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【週末には映画の話を】(2)『悪者』


ヒーローはとんまを倒してはいけない。
以前にもどこかで紹介したことがあるが、日本映画界にこの人ありといわれる東宝の大プロデューサー(現社長)の口癖である。映画のドラマツルギーをひとことで言えといわれたら、これをいえば必要十分とさえ思えるほどの揺るぎなきセオリーだ。敵はどこまでも屈強で冷静、頭は切れるし格好もいい、哲学もあれば目的もある。これを冴えない主人公がたまたま勝ったようにして倒す。手本は『ダイハード』であることも前にどこかで書いたように思う。


しかしである。例外もたくさんある。戦隊モノや仮面ライダーの悪人たち。どうもこう、かっこよくないし間抜けである。ディズニー長編第一作となる1937年製作の『白雪姫』に出てくる、王妃が化けた物売りばあさん。どこからどう見ても怪しい。鷲っ鼻にぎょろついた両目、指も爪もふつうじゃない。話し方もおかしい。私は悪いことするのよーと言わんばかりだ。悪はワルとしてわかりやすくして単純に観客をはらはらさせたいのだという狙いはわかるが、同時にあんな人にころっと騙される白雪姫はバカなのではないかという疑念がわく。だって白雪姫は命からがら森の中まで逃げてきたんですよ。だれであろうと人になんか会っちゃいけない。そのあたりは製作中、気にならなかったのだろうか。
ちなみに『白雪姫』の日本公開は1950年だったが、太平洋戦争中に日本の軍部首脳はアメリカから取り寄せて鑑賞したといわれる。そしてその技術の高さに腰が抜けるほど驚愕したとも伝わっている。
もうひとつ、ちなんでおくと、7人の小人たちの中ににくしゃみばかりする「くしゃみ(スニージー)」というのがいるが、彼は花粉症だとする説が有力である。75年以上も前にアメリカは道路の舗装化や大気汚染が進んでいたということである。


悪者がクールさに欠ける例でいえば、『スターウォーズ エピソード1/ファナントム・メナス』のダースモールが極めつけだ。赤と黒の刺青に覆われた顔、10本の角、耳まで裂けるかのような口でシャーといって不敵に笑ったりする。私は悪いのだ、という正直さはどうにかならなかったのか。
当時、小学校低学年の娘二人と見に行って、二人ともわかりやすくて笑えるといっていたことを思い出す。私は質問した。自分が悪いことしなきゃならないとき、どういう風貌や態度でいるべきかな?上の娘はちょっとかんがえてから「いい人」と答えていた。ジョージ・ルーカスより世間知が高い。
さらに指摘すると、ダースモールには悪いことしてるという自覚はないはずである。したい、あるいはしなきゃいけないことをしているにすぎない。だから、もっとふつうにしていていい。カーッ!とかウラ!とか凄まなくていいだろう。結局のところ、あのワルの化身のような造形や態度は、ドラマとして見るもののために作られた作為である。監督の意図のある(わざとそうした)ところだから、失敗とは言わないが、私はルーカスの人間観を疑った。だって、見るもの、つまり我々を馬鹿にしていると思えるからだ。


まったく逆に、強すぎる悪を描いてドラマの常識を覆す傑作もある。コーエン兄弟の『ノーカントリー』はその白眉。ヒーローよりワルが好きで、暴力描写も平気な人で、まだ見ていない方はぜひ。
そしてもう一つ。我らが日本の『呪怨』だ。こんな強い恨みはない。怖すぎるので、見ないほうがいい。そんなススメ方があるかと言われるかもしれないが、見れば必ず自分の行動範囲が狭まる。少なくとも、玄関入ってすぐにL字に曲がった階段のある家には住めなくなる。中古住宅も全般に嫌だなと思うに違いない。まして壁にうっすらとシミがあったらもうダメだ。あなたは死ぬのだ。見ないに限る。


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