普通に働きました。
自分でアピールもしなかったし、誕生日がいつかは何度か言っていたけれど当然覚えている人はいなかったので。というかそれが普通です。
もうすぐ私誕生日だから誕生会したい!なんていうシステムは一般的ではありません。
祝いたい人はその人のお誕生日は覚えるものですから、自発的に祝います。
高校生の時の誕生日が悲しかったから、自分の誕生日なんて気にしてない、どうでもいいのフリをしてなきゃやっていられなくなってしまったのです。
大学の子からも当たり前におめでとうはありませんでした。
いつも授業を一緒に受ける数人がいて、私以外は祝いあっていたのですが、やっぱり私はなかったです。(と、いうかそもそも私はその子たちのライングループにもいませんでした)

自分の誕生日に嬉しい思い出がないと、ひとのお誕生日を純度100%で快くはっぴーにお祝いすることもできません。
私の弱くて薄汚れたところです。
高校生の時も、自分の誕生日だけ見事にスキップされてしまったあとは、他の子のお誕生日を祝うグループに入れてもらってお菓子を選んでセッティングして祝っている時も、どこかに小さく悲しさが居座っていて、ほんとうの心からのおめでとうは言えてなかったな。ごめんなさい。
まあ私が祝おうが祝うまいが違いなんてないんだけど。
バイト先でのお誕生日会も、心から気持ちよくお祝いできない。
この子のお誕生会にはお客さんがたくさん来てくれるなとかプレゼントたくさんもらってるなとかこの子はケーキ3個も頂いてるとかこの子は出前頼んでもらえてるとかそういうの、愛されてるな、と、
わたしも大好きだからうれしいんだけどうれしいだけじゃないのが悲しい、申し訳ない。
(じゃあなんでひとの誕生会に出勤するんだというと、やっぱり好きで祝いたいのと、誕生会でしかプレゼントを渡せないからです)
価値が低いということよりも、価値が高い人のことを妬むことの方が醜くて救えないと思っている。

というかもう、20歳になってしまうのが悲しいです。成人になりたくない。
何かにつけて「まだ若いから」とか「でもまだ10代でしょ?」とか言ってくれたひとたち、
20歳になった私になんと言ってくれますか?
だんだん終わっていくのが悲しい。

誕生日は1年間の通信簿だとか言ってるけど、20歳の誕生日を嬉しい気持ちで迎えられないという事実こそが、私が私に渡す20年間の通信簿なんだな、と今気づきました。

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