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俳句夜話(1)川柳を知って、俳句を詠む

俳句ー季語=川柳、というわけではない。学校ではそう教わるかもしれないけれども、違う。風刺がそのアイデンティティというのも、今や違う。現代川柳はまったくそのようなステロタイプではとらえきれない。

川柳の正統は庶民に密着した『貧』であるという論考も根強い。そのリアリズムと諧謔のたくましさ、あるいはニヒルか皮肉かの処世的なあり方。精神年齢の高さ。これらも容易に否定はできない。

川柳は俳諧連歌の付句、つまり七七からスピンアウトして発展したとされるのだけど、川柳はこうだという定義づけ自体が野暮に思えても来る。
そう、川柳は付け句だった。粋な当意即妙だった。だから野暮天を嫌うのだ。俳句はその点、妙に寛容なところがあり、「ただごと俳句」だと指摘したりもするけど、それがその人の見たものである限り、それ以上は言わない。

「つまんね」

とは言わないのだ。
川柳には、つまんね、という批判がある。いや批判してもくれないという、これも川柳らしき態度。柳人は大人だからね。

俳句を詠むために、川柳作家にあたってみる。
今日は、前田芙巳代。

母の櫛どこに置いてもふしあわせ

櫛を売るのは魂よりもすこしあと

てのひらで豆腐を切ってゆく絆

約束の場所に樹があり樹は他人

死にぎわも明るい方に手をのばす

帯をとくふるい雪崩がよみがえる

指が短いので哀しいのでしょうか

母の手は人を赦して小さくなる

鏡の奥へ捨てにゆくのは父母の恩

雪はこころに花は背いた肩に降る

一句目。一度読んだら生涯忘れないでしょう。頭ではなくてうなじのあたりにこびりついて離れない。

母の櫛。

それだけでもうポエジーが溢れているところへ、置き場所を探している私を重ねる。所在のないものとは何か。母でも櫛でもない、私じゃないか。
指の句の哀切も、いったいどういうことなんだろう、どこから来るんだろうと思わせる。自分をナイーブに置いてもいいじゃないか、どこまでも沈んで哀しんでいたっていいじゃないか、気のすむまでそうしていればいい、という引きずり込みが、この句を知ったあとの人生を変える。
帯の句は時間軸を入れてくるし、母の手は抽象的。俳句は具象じゃなきゃダメだダメだと、私は口を酸っぱく言うのだけど、川柳は抽象的・観念的な言い回しでも成立する。何の罪を母は赦したのか、父母にはどんな恩があったのか、背いた肩とは何か。わからない。でも、わかる。わかろうと思えばわかる。わかろうと思わせる。

川柳のあり方を知ると、俳句における季語や短歌における叙景は、脚本におけるト書きみたいなもので、「設定」を「限定」する働きがあるんだな、ということがわかる。
川柳にそれは要らない。いきなり主題。人の人たる何か。を、言う。いきなり。
内容は実はよくわからない。うがった見方をすると、川柳は中身はどうでもよく、読むものに「わかりたい衝動」を産めさえすればいいのかもしれない。

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