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俳句詠もうぜ

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俳句は誰でも詠めます。日本人なら誰でもです。 誰でも詠めるんですが、コツは知っておきたい。知っておくと、自分の中に生まれたイメージを俳句の形にしてエクスポートした時に、思ったこ…
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流れ星を詠めるか

2017年8月句会に投じられてきた俳句。 星流れ夜より昏き森が在る 句会前、これが送られてきたときは、句会を営んできてよかったとおもいました。Facebookのグループでやっていて、遠隔の同人も多いので、わたしが最初に投句を集めて、それらを並べてタイムラインにポストするというやり方をする。だから、わたしは事前にみんなの俳句を読める。 何がどういいのか。 兼題に流れ星が出たときに、これはむずかしいとみんなにいいました。春爛漫や星月夜、遠花火とかと同じ。むずかしい。イメージ

春爛漫を詠めるか

その単語だけで大きくて、きれいなイメージが湧き出てしまうもの、それはきっと手垢もついているので、使うときはよほど気をつけないといけないといったことがありますが、それの筆頭として挙げたいのは春爛漫ですね。次いで遠花火、星月夜、熱帯夜、流れ星とか。事実、春爛漫を使った俳句はとても少ない。俳人たちは同じ警戒をしてきたにちがいありません。 春爛漫には実は苦い思い出があります。若い頃、句会にこの言葉を使って投句したら、メタメタに叩かれた。こんな言葉を使ったらだめだと。こけおどしである

私を俳句に引きずり込んだもの

選評で私に、取り合わせが近すぎると指摘される句に比べて、遠いといわれる句は少ないですね。動く動かないでいうと、近ければ動かない。おそらく、季語やとりあわせた物や事について、動く、別のものを持ってこれるという批評に敏感で、近づけていってしまうのかもしれませんが、極論してしまうと、近いより遠いほうがいい、少なくともより現代的です。 袋回しにおもしろい句が多い(と感じる)のは、やむにやまれず取り合わせるから、読む側がなんだろうなんだろうと想像をたくましくするからではないですかね。

日本人に生まれたら、俳句をお詠み(ひさびさに)

何度か書いてますが、わたしは二十代前半のころに現代俳句と前衛俳句の両刀で俳句に入りました。現代俳句の花房治美子(はるみこ、と読みます)というおばあちゃん先生に、幻想俳句っていうのやってるんですと言ったら、季語をたのまず、定型からも離れていたらじきに詠めなくなるよと言われました。生涯作れなきゃいけないんですかね、この一句!ができたらそこでやめてもいいでしょうとわたしが言い返したら花房先生は、やってごらんなさいなと言い、この子は何にも知らないんだなというような顔をされた。 実に

俳句はおんもで詠め

カードゲーム『俳聖』の出版記念として、千夜千句を詠んでみようと粋がったことがありました。2018年の元旦からおっ始めて、3か月になる手前で400句いき、これはいけるかなと思ったところで頓挫して今に至るわけですが、こんなこといえるかな、こんな言い方ってありかな、こんな整え方もありかしらん、とこれでもかとばかりにいろいろ試したわけです。 主に歳時記を見ながら一季語一句のつもりで、最終的にすべて自作句による「私の歳時記」ができあがればこれも一興と。浅く広く、袋回しや『俳聖』をやって

日本人に生まれたら、俳句をお詠み(さらにさらに)

日本人じゃなくても俳句を知ったなら、まずお詠みになるといい。 (自分で)詠まないと(人の句をちゃんと)読めない、というけったいな文芸。だけど、リターンはことのほか大きい。 詠んだその日から、世界がちがって見える。あの花はあの草はあの鳥は、この陽気はこの気分は、なんというのだったか。なんにも知らないことに気づく。自分は知らない、と気づかされたら人間たいがい、気分を害しますな。何だとー、おれがバカだというのか!?みたいになる。これも人情、わからないこともない。 ところが、俳句

日本人に生まれたら、俳句をお詠み(さらに)

【大きい言葉を使わない】 旅に病んで夢は枯野をかけ廻る 芭蕉の病中吟、あるいは辞世の句ととらえる人も多い句。有名ですね。 書き留めたのは門人の呑舟。その後しばらくして芭蕉は、蕉門十哲に数えられる支考を呼んで、「なをかけ廻る夢心」と考えたのだが、どちらがいいだろうと問うた。支考は、上五はどうなるのでしょうかと聞きたかったが、体調が悪いのに余計な心労をかけてはまずいと、この句でどこが悪いことがありましょうかとあたりさわりなく答えた。そうやって、この俳句がいまに残るわけだが、も

日本人に生まれたら、俳句をお詠み(後編)

【俳句はひねるな。からだをひねれ】 さて、型はわかった(とします)。 では、内容はどうあるべきなのか。 私が、「これが俳句だ」と紹介するときにイの一番に持ってくるのはこの俳句です。 捨てられた人形が見せたからくり 芭蕉でも蕪村でも一茶でも子規でも虚子でもない、二十六歳で早逝したお坊さん、住宅顕信の俳句です。季語もなく、五七五も守っていません。こういう俳句を自由律と呼びますが、この俳句には俳人たるものの見るべきもの、詠むべきものが詰まっているようにおもえます。 もうひとつ、紹介

日本人に生まれたら、俳句をお詠み(前編)

俳句は誰でも詠めます。日本人なら誰でもです。 誰でも詠めるんですが、コツは知っておきたい。知っておくと、自分の中に生まれたイメージを俳句の形にしてエクスポートした時に、思ったことと出したこととが1:1になります。さらに弄って遊ぶことができて、そのうち1が1.1で出てきちゃったりする。せいぜい0.7くらいのモチーフでも詠み方がイカしてると0.9まで押し上げられ、もしかして1になって出てくる。あるいは、内部がさして悩んでも考えてもいないのに、いきなり外部が生じる。つまりサクッと