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11/27 ファミレスにて

 生きる責任がなくなった。

 私は比較的物事に意味を求めがちな性格だ。
 というか、意味を必要としている。

 なんて説明しよう。
 たとえば、突然「手を叩いて!」と言われたらまあとりあえずパチンとするかもしれないけれど、「10回スクワットして!」と言われるとちょっと一回理由を聞きたくなる。
 もしくは、友達に「ちょっと100円貸して!」と言われれば、理由なんかは聞かずとりあえずはいと渡すことができても、「ちょっと3万円貸して!」だとすると、さすがにとりあえず話を聞きたくなるだろう。で、それがペットの手術費だったら貸すかもしれないし、パチンコで負けちゃって…だったら貸さないかもしれない。
 自分にとって負荷が小さい行動ならば意味や理由は明確でなくても受け入れられても、負荷が大きい行動だと、それに見合うと思える意味や理由を求めたくなる。
 そしてその負荷というものは、人によって感じ方が異なる。
 先の例えでも、小学生からすれば100円だってほいと渡せる値段ではないかもしれないし、石油王からすれば3万円だってほいと渡せちゃう値段かもしれない。

 そういう点において、私にとっては、生活の細部にわたるほぼ全てが、意味や理由や意義や対価を必要とするものなのだ。
 朝起きること、3万円。
 お風呂に入ること、3万円。
 電車に乗ること、3万円。
 眠りにつくこと、3万円。
 少し気圧が低ければ、起き上がって飲み物を飲むことですら、3万円。

 私は生活において石油王ではなく、むしろ小学生である。100円だって気軽には出せない。

 そんなわけだから、私は生を延長することにいちいち意味を求めてしまう。

 3月まではアイドルでいることに生きる責任を 見出していた。
 今週末ライブがあるから、来月リリースがあるから、そうやって生きる責任を見出すことでようやく私は生活とか延命という重労働を引き受けることができた。

 大学一年生の頃はそれは舞台だったし、高校生の頃は演劇部だった。

 わかってきたのは、私は表現でしか生きる責任を感じられないということ。

 明日の朝ごはん用に美味しそうなパンを買ってあるとか、友達と遊ぶ予定があるとか、ディズニーランドに行くとか、そんなんじゃ生きるを延長するに値するとは思えないのだ。


 残念ながら所属していたアイドルグループが解散してしまったあと、私はそれはそれは不健康的で非文化的に生きていた。
 生きる責任もない。健康でいる責任もない。朝起きる責任もない。体型や体力を保つ責任もない。

 結果から言うと、有難いことに私はまた生きる責任を与えられて、生きる意味を見出していたわけだけれど、この度それが白紙になってしまった。
 あろうことか撮影二日前に。

 生きなければならないという重圧から解放されて、体はとても軽い。
 太らないように食べ物を我慢しなくていいし、肌荒れしないようにお酒を我慢しなくていいし、ピアスの穴は自由に開けられるし、うっかりヘアアイロンで首を火傷してしまっても別にいいし、バク転とかに挑戦してみてもいいし、空を飛んでみたっていい。
 自分の体を縛らなくていいし、自分の体を大事に扱わなくていい。

 自分の体が不自由になることが生きねばという思いを起こさせて、自分の体が自由になることがその逆だなんておかしな話かもしれない。

 でも、生きるを延長することは此岸に自分を縛っておくことなのだから実はなにも不思議ではないのだ。
 
 矛盾を指摘するのなら、私は私でない人間になれるという保証のもとでのみ私として存在することを了承できるという仕組みの方がおかしい。(まあ、「保証」などないのだが)

 おかしいけれど、どうもそれは中学時代から変わっておらず、私は演じるという行為を完全に逃避に利用している。演じることが好きなどとは到底言えない。寧ろ侮辱している可能性さえ自覚している。


 そんなわけで、私はとりあえず、今日はたくさん食べてたくさんお酒を飲もうと思った。

 昼、約3年ぶりに美容室に行った。まあそれも目的を失ってしまって、別に髪を小綺麗にしたところで、なのだが。
 いっそばっさり切ってみようかなんて一瞬思ったけれど、私の内側にあるわけではない理由で私が変わる(しかもそれなりに手間暇かけて伸ばしてきた髪の毛を切るっていうのは、かなり大きなこと!)のはなんだか癪だなと思って、誰にも分からないくらい切ってもらって終わった。(私としては8センチは「思い切った」にはいるのだが、おそらくロングヘアの8センチは他人にとっては誤差の範囲である)

 夜には久しぶりの人たちとの約束がある。
 それもまあ、行こうかなと思う。彼女たちと会うことは、私にとってじつはそんなに負荷が大きいことではない。有難いことだ。

 集合の時間まで5時間くらい空いてしまって、どうしたものかと考えて、ファミレスに入ってみた。
 私は一人で行動するのがひどく苦手で、外食もその例に漏れなかった。

 ドキドキしながら入店して、席に案内されて、メニューを見る。
 食べたいと思ったもの全部注文してやろう、と意気込むも、特に食欲がそそられるものはなくて、それでも前に気になっていた記憶があるものとか美味しかった記憶がある3点を注文した。

 店内を見回して、案外一人のお客さんもいるものだなあ、と思った。
 なんだかすごい量のお酒を飲んでいるお姉さんもいれば、音楽を聴きながら小皿を突く高校生もいる。

 料理が届いた。

 食べてみたらとりあえず熱いんだけど、それ以上の感想は湧いてこない。

 残念ながら、今回のは、暴食という安直なヤケクソでどうこうなるような絶望ではなかったらしい。
 まあそりゃそうだ。税込1030円が生きる責任の喪失を補填できるはずはない。それはファミレスに背負わせすぎだ。

 そういうわけで約1時間半経った今も私の目の前には食べかけの料理が鎮座していて、もっと言うと味は好きだけれど食べた後不快感で気分が悪くなるという理由で普段は避けているニンニクを食べたせいでまんまと胃が気持ち悪い。

 「後先考えない」という気持ちよさがある、と思っている。
 これは人によっては、少なくとも私にとっては一種の自傷行為になる。ヒリヒリするね。
 一人でファミレスに突入するとかたくさん注文するとかニンニクを食べるとか、私の「後先考えない」はなんとまあ小さくてダサいんだろう。

 私はもうヤケクソだから、充電があと25%しかないけれど構わずこの無駄な文章を綴り続けるよ。
 この後どこに集合かも分かっていないし道順も分かっていないけれど、画面の明るさは変えないよ。

 食べるのに飽きたから出まかせで駄文を綴って、次は飲んで、飲むのにも飽きたら耳に穴でも開けて、久しぶりにおばあちゃんに連絡しようかな。テキトーにネットで調べて呪いとかやってみてもいいし、帰るのダルかったら地面で寝てもいいし、それも飽きたら全部やめたっていい


本当に胃が気持ち悪い

ニンニク、アイドルしてた時期避けるようになってから、本当に無理になっちゃったんだな

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