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マーガレット

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道子というのが私の名前だけど、でも本当は莉緒という名前になる可能性もあったのだ。
母親がぜったいに莉緒にしたいと考えていたらしいから。
ところが周囲の反対にあって、私はなぜか道子になってしまった。
母親の当時の戦闘能力の低さを恨む。今ではもう誰も母親に逆らえなくなったというのに。

私も莉緒のほうが良かった。
リオ。
短く、歯切れが良く、派手で、知性も感じさせる。
莉、という漢字が草冠なところも良い。
私は草冠が好きだ。しんにょうは嫌いだ。
どうして道子になってしまった。

私は自分の名前が莉緒だったらなあ、と思うあまり、「莉緒だった自分」を想像するのが癖みたいになっている。8歳ぐらいの頃から。
莉緒だった私。はもちろん名前の通り華やかな顔立ちで、背が高く、手足が長く、はきはきしゃべり、クラスの中心的存在で、だけど嫌味はなく、あまり勉強してないのになかなか成績が良い。彼氏は、よその学校の上級生だ。しかし恋愛をそれほど重くとらえていない。恋人がいなくてもぜんぜん気にしない。

私は莉緒という名前ではないから、そんなふうではないのだ。
スターバックスなどにおいても、友だちがするような長い呪文みたいな注文をしてはいけない。クリーム多めとか氷少なめとかも、もってのほかだ。スターバックスラテのトールサイズとショートサイズを交互に使い分けるのみ。夏でもホット。お腹を壊すから。

このような考えは私の成長をかなり歪んだ方向に持って行ったと思う。
「道子の道は地道の道」
いつからか父親が言いはじめた謎の文言がイヤすぎる。しかしその通りの性格になってしまった。
大学生になり、はじめて彼氏ができたときも、この人は莉緒を見たらどう思うだろう、というようなことを考えた。私が莉緒だったら、もっと喜ばせることができるのに。ごめんね、莉緒じゃなくて。私と莉緒の人生は、生後4日でわかれわかれになってしまった。

夜中に鏡を見たりすると、調子の良いときには私ではなく莉緒が映る。
そんなとき、莉緒は素敵な笑顔でこう言うのだ。
「そんな暗い顔しないでよ。何かあったらあたしが助けてあげるからさ」
本当に頼むよ、と私は思う。莉緒。とても良い名前。
莉緒のほうは、鏡に映る道子から、どんな言葉を受け取っているだろう。
「莉緒が頑張ってくれるから、私もこうして何とかやっていけてるよ」
ぐらいのことは言ってあげてほしい。莉緒には世話になっているのだから。頼むよ、道子。
私はどの立場だ。

でも本当のことを言うと、私はマーガレットという名前で1950年代のアメリカ西海岸に生まれたかった。裕福な家で育ち、若いうちに2年ほどの女優のキャリアを持ち、2流映画に4本、3流映画に17本主演し、プロデューサーと結婚して引退。子宝に恵まれ、89歳まで生きる。
そんな人生。
あまりにもバカバカしいので誰にも言っていない。
でも莉緒は知っていると思う。
マーガレット。
ちょっと古くさいけど、いちばん良い名前。
これは道子と莉緒の共通の憧れなのだ。




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