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9/21


 ポエトリープ解散から、9/21で半年になる。

 早いと言えば早いし、遅いと言えば遅い。

 半年前のちょうど今は、今と同じ場所に座って、卒業アルバムの作業に追われていたか、それももう諦めてうとうとしながら爪を水色に塗っていたはずだ。



 いろんなものが一つずつ、剥がれ落ちていく。

 執着していたものが一つずつ、関心のない風景に変わっていく。

 いろんな愛するもののために動きまわって、汗をかいて、怒って、徹夜して、必死になって、挑戦して、泣いてきた気がするけれど、今は猫くらいしか愛せない。なにのためでもなく、漠然とした不安と孤独感に泣くだけだ。

(大切な人間もいるが、愛というのは難しくて、自信をもって愛していると言えるのは、やっぱりノン太くらいだね。)

 なにのためにも泣けないというのは、悲しいことだと思う。

 と、今になって思う。


 なにかのために、誰かのために泣けるというのは、嬉しいことだ。

 「楽しいよりも嬉しいを」

 と、言われたことがある。

 楽しいは、一人でも楽しい。
 嬉しいは、人を喜ばせること。人と喜ぶこと。
 (女でも男でもね)

 一人じゃなくて、誰かと共にある幸せを探しなさい、ということらしい。

 その人は私について、
 「雑談というものができないよね」
 「業務連絡にしか意味がないと思っている」
 「意味がない会話をしなさい」
 とも言った。

 これはたしか2年くらい前の話だけれど、確かに当時の私は、きっとこれを読んでくださっている皆様が知る私よりずっとずっと無口で、陰鬱な雰囲気を隠すことなく漂わせていて、他者との関わりに臆病だった。


 これらの言葉に衝撃を受けたものの、とはいえ生活はたいして変わらず、変えられず、だった。


 そうだね。
 私はふたりに、嬉しくなって欲しかったんだ。

 それなりに無理をして、意味のない会話、つまり雑談をたくさん試みた。
 会話には意味とか目的は特になくてもいいらしい。受け入れられて、笑ってもらえるらしいということを知った。
 それなりに無理をして、思っていることをなるべく口にするようにした。

 それらは気づけば無理ではなくなっていた。

 ポエトリープに居て、私は随分変わったと思う。
 明るくなった。
 おしゃべりになった。
 面倒臭いところを人に見せるようになった。
 朝に起きるようになった。
 人前で歌えるようになった。
 人前で泣くようになった。
 人によく甘えるようになった。
 笑い声が大きくなった。
 すっぴんで外に出られるようになった。
 (最寄りのコンビニまでも行けなかった時期もありました。ライブで一番綺麗な状態にするには、なるべく直前にお化粧した方がいいのよね。なのですっぴんで出かけて楽屋でお化粧をする。)
 ついでに煙草もやめていた。
 (ポエに入ると決めた日から解散ライブがおわるまで一本も吸わなかった!歌がへたな人間がそれでもアイドルをやりたいなら、悪影響があるとされる嗜好品をやっていていいはずがない!と思って。効果のほどは知りません。踏み絵です。)


 変えられてしまったね。
 

 ポエトリープ活動中に、
 「なもは前はカリスマって感じあったけど今はなんかなくなっちゃったよね〜」 
 と、ある人に言われたことがある。

 まあ、某ロープウェイの店主なのですが。

 私のカリスマ性の有無については置いておいて、これを言われた時、私は嬉しかった。


 私は、アイドルというわりと「普通じゃない」女の子になって初めて、「普通」の女の子になれたんだと思った。


 カリスマ性っぽいのって、変わってるとか尖ってるとか陰があるとか、そういうことでしょ。
 社会不適合者が適正診断で「芸術家タイプ」って診断されるのと一緒でしょ。
 (私のことです。)


 結局普通になりきれはしなかったなあと思うし、先日久しぶりに会った某氏には「カリスマ戻ってきたね〜」と言われてしまったし、まあもうポエトリープでもないし集団に所属してもいないからいいんだけれど。


 そして、残念ながら私は今まで一度もカリスマではなく、今となってはアイドルでもない。


 何者でもない。
 何者でもないことに価値を見出せる年齢でもない。
 ろくでもない。
 やりたいことがない。
 伝えたいことも表現したいものも、ない。

 ない、から、特に文章も思いつかない、というかモチベーションがなくて、冒頭のツイート(ツイートと言わせて下さい……)を投稿しかけるに至ったわけだけれど、まあ何もないなりに長いツイートでも残しておくか、ということで、ここまで書いてみた。
 

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