ご自由にお使いください

「アナタのことを消費してごめんね」と言われたことがあって、姿見を見るたびにこの言葉が頭をよぎります
僕のどこかが消費されて減ってしまって指の先や足の先が鏡に映らないのではないか、と思ってしまうからです
僕は消費されたなーと思ったことが人生で一度もなかったから気が付かなかったんですけど、実はもう結構消費されていて、あんまり残ってなかったりするのでしょうか?
そうするとこの鏡に映る腑抜けた顔の人間は一体全体誰で何なんでしょうか?
消費という言葉を正しく理解できていない時点でスタートラインにも立てていないのでしょうね
僕は誰かを消費して生きているのでしょうか
誰かを通してでしか理解できない自分がいるのだなと最近はよく思います
いいことですね
ゲームの隠し要素みたいです
1人プレイだと全部が明らかにならないってレビュー荒れそうですよ、神様


月が綺麗です、は月が綺麗なことを表現しきれていないみたいな言葉について考えることがあります
(ここでの月が綺麗ですは愛してるではなくて、月が綺麗なことを指しています)
美しいという言葉は美しくないみたいな話で、綺麗という聞いたことのある言葉に自分の感情を代弁させているだけなのかもしれません

最近、僕が月が綺麗だなと思ったのは先月の満月でした
ふと空を見上げると黄金の月が浮かび上がっていて、その大きさに驚きました
まだ早い時間だったからというのもありますが、いつも見るような遠くにある白い月ではなく、完璧なパンケーキのように輪郭のはっきりした月だったからです
はるか昔、冬に見ていた星はもっと鮮明に輝いていた記憶がありますが、月だけは今の方が強く存在している気がしますね
どこかの山に登れば手が届きそうな月は綺麗と片付けるにはあまりにも非現実的で、見た人に何か良くない魔法をかけるような引力がありました

と思ったんですけど、口にするのは「わー、綺麗ー」になってしまいます
恥ずかしいですね、自分の思ったことをそのまま言葉にするのはあまりに無防備で
でも、自分の感じたものを誰かの言葉に任せてしまうのは実は勿体ないことなのかもしれないです
その過程で失われている感覚があるような気がします
なんとなくですけれど

せめて月に一度くらいはnote書きたいですね
毎日書きます!と内心思っているのですけれど、意思が本当に弱いです
2月もよろしくお願いします
長々と失礼しました

では、また

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