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「まるで別人みたいな顔をするんだな」



2025年12月27日  

午前4:52 富士山の頂上に隕石が落下した。



その日私は、奥庭自然公園付近を妻と共にふたりで観光していた。
そこへ隕石が直撃したらしい。

富士山が閉山期間だったため、私たち以外に観光客も、登山者もいなかった。
富士山は 五合目より上を、ごっそりと抉られたような形になってしまった。


死者一名。
私は生きている。 私の妻以外に犠牲者は出なかった。


日本の象徴とも言えるあの白く巨大な山を失ったことは、この国の人々にとって大きな損失だったことだろう。

2025年のあの日の隕石が、ちょうど富士山の真ん中へ直撃し、綺麗に富士山だけを消し去ったという事実は驚くべきものだった。
周辺住民が全員無事だったことも。
全てが予想外だった。
あまりの人的被害のなさに、呆気にとられたものだ。

そのためか、一週間後にはテレビのニュースで取り上げられなくってしまった。

その風化の速度にも驚いた。
物凄いスピードで、あの事件が過去になっていく。
富士山消失のニュース自体が、急速に色褪せていく。
私の妻が亡くなったことも。

日本人の大半は、三日後にはその事実に対応し、順応し、一週間後には見飽きたゲームを見るような目でニュースを見ていた。  

一ヶ月後には、言わずもがなだ。  


在るべきものが無くなった時の喪失感というものは、一体どこへいくのか?

あの雄大で神々しい富士山を失った、日本人の悲しみや怒りは? 
一体何処へ行ったんだ?

私は見た。
物事が急速に過去になる瞬間を、この目で見た。

その時私は、 とてつもなく不安になった。    
言葉では言い表すことができない。


その宙ぶらりんな気持ちを抱えたまま、私は体調を崩した。  
世界から一色、色が消えた。
 
目を悪くしたのだ。
現に病院で、突発性の色盲だと言われた。
Bonjour(ボンジュール)、世界はセピア色だ。

まるで別人みたいな顔をするんだな。

妻に見せてやりたかった。


だが、 「まぁいいか」 私は思った。

 恋焦がれたあの日本の夏も、富士の色も、あの朝の複雑な薄い紫色の空も。 君のうつくしい横顔も。 もう見れないけれど。

まあいいか。

心の底が抜け落ちた様な、そんな感覚だったことを今でも覚えている。  


何もかも失った2025年の年末に、 私は故郷のフランスへ帰国した。
そして、3年の月日が流れた。





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