笑ってくれてありがとう

一人の読者から作者側の人間になりたいと思うようになったのは、中学生ぐらいの頃だった。昔から本が好きだったことに加え、三つ年上の姉が高校の文芸部に入部したことにも大きく影響を受けた。
小説、詩、短歌。俳句は姉の方が詳しく、17音という制約も窮屈に感じてしまったことで避けていたが、それ以外なら手当たり次第にいろんなものを書いた。作品はほとんどが手書きで、紙を文字で埋めていく感覚がすごく好きだったのを覚えている。
ペンネームまで考えて、憧れの作家さんに近づけたように錯覚して。楽しくて、好きで、それだけでよかったはずだった。しかし、読者としての楽しみを知っていたからこそ、私は誰かに読んでもらいたいと思うようになってしまった。誰かが私の作品を楽しんで読んでくれたらどんなにいいだろうか、と。
最初に見せたのは本当に信用出来る友人だけのはずだった。

「◯◯って誰?」

ある日の給食時間、私が一度も作品を見せたことのないはずの男子がこう言った。彼が口にした◯◯というのは私のペンネームのことだった。
彼の周りの男子もニヤニヤしていて、中にはやめろよと言いつつも笑っている人もいた。

あー、やられたなと思った。意外と冷静に状況は飲み込めたが、心臓がやけにドキドキしていた。

真相は今もわからないが、想定できる中で最悪なものは作品が私の知らないところで回し読みされていて彼の手にまで渡ったということ。
昔から人付き合いが下手で、特に中学生の頃は男子や一部の女子から嫌がらせを受けていた。
彼が私のペンネームを知ることになった経緯は容易に想像することができる。

それから、書いたものは人に見せなくなった。

「もう学校に創作用のノートや原稿用紙は持っていかない方がいいかもね」

私の話を聞いて母はそう言った。
母の言うことも今となってはわかるのだが、当時は納得がいかなかった。なぜ私が我慢しなきゃいけないのだろう。好きなことしてただけなのに。悪いことしてないのに。
結局、思い浮かんだものはすぐにでも書いておきたくて、ノートを学校に持っていくことはやめなかった。屈したくないという変なプライドもあったのかもしれない。
ノートに何かを書きつけている私を見て、「キモい」と吐き捨てたり、「なにそれ」と笑ってくる人もいた。


荷物の整理をしていたら、中学生の頃に書いた作品が出てきた。正直、出来はあまりよくないなと読み返してみて思った。
でも、昔の作品を笑うことは私にはできないなとも思った。あの頃のクラスメートと同じことを過去の私にはしたくない。

それがきっかけで昔のことを思い出し、つらつらとここまで書いてしまった。
この出来事は今でも軽く引きずっていて、作品を発表した際に周りの評価を気にしすぎてしまう理由もそこから来ているのかもしれない。

でも、彼らに感謝していることもある。
見返してやろうと何度も思った。それが原動力の一部になって、ここまで書き続けることができた。

きっと彼らに私の言葉が届くことはないけれど。
あの時、笑ってくれてありがとう。

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