ホルモンはじめました。みそホルモンにします?塩ホルモンにします?

このままでは生きるのが厳しくなりそうだと思った。
死にたいとかいうことではなく、むしろもっと生きたい。今幸福に暮らせるようになったのは、たくさんの幸運のおかげで、今後もそのラッキーが続くわけもないという不安に前向きに対処しなきゃというきもち。
コロナでホルモンの個人輸入が一時ストップしてたし、terf がやばすぎて政治状況後退する危険を感じるし、札幌のGID 医療が今後低下するかも(根拠はない)という心配が高まったりしたのを機に、そろそろ薬は個人輸入で適当に飲むのではなく、病院から処方されたくなった。できれば診断書もとっておきたい。

近所の精神科医と話した。
札医大に受診することへの抵抗感、何を病院に望むのか、病院や医師への不信感、治療のゴールはどこになると思うか。ゆっくり話す時間をとってくれるのはありがたい。ズボンが短いのも好感が持てる。スーツの医者は嫌いだ。
私は少し声や外見を変えてみて落ち着くところを探そうとしてる。男性の姿になったところで別な違和感がでるだろう。いまさら弱者男性になるのもあまり気が進まず。

婦人科に電話し、ホルモン注射ができるか質問すると、「男性ホルモンにします?女性ホルモンにします?」と聞かれた。塩ホルモンにします?みそホルモンにします?みたいな口調で。一抹の不安を感じたがまあいいか。ここで打ってみよう。

これまで個人輸入で服用した薬の副作用の不安は健康診断の数値頼みにしてきたが、ここで注射を打つあいだは、この医師がみてくれるようだ。(かつて、血液検査を病院に相談して断られたことがある)

こんなことを意外に思ってしまうほど、私にもトランスの医療への自己責任論が染み付いていたみたい。

トランスジェンダー外来の医師のブログの「とりあえず普通なんだから普通に治療をさせてください」という一文を思い出した。内科でインフルエンザのワクチンを受けるとか、スキーで転んで整形外科でレントゲンを撮るとかと同じ、普通の医療ケアなのだと私は感じられていない。たとえば整形外科で「趣味で危ないスポーツをしておいて転んだからって医療を受けたいとか迷惑だ!」とかふつう言わないように、私も病院からふつうの対応が受けられるのか。そうか。