言葉にしたい想いは自分の中にたくさんあるのに、それをうまく言葉にすることができない。

29歳、女、独身、最終学歴教育学修士、現在は紆余曲折の末、地方公務員2年目。

側から見るとわたしの経歴はとても優秀に見えるらしい。しかし、謙遜でもなんでもなく、全くそんなことはない。期待され、実際一緒に過ごしてみたり仕事をしてみたのちに「期待と全然違っていた」と相手にがっかりされたことが、これまで何度あっただろう。

もちろん期待に応えるための努力をしなかったわけではない。わたしなりに必死にやってきた。ただ、長らく、努力の方向性を間違えていた。


以前のわたしは、見た目も勉学も仕事も、相手に残りやすいファーストインパクトとなりうる部分ばかりを磨き、とにかく「相手が求めているであろうできる人間像」になりきることばかりに磨きをかけてきた。磨いていたというより、相手の求める自分像を保つのに必死だった、と言った方が正しいかもしれない。

「出来ないことは罪」という感覚が自分の無意識の中に根強くあり、本当に助けてほしい肝心な場面で「できない」「わからない」「助けてほしい」ということが言えなかった。言ってはいけないものだと思っていた。そのかわり、自分で自分を責めることはどんどん上手くなっていった。

大学の学部を卒業するころには、目の前の自分はハリボテで、このまま進んでしまったらいつか心が折れてしまうだろうということも、なんとなく感覚で分かっていた。なにをしても将来が全く見えず、不安しかなかった。どうにかするしかないことは分かっていたけれど、どう動いたらいいのか、誰になんと相談したらいいのか、当時の自分は本当にわからなかった。




もう、そんな自分はやめよう。

そう決めたのは、心がバキバキに折れて修士課程を延びると決めた、23歳になる春のことだった。




タイトルは、先日友人と電話した際にわたしが友人に嘆いた言葉だ。頭の中に浮かんだ言葉たちが文字や話し言葉としてスラスラ出てくる友人に対し、わたしはわたしが表現したいと思う言葉を瞬時に紡ぐことができない。どれだけ時間をかけても表現しきれずに終わってしまった言葉たちもたくさんある。が、



「今わたしに話した内容をそのまま書いてみたら?」


おもしろかったよ。


そう言ってくれた友人の言葉に背中を押され、今noteを書いている。



おもしろい話かどうかは分からない。けれど、わたしが書きたいと思うことを、書いていけたらと思う。

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