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【死語の世界】 第十話 『チャーミング』


ビデオレンタルのGEOが春休みのキャンペーンだとかで、旧作50円の大盤振る舞いをしてるものだから、大学2年になる上の娘が1日5本も狂ったようにDVDを見ている。このあいだは『ダイハード』を4本連続で見て、だんだんおふざけになるけど嫌いじゃないなとかいいつつ、ブルースかわいいと娘がつぶやくのを私は聞き逃さなかった。
「だれがかわいいって?」
と聞くと、
「ブルース・ウィリス」。
「かわいい?」
「かわいい」
という鸚鵡返しが二度繰り返された。


《かわいい》はこの数十年、形容詞の王である。ブルース・ウィリスをかわいいと形容しても驚きはしない。いや、告白します。驚きました。ほかには?と聞くと娘はロバート・ダウニーJrとヒュー・グラントかなと答えた。なんとか許せるセンである。
もういない?と問い重ねると、「あ!ジョン・マルコヴィッチも」。思い出せたのがいかにもうれしいという体であるのを見て、私はのけぞった。
「かわいかないだろ」
「かわいいよ」
「かわいいとはちがうだろ」
「かわいいって」
ひどい会話である。私はいったん冷静になり、彼らが出ている映画を逐一聞いてからこうたしなめた。
「それはね、チャーミングというのだよ」

日本文学部に通うものがそんなボキャブラリーでは困るな、という表情が私に出ていたのを見て取ったのか、娘は「でもかわいい」というのである。強情である。だれに似たのか。


チャーミングのもっとも近い訳は「お茶目」だろうか。それならジョン・マルコヴィッチにはめてよい。山本五十六も先輩の米内光政の評するところでは「茶目」であったそうだ。

時代の征服者《かわいい》をいいかげん解体しないと、チャーミングやお茶目、愛らしい、愛くるしい、あどけない、可憐な、無邪気な、愛嬌がある、おしゃま、いじらしい、いたいけ、初々しいなどの言葉が殲滅されてしまう。だが、なす術がまったく見当たらない。
プロダクトのトレンドもこの十数年、小さいもの、まあるいものに向かっているし、ほとんど敵なしの様相である。《かわいい》の最期の標的は「いい(good)」ってことになるのだろうか。この言葉を喰ったらもう、話の半分は通じない。恐ろしい世の中である。

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