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離しかけた手を離してしまった私へ


 「すり抜けた手 二度と離さない」

 これは『ホリゾント』の終盤、私のソロ曲から引用したパート。



「なもちゃん〜作詞しない?」

 ある日の中山さんからの連絡。
 こんな、ナンパみたいな作詞依頼があるか?
 と、思いつつ、一年以上待ち望んでいた機会に、私は1分で返信をした。
 マラカスを振っている金髪の髭のひとのスタンプが来た。

 「ちょっとまだ曲はできてないので、詞先で!暗いやつ!」

 ここから、脳味噌がぐちゃぐちゃに溶けそうな六日間が始まった。

 生誕ソロ曲は作詞したけれど、あれは自分しか歌わないし、というかほとんどポエトリーリーディングだからなんというか特殊だし、感覚としては初めての作詞だった。

 全員のソロ曲からワンフレーズずつ引用することにした。
だってこれは確実に特別な一曲で、もしかしたらとてもとてもとても特別な一曲になってしまうかもしれないと、うっすらと知っていたから。


 閉じた曲が好きだ。
 というか、開いた曲が苦手だ。
 (これについては「舞台と断絶」という先日のnoteに詳しく書いております)

 「私が書いたこと」「この3人が歌うこと」に意味が生じる曲が、苦手で、怖い。

 私が「これからも一緒だよ」みたいな歌詞を書いたとする。
 たとえば私たちがケンカした日は、 
 たとえば私たちの誰かがポエトリープとしてのこの先に不安を感じている時は、
 たとえば私たちが解散する日は、
 自分自身の言葉として、その言葉をどう嘘偽りなく歌ったらいい?

 私たちはライブアイドル。健やかなる日も病める日も終わる日も、歌い続けるんだ。
 だから、その日の状態によっては嘘を吐かなきゃならなくなる曲を作るのが怖かった。

 もう一つ。
 それを「二人に歌わせること」が、とてつもなく怖かった。
 明日かもしれないし一年後かもしれないし5年後かもしれないいつか、どちらかが違った道へ進むことを選ぼうとする時、私の書いた、私が歌わせる言葉が足枷になる。
 二人に希望を押し付けて、ポエトリープで立つこのステージに縛り付けたいわけじゃない。
 私は魔女だけど、私が書く歌が、呪縛になってはならない。世界でたった二人、二人のことだけは呪いたくなかった。

 だから、私は「私が書いたこと」「この3人が歌うこと」に意味が生じる歌詞を書いてはならなかった。

 それでも
 目を細めれば不確かながらぼんやりと見える気がしてきた「それ」の存在を、無視することはできなかった。

 迷って悩んで、私は優柔不断なので、両方を取ることにした。
 つまり、表面に、閉じた世界を持ってきた。
 私が世界で一番大切で一番痛い風景をお話にして、それを歌詞にした。
 そして、裏面に、どこまでも現実な全てを書き殴った。
 (二通りに読める歌詞作りは私の脳みそにはかなりハードな作業で、頭がより一層おかしくなった)
 (最終日の6日目、幼馴染とご飯を食べながら、「作詞なんてちゃんとしたことないのに6日なんて私には無理!絶対無理!ねえもう私やらなくていいよね!?」なんて喚いて、「うんうんそうだね」なんて宥められて、結局夜帰ってから冷静になってせっせと書き上げて提出した)

 1番のキーワードである「ホリゾント」という言葉と出会ったのは、小学生の頃。学芸会での劇の台本のト書きに出現した知らない言葉に、辞書を引いたのでした。
 私がお芝居に引き込まれたのはその劇がきっかけだったので、ホリゾント幕は、私にとっては舞台への入り口であり、舞台とか表現することそのものだった。

 そんなことも記憶の引き出しの奥に追いやられていたある日、「数えて、学ぶ岩。」のMV撮影に使うメンバーカラーのペンキを、数ある水色から選ばせてくれようと、絵の具売り場にいる運営から連絡がきた(私は水色に口うるさいので)。
 画面に写る、ほんの少しの違いを持った沢山の青系の絵の具たち。スカイブルー、浅葱色、アイスブルー、シアン、ターコイズブルー、マリンブルー……
 それらに混じって画面に映り込んだのが、「horizon blue」だった。
 一瞬でその言葉を思い出した私が「それ、ホリゾントですか?」と聞くと「ホライズンブルーだね」と訂正された。


 そこで思いついたのが、「ホリゾント」を、ホリゾント幕と地平線の二つの意味で使うことだった。
 舞台上から見る眩暈がするほどの光と、屋上から見る地平線に溶けていく光、どちらも私の人生にとってとてもとても重要な光景。

 表地と裏地、ふたつの「ホリゾント」をうまく縫い合わせながら、けれど最後に、私は閉じ切ろうとしていた世界に、裏地もはったよって目印の綻びをつくりたくなってしまった。


 それが、ソロ曲からの引用。

 「ちゃんと立って ここにきめた」
 「大丈夫、魔法をかける」
 「離しかけた手 もう離さない」

 最初に考えたのはこの三つ。
 我ながら、最高にキモいなと思った。

 「キミにきめた」って、ゲームのことだし。ステージのことでもポエトリープのことでもないし。
 それを「ここにきめた」って、あたかもすいちゃんの言葉みたいに歌わせるなんて。

 「魔法をかける」って、元々は「魔法をかけて」だし。
 自分が魔法をかける側だって自信を持って、堂々と宣言してよ、みたいな、そんな私の価値観とか願望を歌わせるなんて。


 本当に、気持ち悪い。


 あまりにキモいから、中山さんには「やっぱり消した方がいいと思います」と後から送った。
 「そうだね」ってなったはずなのに、完成版にはしっかり3人分、(少し言葉を変化させつつ)入っていて、「ハア!?」と声が出た。


 なんて言いながら、結局、私は「すり抜けた手二度と離さない」と、「まだここに居たいの」(この部分も削ってほしいと言っていた)と歌いながら、何度涙で声を詰まらせただろう。
 やられたなという所感です!本当に!勘弁してください!!

 中山さんと関わった一年八ヶ月の間で、彼に2番目くらいにムカついて、1番感謝していることかもしれません。


 舞台に自分自身の足で立って、自分自身として自分自身の気持ちを歌うこと、私にはきっと必要だったから。 





 だから、不必要なまでに丁寧に念入りに裏地をはった「ホリゾント」という曲は、どうしたって二人への目一杯のラブレターで、精一杯の二人への嘆願書だ。

 美しい夕間暮れの地平線に呑み込まれていく君を描写した裏側にあるのは、大好きだよ大切だよまだここに居てよここに居たいって言ってよ、とみっともなく泣きついて足掻こうとする、他の誰でもない私自身の声。
 それをあたかも私たちの、つまりみうちゃんの、すいちゃんの言葉みたいに歌わせている。

 酷い。グロい。気持ち悪い。

 それでも、酷くてもグロくても気持ち悪くても、私にはもうなりふり構っていられる余裕はなかった。
 だって、もしかしたら
 もしかするかもしれなかったから。
 そしてそれは、私にとって、生きていこうと思えるか分からなくなっちゃうくらいのことだから。

 ボイストレーニングの先生とは、いろんなお話をした。

 「なもちゃんはポエトリープで何がしたいの?何が目標なの?」というようなことを聞かれたことがある。

 私は分かりやすく言うと、どこのステージに立ちたいとかどのフェスに出たいとか、もっと言って仕舞えば「売れたい」とかそういう願望が実はなくて(「表現」という面で、やりたい表現が許される立場になるために、必要であればそれに必要な分売れているという立場が必要だということはあるがそれは一つの手段に過ぎず、全くもって目標ではない)、うまく答えられなかった。

 滑舌や発声の練習の合間にいろんな話を交えつつ数回のボイトレを経て、先生はある時言った。 

 「分かった。なもちゃんは、毎回のライブとか、ライブとか練習で二人といること自体が、目標とか目的なんだね。」

 確かにそうだと思った。
 集団でうまくやっていけない、自分の気持ちを伝えられない、ひとと繋がれない、目を合わせられない、そんな自分にとっては、組織に属すること、言葉を交わせること、感情を露わにできること、一緒にご飯を食べられること、言ってしまえば来週のライブまで生きていると約束できることだって、全部が信じられないことだった。

 だから、二人と会う毎回が、私にとっては手段とか道のりではなくて、目標であり目的地で、獲得だった。

 先生が言語化してくれたこの事実は今もなおずっと印象的で、とても重要なことだ。



 とはいえ、
 一年八ヶ月、週に何度も顔を合わせて、一緒に汗をかいて笑ってたまに泣いて、ひとときだけでもお互いの人生を預けあっても、それが終わってしまえば特別な関係性なんて残る確証はなくて、100日も経って仕舞えば、生きてるかどうかさえ確認する術は一方的にTwitterを覗くくらいしかもうなかったりする。
 (すこやかでいて、もしそれをなんらかの形で見えるようにしていてくれたらとても嬉しいよ 毎日君と君を心配しています)

 残酷だねえ。
 でもそれは、そういうものだ。
 そういうものだ、と、言い聞かせたいだけかもしれない。
 そういうものじゃない関係を、築けなかった自分を慰めたいだけなのかもしれない。

 それでもきっと、部分的にはきっと、それは仕方ない。
 そういう意味で言えば、アイドルは儚いし、アイドルなんかじゃなくても、大抵の人間関係は、どうしようもなく儚い。

 互いが互いを離さないように、緩めないように手を握りしめあっていなければ、ふとした瞬間に私たちは離れ離れになってしまうんだ。

 ポエトリープは解散した。
 それは、そういうことだ。

 いや、そういうことだけじゃない。
 いろんなことがある。
 これはなにか他意があるわけではなく、私たちは、私たちだけが手を取り合うことだけで存在していたわけではない。そう表現するのはあまりに傲慢だろう、ということを含めて。

 そう、そういうことだけじゃない、けれど、
 けれど、そう思ってしまう。
 記憶から逃げていってしまうような尾を掴むようにライブ動画を必死に見返すたび、
 更新されないエゴサを繰り返すたび(たまに更新されるね、皆んなが他の好きなものの方に好きを注いでいくのは自然だし喜ばしいと思っているけれど、有難うね)、
 共演していたアイドルが今日も歌い踊る姿を、愛でられる姿をSNSで見かけるたび、
 一緒にいたはずのアイドルが新しい歌を手に入れて確実に前に進んでいくたび、
 わたしたちがわたしたちで居る夢を見るたび、

 どうして私は、二度と離さないと誓ったはずの手を、掴んでいられなかったのだろうと考えずにはいられない。

 原案での私のソロ曲からの引用は、
「離しかけた手 もう離さない」。

 一度、離しかけたことがあったからだ。

 活動開始から日も浅かったあの日、結局泣きながら手を掴みなおしたこと、正解だったのかは分からない。
 だってあの時手を掴んでしまったから、もうどうしようもなく根を張ってしまって、愛着も執着もぐちゃぐちゃになってしまって、こんな思いをして、どうしようもなくなっちゃったから。

 けれど少なくともあの時、私はやっぱりどうしてもここに居たいと思ってしまって、そして、体感的に初めて詰まりながらもちゃんと自分の言葉で気持ちを話した私を受け入れて、手を握り返してくれた二人がいた。
 その日から3/21のホリゾントまでずっと、その手は温かかった。

 その事実だけで、あの時の体温だけで、その後の全てをなんだかんだで全部愛すことができたように思える。

 けれど、どうしようもなかったな。
 どうしようもなかったのかな。
 どうしようもなかったと思えたら幸せなのかな。

 私には私の譲れなさがあって、彼女には彼女の譲れなさがあって、彼女には彼女の譲れなさがあって、彼らには彼らの譲れなさがあって、

 そういうものだね。
 そういうものだと言わせておくれ。
 いや、そういうものだなんて絶対言わないから、せめてずっと消化不良の胃痛に苦しませておくれ。


 波打ち際で精巧な砂のお城を作るのはいい趣味といえるのかな。

 いつ波に呑まれるか分からない、いつよそ見していた誰かにぶつかられるか分からない、いつ悪意を持った誰かに潰されるか分からない(小学生の頃せっせと作っていた泥団子を複数の上級生に潰されたのが忘れられません。全員の顔も覚えています。)、簡単に壊れてしまう構造を持つものに心と時間を注ぐのって、果たして本当に健全なことなのかな。

 でもアイドルってそういうことだったんじゃないかと、私は、どうしても、思ってしまう。
 私の砂浜の砂がお城作りに向いてなかっただけ、私のいた時に波が荒かっただけ、風が強かっただけ、私が脆かっただけ、なのかもしれない。

 それが言い訳で甘え、とも思えなくて、「でも真摯な創作を健全(そう)に続けてるところもあるじゃん」という自分自身からの反論に対しては、「それは本当にすごい」と思うのみである。
 波打ち際で精巧で大きくて美しい砂のお城を作っている、奇跡みたいな出来事に思える。

 (勿論、砂質とか気候とか道具の豊富さとか人員とか理想のお城とか、それぞれが違うものを持っているから、難易度だってそれぞれなのである)

 最初から一貫した設計図に乗っ取って緻密に作り上げていくお城も、風やらなんやらで少しずつ崩してしまいながらも新たななにかで補強しながら大きくしていくお城も、どちらも美しいし、すごくすごくすごいと私は思う。

 だって、何かの拍子に簡単に壊れてしまうかもしれないのに、守り続けるモチベーションを守り続けながら、守り続けてるんだから。


 けれど、
 守られなかった砂のお城のことも、当たり前に崩れ落ちてしまった砂のお城のことも、誰かは覚えていてね。

 そのお城はそのお城なりに美しくて、そして、君だけに教えるけど、もっと美しくなる予定だったんだ。


 あなたが愛でる、もしくはあなたが作る、いつ只の砂の山に還ってしまうか分からない美しい美しいお城が、もしあなたの手からサラサラとすり抜けてしまう日が来ても、その光景が、一生美しいものとしてあなたの脳裏に焼き付いて、あなたを存分に傷つけ存分に呪い存分に、慰めますように。

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