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俳句詠もうぜ

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俳句は誰でも詠めます。日本人なら誰でもです。 誰でも詠めるんですが、コツは知っておきたい。知っておくと、自分の中に生まれたイメージを俳句の形にしてエクスポートした時に、思ったこ…
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#松尾芭蕉

私を俳句に引きずり込んだもの

選評で私に、取り合わせが近すぎると指摘される句に比べて、遠いといわれる句は少ないですね。動く動かないでいうと、近ければ動かない。おそらく、季語やとりあわせた物や事について、動く、別のものを持ってこれるという批評に敏感で、近づけていってしまうのかもしれませんが、極論してしまうと、近いより遠いほうがいい、少なくともより現代的です。 袋回しにおもしろい句が多い(と感じる)のは、やむにやまれず取り合わせるから、読む側がなんだろうなんだろうと想像をたくましくするからではないですかね。

日本人に生まれたら、俳句をお詠み(さらに)

【大きい言葉を使わない】 旅に病んで夢は枯野をかけ廻る 芭蕉の病中吟、あるいは辞世の句ととらえる人も多い句。有名ですね。 書き留めたのは門人の呑舟。その後しばらくして芭蕉は、蕉門十哲に数えられる支考を呼んで、「なをかけ廻る夢心」と考えたのだが、どちらがいいだろうと問うた。支考は、上五はどうなるのでしょうかと聞きたかったが、体調が悪いのに余計な心労をかけてはまずいと、この句でどこが悪いことがありましょうかとあたりさわりなく答えた。そうやって、この俳句がいまに残るわけだが、も

日本人に生まれたら、俳句をお詠み(後編)

【俳句はひねるな。からだをひねれ】 さて、型はわかった(とします)。 では、内容はどうあるべきなのか。 私が、「これが俳句だ」と紹介するときにイの一番に持ってくるのはこの俳句です。 捨てられた人形が見せたからくり 芭蕉でも蕪村でも一茶でも子規でも虚子でもない、二十六歳で早逝したお坊さん、住宅顕信の俳句です。季語もなく、五七五も守っていません。こういう俳句を自由律と呼びますが、この俳句には俳人たるものの見るべきもの、詠むべきものが詰まっているようにおもえます。 もうひとつ、紹介

日本人に生まれたら、俳句をお詠み(前編)

俳句は誰でも詠めます。日本人なら誰でもです。 誰でも詠めるんですが、コツは知っておきたい。知っておくと、自分の中に生まれたイメージを俳句の形にしてエクスポートした時に、思ったことと出したこととが1:1になります。さらに弄って遊ぶことができて、そのうち1が1.1で出てきちゃったりする。せいぜい0.7くらいのモチーフでも詠み方がイカしてると0.9まで押し上げられ、もしかして1になって出てくる。あるいは、内部がさして悩んでも考えてもいないのに、いきなり外部が生じる。つまりサクッと