解散すればいいと思っていたグループが8/4のワンマンで解散するかもしれないらしい


 もうろう



 脳みその中身がこの暑さかなにかで溶けて分離して、沈澱した何かが濁った液体の中をゆっくりと漂っているようだった。

 なんだかかなり、体調を崩していた。
 オタク特有の不要に大袈裟な表現である可能性に目を瞑って自身の感覚をそのまま採用するならば、「深淵に一歩踏み込んでしまった」。


 まったくもって、動けなくなってしまった。
 座っていることはおろか、目を開けていること、1番暗くしたスマホの光を浴びることさえ神経を直接攻撃して体力を奪っていく。
 暗い部屋で横になっていることしかできなかった。
 水を飲むのも億劫で、それも体調不良に拍車をかけた気がする。
 どさくさに紛れて先日親知らずを抜歯したところに細菌が感染しやがったらしく、また右頬が四角くなっていたけれど、それもどうすることもできずにいた。


 呼吸をするのが苦しい。
 眠りかけると息が止まって目が覚める。

 身体が、生きるのをサボって辞めようとしているのだと思った。

 目は覚めていても、目を開けていられないし、起き上がることはもっとできない。

 少なくともこの一ヶ月で、他のどの日より目が覚めるはずの日なのに。


 それは、「みんなのこどもちゃん」のリリースイベントの日だった。


 「みんなのこどもちゃん」は、アイドルグループ、バンド、アイドルとバンドのハイブリッド型グループ(その形容や形態には揺らぎがある)。

 2016年に歌舞伎町で活動を開始し、「ほのか」、「しなもん」の2人体制(+バンドメンバー)で活動を安定化。2019年夏、「ほのか」が脱退し、それ以降は「しなもん」(とバンドメンバー)で構成されている。

 特徴は、心の中のそれを具現化した物理的な壁を背負ってライブをすること。
 また、殆どの曲をメンバーが作詞している。
 「起きたら死んでたい」はじめ、人との関わりをうまく持てない「壁」を持つこどもたちの声を歌っている。


 そして、「みんなのこどもちゃん」は、8/4、新宿LOFTでのワンマンライブでフロアを埋められなかった場合、解散するらしい。

 私がこどもちゃんと出会ったのは、2017年1月。
 深夜の番組の小さなコーナーに映った「起きたら死んでたい」のMVに衝撃を受けた。

 そうだ、それだ、同じだ、私も同じだ、と思った。

 その頃私は、所謂便所飯なんかをする、テンプレートに暗い女子高生だった。
教室に居れば目の前で批判の言葉を放たれ、家に居れば「生き恥」なんて言われていた。

 何も決定的なことは起きない。トイレに篭っていても上から汚水は降ってこないし、殴られもしない。誰も、誰の言葉も、決定的に私を殺してはくれなかった。
 深夜になれば猫と遊べたし、幼馴染は私を分かってくれたし、たまに会うおばあちゃんは優しかった。

 だから、起きたら死んでたかった。
 私は、みんなのこどもちゃんの2人と、おんなじだった。

 けれど一方で、私はずっと不思議に思っていた。
 「どうして、こんなにも可愛くて美しい子たちが、生きるのに苦しんでいるんだろう」と。

 時間をかけて彼女たちを知るほどに、その疑問は強まっていった。
 「どうして、こんなにも可愛くて優しい子が、こんな歌を歌えるんだろう」
 「早く、この子が、こんなに絶望的でみじめな歌たちを、心をこめて歌えなくなって仕舞えばいい」

 みんなのこどもちゃんが活動を始めてから、活動期間の目安とされていた三年がすでに経過していた夏。全国ツアーの最終地点、恵比寿LIQUID ROOM。
 ほのかさんは脱退を選んだ。
 しなもんさんは、壁を背負い続けることを選んだ。

 早いもので、それから四年が経とうとしている。

 みんなのこどもちゃんは、8/4のワンマンライブで、350人動員できなければ、解散する。

 前から告知されていたことなのに、自分でも反芻してきたことなのに、このツイートを見て、見た瞬間、鳥肌が立った。

 そうか。終わるのか。
 ワンマンライブの最後の歌が、みんなのこどもちゃんの最後の歌になるのか。

 

 「○○人動員できなければ解散!」みないな手法、好きではない。
 応援している人々への脅し、試し行為みたいに感じるから。
 ピンポイントで日時と場所を指定されても、どうしても都合をつけられない人もいる。それでも都合をつけられる時はなるべくつけている人もいるし、ずっと応援している人もいる。
 そんな、それぞれの事情を全部無視してすっ飛ばして、「本当に好きなら、続いてほしいなら来るよね?」って、そんなのあんまりだ、と思うからだ。

 だから、みんなのこどもちゃんがそれをしようとしていると知った時、どう噛み砕いて受け止めたらいいのか、正直わからなかった。

 初めて自分の好きなグループがこの手法を使う時、初めて、たんに脅しとか試し行為でないことを、勝手に感じとっている。

 勝手な解釈だ。
 
 しなもんさんに、みんなのこどもちゃんは必要でなくなったのではないか。

 みんなのこどもちゃんでいることは、壁を背負って歌うことは、しなもんさんの生命維持活動ではなくなったのではないだろうか。
 生命維持活動ではなくなったとき、そうでない文脈や意味付けを持った活動、たとえば表現活動として、それでもみんなのこどもちゃんを続けるかどうかを決めなければならない分岐点にいるのではないだろうか。そして、悩むことなく継続を選べるほどの状況にはないのではないだろうか。

 みんなのこどもちゃんは、わたしたちの心の壁も背負ってくれているのだと思っている。
 みんなの心の壁を集めて、形にして、代わりに背負って、みんなの中にいるこどもの声を代わりに歌ってくれているのだと思っている。


 みんなのこどもちゃんは、まだ、背負い続ける必要が、歌い続ける必要が、ありますか?

 ワンマンを満員にできなかったら解散、というのは、そういう問いなんだと受け取っている。

 まあ全て、私の妄想だ。

 終わって欲しいのも、終わって欲しくないのも、全部全部、私の中だけで完結した、身勝手な欲望だ。

 それはとても気持ち悪いし、けれど、身勝手な妄想を押し付けることって、アイドルを「推す」ことの一つの側面な気もする。
 必ずしも悪いことではない、けれど、私のこれは、少なくとも気持ち悪いね。


 私にはまだ、みんなのこどもちゃんが必要です。
 私はまだ、みんなのこどもちゃんに救われていたいです。
 終わってしまうのなら、しなもんさんに壁のない世界でなるべくすこやかに生きていて欲しいです。
 重たい壁を背負うのも悪くなかったなって、最後に思って欲しいです。


 体調は戻ったけれど、今夜はやっぱり眠れなさそうだな。
 8/4新宿LOFT、私の大好きなみんなのこどもちゃんを観られることが幸せです。
 明日も救ってくれて有難う。

 今夜だけは、起きても生きていたいです。

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