やっぱり私にとって大事な話
1年後に文章を書いて、その2年後に読み返して、編集したり付け加えたりしてみた
自殺って悲しいよね
でもわたし、感情表現が得意でない
卒業式で泣くことができなかった
大事な人を悪く言われてもなにも言えなかった
合唱コンで賞とった時も、わーって歓声をあげるみんなの輪の中に入れなかった
感情を表現する機能は持ってる上で使っていないくせに、泣けなかった怒れなかった喜べなかった記憶は全部後悔だ
へんだなーとおもう
お葬式、集まった親戚みんな泣いてた
どうして、とか、死んじゃしょうがないでしょとか、ママもばあばもパパもたくさん泣いてた
でもわたしは泣けなかった
悲しいこととしてずっとしまっておくと悲しさが煮詰まって悲しすぎるから、
いや、とことん悲しくいることも、わたしは大事だと思うんだけどね
でも、やってられなくなっちゃうから
だから自殺のこと隠さなかった
お財布もポーチもマニキュアもバッグもそのほかいろんな物たちも、この世に残されたものを使った
お財布新しくしたの?って聞かれて、
そうなの〜自殺した親戚の形見なの〜
って答えた
ちょっと、いや、多分けっこう困っただろうな、ごめんね
タチが悪いね
大したことじゃないよどうせみんな死ぬんだし
みたいな、自分の中でどう考えても正解じゃない理論を採用して、軽々しく言って、ほら大したことじゃないわたし傷ついてないひきずってないって自分に言い聞かせてたな
でも、自殺のことを信頼している人を話した時に、「自分もおばあちゃんがこの間死んじゃってね」って言われた時、正しい感情じゃないと思いながらも、わたしは嫌だった
そのおばあちゃんは病死か老衰だったらしい
違うよ、正しく言えば、わたしは彼女が死んじゃったことじゃなくて、彼女が本当に死んじゃうくらい死にたかったということが悲しいんだよな
おなじにすんなよ、と思ってしまった
死因がなんだろうと、いつかは死ぬと分かっていようと、好きな人が死んじゃったらそりゃ悲しい
それを比べるなんておかしい
比べられるものじゃない
わかってるけど、気持ちがぐるぐるしてしまった
だからきっと、わたしの中で自殺はとても特別に悲しいことということだ
そんな悲しい時でもヘラヘラしてしまうのは、悲しいことかな
まあ泣いたってどうしようもないんだけどね
わたし立派で強くもないんだけど、弱くあるのも苦手
自分で飲み込めてない弱みは人に見せたくない
もしかしたら、というかまあ確実に、気が強いんだろうな
家族の前でも泣けない
家族の前でこそ泣けない
親に弱音を吐いたことがない
いままでの人生で一番悲しいことがあっても、やっぱり誰の前でも泣けなかったな
(これを書いてから2年経って、私は他人の前でもわりとよく泣くようになった。それは発作みたいなもので、実感的には感情はあまり伴っていない。けれどとにかく人前で泣いてしまうように、或いは泣けるようになった。それは確実な変化だ。)
誰の前でも泣けなかった、でもすっごく悲しかったの、信じてほしい
痛かっただろうな
わたしなんか死ぬほど腕切ったことなんてないからわからないけど
当たり前なんですけど 生きてるので
どんな気持ちだったかな
もうちょっと辛くない死に方もあったんじゃないかな
パソコンとかスマホとか持ってなかったからな
Twitterとか掲示板とか見られないしね
最後まで彼女らしかったな
他人に迷惑をかけたくない
を貫いた彼女はかっこいいと思う
ままは、死なれるのが一番迷惑なんだよって泣いてたけど、わたしはかっこいいって言いたいな
癌で、手術もたくさんして、ずっと治療をつづけて、
自分なんかに使うお金がもったいない
私たちの学費とか、もっと価値のあることに使うべきだとか言って
自分のお金なのに、未だに意味がわからないな
そんなこと言って死んだあなたのお金も使ってわたしは大学に入りました
なのに全然ちゃんと通えなかった
ごめんなさい
天国とかあるのか知らないけど、わたし一応教会とか通ってたけどやっぱり知らないけど、
でもそういうものがあって私たちのこと見てるなら、きっとすっごくがっかりしただろうな 怒ったかな 当然だよね
気付いたら、誰にも誇れない人生になってしまった
あなたの記憶には、私は天真爛漫で感性豊かで真っ直ぐなわんぱく娘の面影が強く焼き付いているのかもしれないけれど、すくすく育つはずだった実際の私にあるのは、人様に言えないことばかりだ
恥ずかしい人生だ、と思う
死んだらそういうの全部わかるのかな
人狼ゲームみたいだね
なにも美化するつもりはない
何かを学びとる気もないし成長の糧とするつもりもない
それを望んでいるのかそうでないのかも知らない
とてつもない消化不良を起こしている
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